第4話 毒と契約
「皇女殿下、お食事にございます……おや」
塔の最上階に入ってきた女は、部屋に見知らぬ男がいることに気付いて立ち止まった。だが、すぐに愛想のいい笑みを浮かべた。
年ごろは三十代前半。育ちのよさそうな婦人だ。
「どなたでございましょう?」
深緑のシンプルなドレスを纏っているのを見る限り、彼女は皇女の侍女であろうか。
クローヴィスは立ち上がって、侍女に握手を求めた。
「クローヴィス・ラトキンだ。本日よりリュドミラ皇女の宝玉騎士に任ぜられた。よろしく頼む」
「殿下の……?」
彼女は困惑したように彼の差し出した手を見つめる。
「それは、皇帝陛下が命じられたことですか」
「そうだ。あなたは殿下の侍女だろう?」
「ええ、まあ。一応、こうして毎日殿下のお世話をさせていただいております」
なおも不審そうに彼の顔と手を見比べる女。やがて、キャロライン、と自分の名を名乗り、食事のプレートを皇女の前に置くと、すぐに部屋を出ていった。
足音が下に消えたところで、後にはまだ湯気の立つ昼食が残った。
パン、スープ、サラダ、水。皇女にしては意外なほどシンプルなメニューだ。
「そこそこ旨そうだな」
クローヴィスは空腹を自覚した。
すると、侍女に対して視線すらくれなかった皇女が食事の皿に身体を向け、木製のスプーンを手に取り、スープの中味をかき混ぜる。匂いを嗅ぎ、スプーンからどろりと零れ落ちるスープを至近距離から見る。
「クロ、そこの本の山の下にあるものを取って」
「なんだ?」
「いいから」
皇女が急かすように睨んでくるので、クローヴィスは言われた通りに彼女が指さした本の山をどかしてみる。
木製の小さな檻が見つかった。中にはネズミが二、三匹動き回っている。
皇女の前まで持ってくると、彼女は檻の蓋を開け、一匹のネズミをむんずと鷲掴みにする。灰色のネズミは暴れまわるが、皇女には微塵も動揺が見られない。
皇女が何をするかと思っていると、皇女は食事のプレートの隅にスープの液体を少し垂らし、そこにネズミの頭を近づける。
ネズミは空腹だったのか、小さな舌をちろちろのぞかせて、スープを口にする。
飲み干した後、ネズミはまた檻に戻された。
皇女はそのまま、檻の中を観察している。
「何をしているんだ?」
「毒見」
「なぜそんなことをするんだ」
「習慣よ」
そんな会話をしているうちに、檻の中を暴れる一匹のネズミが泡を吹いて動かなくなった。
「今日はスープだったのね」
「……毒か」
「日常茶飯事よ。毒見をしなければとてもではないけれど、何も口にできないわ。スープの中身をそこの窓から捨ててちょうだい」
「わかった」
その間に、皇女は死んだネズミを檻から出して、手元にあった手巾で丁寧に包む。それからまた、サラダ、水、パンの順にネズミたちに毒見をさせていく。
皇女の作業を見ながら、クローヴィスは得心する思いだった。これだけ注意深くしなければならないのならば、リュドミラ皇女が極端に痩せているのも頷ける。
「スープ以外は大丈夫みたいね」
少女はようやく食事に口をつけた。それでも食べる量は極端に少なく、それぞれ二、三口で手を付けるのをやめてしまう。
最後にナプキンで口元を拭ってみせ、彼女は「ごちそうさま」と呟いた。
「クロがいてよかった。いつもなら、なんだかんだと理由をつけて居座ろうとしてくる。今日ぐらいなら、まだきちんと話せるかもしれない」
「あのキャロラインという女が毒を入れているのか」
「キャロラインは、ザーリーの妻よ。わたしを監視するのが役目。わたしが身動きできないのは、彼女がわたしの世話係であることが大きいの。今頃はクロのことを夫に報告しているのではないかしら」
「なるほど」
簡潔な説明に納得すれば、今度は皇女に同情めいたものを覚えた。美味しいものをお腹いっぱいに食べられないとは不幸なことだ。
「決してほだされてはだめよ。そうしたら、わたしはあなたを遠ざけなくてはならなくなる」
「さすがに初対面で絆されないだろ。それに俺がまず優先すべきなのは、皇女殿下なのだろう?」
「それはもちろん……そうよ」
少女は上目遣いでクローヴィスを見上げてくる。もの言いたげな琥珀色の目だ。言葉以上のものを訴えかけてくる。
「わたしには味方が必要だわ。何においても、裏切らない味方、動けないわたしの代わりになる『足』……」
「そうだな。とりあえず、その理由はわかった気がするよ。まずはあのキャロラインを皇女殿下から遠ざけた方がいいんだな?」
「そう。でも、わたしにはあなたに支払える代償が……」
また彼女は顔を赤くして、「身体しか……」と言いかける。
クローヴィスは対価を気にする皇女の考え方が結構気に入った。世の中には人の善意だけで成り立つことは数少ないからだ。人を動かしたいなら、相手が欲しがる見返りが不可欠だろう。
「見返りのことは後でいい。
少女はこくん、と頷いた。
それならわかりやすいとクローヴィスは思う。
「宝玉騎士」という役職は、皇帝から強制的に任じられたもので、その待遇に文句をつけることなど許されない。
皇帝の命令は絶対であり、クローヴィス側の事情など、何の考慮もしてくれないからだ。
そういった不平等な関係が、今回の件に関して、彼に「しこり」を残している。
雇用契約は「合意」でなければ意味がない。「合意」でなければ「奴隷」と同じだ。
「うん。わかりやすいな。よくわからない『宝玉騎士』より断然いい。ならば、俺は皇女殿下に雇われよう。今後は、俺のことは傭兵だと思ってくれ」
傭兵? リュドミラはそう言いたげに首を傾げる。
「クロは、ハッセルの王子でしょう?」
「俺は庶子だから。王子の身分を手に入れるまでは別の職業についていた」
クローヴィス・ラトキン。二十七歳。
ハッセル王国の国王の腹違いの弟で、庶子として知られている。だが、彼が王城の門をたたく前は、その姿は世界各国の戦場にあった。
「皇女殿下に支払い能力があると俺が判断する限りにおいて、俺は絶対に雇い主を裏切らない。今は口だけだが、保証する。どうする? 雇うか? 雇わないか?」
彼は、金で雇われて戦争をする――元傭兵だ。
右手を差し出したクローヴィス。その手を、迷いなく少女は握る。
クローヴィスはにやっと笑った。
「よし、契約成立だ」
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