第1章ー20 所詮それはきれいごと

 そこに居たのは、ガードナーが最も会いたくなかった魔法使いの少年だった。


 いつも着ているラフなジャケットではなく、留紺色の戦闘服。上は胸元まで開かれていて、その内側で薬品の入った金属筒が光っている。足に縛るように付けられた薬品ポーチには、使い切りの魔法が封入された特殊実包入りの細長いマガジン。


 腰に差さっているのは艶消し加工のされた真っ黒な木剣。東洋の剣を基にしていて、剣と異なり薄く細く、そして反りがある。あれはたしか〝カタナ〟と呼んだか。


 ガードナーをにらみつける目は、静かに、それでいて弾け飛ぶほどの怒りを内包している。手は腰のカタナに添えられ、いつでも抜刀できるように柔らかく握っている。よく見ればその手はわずかに震え、カタナを固定している金具が立てるカチカチという音がかすかに耳を掻いた。


 やる気だ。

 あの少年はこの場で、魔法界の裏切り者を始末するつもりなのだ。

 他でもない、自分自身の手で。


「やはり、君だったか」


 最後の最後まで計画がズタボロにされたことで、ガードナーはそう吐き捨てる。しかしハルはその言葉にも返事はしなかった。吐き捨てたそれを聞き流したのか、一度だけ目をつむり、


「すごいな、ここ」


 再び目を開け周りを見渡しながら口を開いた。


「この世界じゃ変化しないはずのオオミズゴケが魔力活性型に成長してる。マナの濃度は俺たちの世界と変わらないくらいかな。こんなに良い条件の環境はこの世界で見たことない」


 はぁ、とハルは溜息を吐いた。

 ハルの言葉通り、壁際に生えているオオミズゴケは、普通なら考えられないような形に成長していた。長い茎のようなものが針金のようにジグザグに上に向かって伸びている。伸びた先は赤く変色していて、その周りではきらきらとマナの結晶体が舞っている。


 この倉庫全体だってそうだ。夜だというのに、天井の窓から差し込む月明かりで空気がガラス片をまき散らしたように七色に瞬いている。それはまるで妖精たちが踊っているようだ。事実、これだけマナの濃い場所なら必ずと言っていいほど妖精たちが住処にしてしまう。


 だけどここには、いるはずの妖精はいない。

 なぜならこの場所は、彼女たちにとって一番と言ってもいいほど危険な場所だから。


「…………悪魔を下ろすのに最適な場所だ」


 彼女たちを喰らう存在――悪魔を降ろすための場所なのだから。


 たった今、ハルが立っているのは床に描かれた大きな模様の前。赤黒い色の何かで描かれたそれを背中にして、ガードナーと向き合っている。

 床に描かれているのは、複雑な模様と文字が飾られた円だ。


 直径が約八・一メートル。円は蛇がとぐろを巻く形で描かれていて、円の中に描かれているのは深い緑色をした頂点が六つの星形が四つ。それは円の中だけじゃなく外にも描かれていて、こちらも頂点が五つの星形が四つだ。


 一・八メートル東に離れたところには、東を頂点にした三角形。一辺が二・七メートル。三角形の辺上には『PRIMEUMATON』『TETRAGRAMMATON』『ANAPHAXETON』という単語がそれぞれに沿うように書かれている。


 これは『魔法〝円〟』、またの名を『召喚陣』。悪魔を呼び出すために生み出された高度な魔法術式。悪魔を呼び出すために特化し、それ以外には使うことのできない禁術中の禁術。


 ハルたち魔法使いが最も犯してはいけないとされる禁足事項、その最上位に来るものだ。


「こいつは完璧だ。破綻もないし、今まで見てきたどんな術者たちより精確だ。資料閲覧すら制限されてるのによくここまで調べたよな。おかげで、何をしようとしてるのか見た瞬間に理解できた」


 これが存在すること自体が。ガードナーがここにいることが。これから言わんとするハルの言葉をどうしようもないほど裏付ける。否定する材料をつぶしてしまう。


 その理由とは……、


「あんた、ここで悪魔を降ろすつもりだったんだな。


「…………」


「正確にはサラさんの病気を移す、だよな。子供五人のうち三人を生贄にして、残り二人のうち一人から生気を奪う。奪った生気で生命力を底上げして、最後の一人に病気を移す。そうすれば、サラさんの体は健康な状態に戻る。この方法は……ブエル系列の悪魔だな。どうやってグリモワールを手に入れたのかは知らないけど、それでもここまで用意できたのはやっぱすげーよ」


「…………やはり君はすごい。そこまでお見通しだったとはね。最年少で魔法士資格を取得しただけある」


 少しだけ表情を緩め、ガードナーが苦笑した。うれしさと苛立ちのどちらも確かに抱いていて、その二つがぐちゃぐちゃに混ざった形容しがたい感情だ。


 ひとつは、産まれる前から知っている息子同然の少年の成長を見ることができたうれしさ。だけど同時に抱く苛立ちは、彼が厄介な相手として立ちふさがったから。うれしくとも憎い相手、やはりあのとき強引にでも戦闘不能にしておくべきだった。


「君を信用していないわけではないが一応訊く。妻はどうした」


「心配しなくていいよ。ちゃんと安全なところに運んだから。ここの見張りは全員縛って向こうのドブに半身浴してる。ここに部外者はいないよ」


「そうか、なら安心だ。それで、君はどうしてここへ? まさかとは思うが、ここまで来て説得でもするつもりだったのかい? わたしがそれであきらめるとでも? 残念だが、そういうことなら、」


「いや、あんたが止まらないってことくらい分かってる。ここまで精確な召喚陣を描き上げたんだ。俺だったら絶対に止めない」


 言葉をさええぎり、ハルがそう断言する。


「だとしたらなぜ」


「力ずくで止めるため。あと、一発ぶん殴る」


「それは本気なのかい?」


 それにハルは答えない。それはあの少年にも、ガードナーの発言が本気じゃないことくらいわかっているからだろう。ここまで準備をして、使えるだけの装備を身に着けて、それで説得しに来たと本気で思うバカはいない。この沈黙はハルにとって、肯定の意を示すというのは明らかだ。


 だけど――否、だからこそ、ガードナーにはハルの取った行動が理解できなかった。なぜこんなにも穴だらけな作戦を立てたのかと、その疑問を口にする。


「だとすれば分からないな。だったら、なぜ君はわたしと馬鹿正直に対峙している。わたしが考えを変えないと分かっているのなら、どうしてそこに居る。陣を消すなり、ほかの魔法士を呼ぶなりできたはずだ。いや、わたしを確実に止めるならその方法しかないはずだ。だがこの付近の魔法士は君しかいない。君が敗れればわたしを野に放つことになる。なぜこんな、」


「俺の手で……あんたを止めたかったから」


「………………」


 ハルが返した感情の理由が、ガードナーには理解できなかった。なぜならそれが、想定していたものとは大きくかけ離れていて、かつこれから先向けられる資格などないと思っていたものだったから。


 帰ってきた返答に込められていた感情は、怒りではなかった。失望でも、嘲りでもない。


 悲しみ、それから親愛。

 自身の命すら狙う相手にぶつけるには最もふさわしくない感情の類だ。


「…………どうしてそこまでする」


 胸の奥からこみ上げる熱いものを押さえつけ、ガードナーは声を絞り出す。


「あんたが、根っからの悪党じゃないから」


「おかしなことを言う。君たちを牢に閉じ込めたのはわたしなんだぞ?」


「だからだよ。本気で口封じしたかったなら、あの場で殺した方が得策だ。いや、本当に口封じして時間稼ぎする気ならやらなきゃいけなかったはずだ。なのに、あんたはそれをしなかった」


「…………」


 気分が悪い。


 殺しきれなかった甘い部分を、自身の甘さが招いた最悪の状況下で、それもすべてを引っ掻き回した張本人にストレートに指摘されることがこんなに歯がゆいものだったとは。


 腹立たしい。


 冷徹になったつもりで、それでも甘さを捨てきれなかった自分自身が。

 最悪の状況を予想しておきながら、その可能性をつぶしきれなかった自分自身が。


 徹底すれば防げたことを指摘されることがこんなにも心を苛立たせるとは。


「だから、俺の手で止めたかったんだ。あんたみたいな優しい人に、儀式をさせて地獄を見て欲しくなかった」


「面白い。まるで儀式が失敗するような口ぶりだ」


「失敗するよ。絶対に」


「……なに?」


 ガードナーが言い終わるよりも早く、遮るようにハルはそう即答した。


「確かにこの召喚陣は完璧だよ。悪魔を降ろすために必要な要素を全部満たしてる。どこもかけてないんだから、起動すればまず間違いなく悪魔は呼び出せるだろうさ。だけど……、いや、」


 言葉を切る。

 まっすぐガードナーの目を見つめ、


「だから自信を持って言える。あんたの目論見は――――絶対に失敗する


 突き付けられたその言葉には、ためらいもブレも一切なかった。


「絶対にうまくなんかいかない。あんたの思っていることには絶対にならない。どうやったってこの儀式は成功しない。それが解ってたから見過ごせなかった。このまま他の魔法士たちに引き渡したら、あんたはきっとこの方法にとらわれ続ける」


 瞳は真剣で、少し上ずった声なのは焦りも入っているのだろうか。だんだんと増していく悲壮な声色に比例し、ハルの表情は苦しそうなものになっていく。何かに締め付けられるように、いつの間にかハルは自身の戦闘服を強く握りしめていた。

 まるで何かを思い出し、それを押し殺しているように見える。心の奥底に封じ込めていた感情の蓋が外れそうになっているような、苦しそうな顔だ。


「証明する方法はあるのか?」


「この陣を使っていいならだけど。使ってもいいの?」


「ノーだ」


「だよな。だったらムリ」


「ずいぶんと、あきらめるのが早いんじゃないか」


「口で言うだけじゃ止まらないんだろ?」


「無論だ」


 その問いに頷く。

 もし、ガードナーに持ち掛けられたこの話がただの理論だったら見向きもしなかっただろう。仮に流されたのとして、あるいはハルの言葉で少なからず揺らいでしまっていることだろう。


 だけど、ガードナーの決意は、覚悟は揺らがない。


 なぜなら、ガードナーは一度その奇跡を目の前で見せられているから。

 現実に見せられてしまったからこそ、この儀式に魅せられてしまったのだから。


「わたしは目の前でその奇跡を見た。君の言葉よりも、わたしはわたしの目を信じる。たとえそれが禁忌だとしても」


 悪魔に関する伝承や専門書は、禁書として連合中央図書館に封印されている。魔法では解決できないことを解決できる悪魔たちの力を行使する方法は、禁術として伝承は途絶えている。


 どれほど人に益をもたらそうとも、調べることも、学ぶことも、使うことも許されない。もちろん、そうなったのには明確な理由がある。


「悪魔を召喚するということは、悪魔界とこの世界とを繋ぐ道を残すことになる。過去二度にわたる大戦の引き金となった悪魔たちの力を私利私欲で使い、あまつさえ世界を危険にさらすのだから、悪魔の召喚は禁忌中の禁忌だ。もちろん理解だってしているさ」


「その先に進めばあんたは、」


「ろくな未来にならないだろうね。それも承知の上さ。そんなことは君以上に解っている。覚悟なんてとうに済ませた」


「ミシェルとサラさんは、犯罪者の家族になるんだぞ」


「そうれがどうした。それで妻が助かるのなら安いものだ。わたしには外聞なんてものはどうだっていい。金より名誉より世間体より、妻の命の方が重いんだ」


 上ずったハルの言葉を、ガードナーはにべもなく吐き捨てた。

 すぅっと、身体が冷えていくのを感じた。


 ハルの言葉は、今のガードナーにとって五月蠅い虫の羽音にしか感じない。世間体、これからの未来、どれもガードナーにとって薄っぺらいものにしか感じなかった。


 世間体がどうした。これから生きていく未来がどうした。死ぬと運命づけられた者にはそのどちらも関係ないじゃないか。そんなことを馬鹿正直に考えていたならば、これからを生きる前に死んでしまうではないか。健康で文化的な生活のできる者たちを基準に言われたことなんて、何もしなければ消えていく命にはあまりに絵空事なのだ。


 地位も名誉も関係ない。生きていれば、生きてさえいてくれればどうにだってなる。世界中の人間に非難されようとも、後ろ指をさされようともかまわない。


 生きていてほしい。ガードナーが願っているのはただそれだけなのだから。


「いつだったか君に言ったな。魔法は万能の力なんかじゃないと」


 口から出た声色は、自分でも拍子抜けするほど穏やかなものだった。

 もっと震えたりつっかえたりするものかと思っていたが、口から紡がれた言葉は存外にも滑らかで、まるでしゃべっている自分を窓越しに後ろから眺めているようなそんな錯覚に陥った。


「魔法は奇跡の力ではない。魔法に固執していては解決できないこともある。もちろん禁忌だと知ってはいるさ。だがわたしにとって、禁忌よりも妻の命の方が比べられないほど重かった。ただそれだけの話さ。君なら――、」


 しかしコンマ数秒で理解する。

 なぜこんなにも穏やかな声で話すことができるのかを、他人事のように唐突に理解した。



「母を失った君なら、この気持ちがわかると思ったのだけれどね……」



「――――――――ッ」


 ああ、やっぱりだ――苦々しく唇をかむハルの表情を見て、心のどこかでそうストンと何かが落ちた。


 いま心に抱いているのは、失望だったのか。

 そんな薄っぺらい理由でこれまで計画をかき乱し、高尚で恵まれた人間サマの意見で覚悟を踏みにじったハルに失望しているのだ。自分と似たような側面をすでに経験している彼なら分かってくれるという勝手な信頼を裏切られた落胆も混ざっているのかもしれない。


 しかしそれでも、怒りというものを抱いていないわけではないらしい。ただ単にゲージが振り切れているから現れないだけで、つまらない理由で計画をすべて台無しにした少年に対しての怒りは心の奥底でくすぶっている。


 自分自身でもようやく理解できた。今さっきの彼への言葉は、捨て台詞でも何でもない。訣別の言葉だった。


 声色がやけに穏やかなのは、彼に対してもう何も期待してはいないし望んではいないから。

 言葉が滑らかに出てきたのは、もうするべきことはわかっているから。意志が決まっているから。それを変えるつもりもなかったから。


「さあ、話はおしまいだ。説得が目的だったのなら気の毒だが、わたしは儀式を進める。君が立ちふさがるというのなら――――君を殺してでもだ」


「……っ!」


 白銀の杖を腰のホルスターから引き抜き胸の前まで持ち上げたのち、腕を伸ばして先をハルへと向ける。それは攻撃魔法を行使する際の基本動作。〝まじない〟ではなく人を傷つけるための魔法を行使するために最適な、決闘をする時の作法。


 いま、この瞬間、ガードナーはハルを排除すべき対象として割り切った。


 ピクリと、ハルの身体がわずかに跳ねる。左手が左腰に据え付けられた黒いカタナへと延び、柄をつかむ。カチリ、という木剣にしてはやや硬く鋭い音。刃をつぶしたむき出しの刀身が月明かりを浴びて、黒曜石のようにつややかな狂気を反射している。


 ハルもやる気のようだ。禁忌を犯すと宣言したガードナーを、〝魔法使い〟としての責務に則って倒さんとにらみつけている。

 だが、ガードナーはその姿を見て嗤う。


「まさか、そのまま挑むほど無策ではないだろう? 枷をはめられ魔法は使えない。近くに君以外の魔法士の気配もない。もし仮に魔法を無理にでも使えば、腕の傷がまた開くことになるぞ」


 ハルの装備は、同階級の魔法士と比べても遜色ないものだ。魔法に耐性のある特殊戦闘服に、〝即興曲〟という杖に分類される細身の二十二センチ杖。精度よりも速射性に長けた実戦用の杖だ。胸と腰には魔法の封じ込められたカートリッジ。あれだけ装備していれば大抵の任務には対応できるはずだ。


 だがしかし、それは通常ならばの話だ。

 言葉にした通りハルの首には魔法行使を禁ずる枷がはまったままだ。その存在があるだけで、魔法使いとしての戦闘能力はないも同然となる。なぜならば、魔法行使という行為そのものが外部のマナと干渉するということなのだから。


 魔法というものが摩訶不思議な現象であったのはもうはるか昔のことだ。祈るだけで奇跡が起こる、魔法とは神から授けられた特別な力であり選ばれた者のみが扱える――そう考えられていたのはもう百年以上昔の話だ。確かに、古くから伝わる魔法が現在でもつかわれているが、それらの理屈もある程度解明されつつある。神の奇跡と言われていた時代はとっくに終わりを告げている。


 簡潔に言えば、魔法とはオドとマナの干渉作用によって生まれる副産物的な事象だ。体内で生成されるオドと呼ばれるものを活性化させ、大気中のマナと干渉させることで魔法は発動する。マナとオド、どちらが欠けても魔法は行使できない。


 つまり、いくらオドがあったところでマナがなければ魔法は発動できない。逆に、オドの活性が一定以上になってしまえば否応なしに外部との干渉作用が起こる。


 ハルの首につけられたままの枷は、その干渉され変質したマナを利用し刻まれた術式を発動する。すなわち、ハルが魔法を行使しようとすれば間違いなく枷に刻まれた魔法回路が機能してしまうということだ。どんな魔法陣が刻まれているか分からない枷をつけた状態で魔法行使をしようとするバカはいない。


 加えてタネを明かすと、枷の効果は体内のオドへの干渉だ。魔法行使に必要不可欠である精密で正確なオドの調整を、外部から干渉することで強制的に狂わせる。タイミングが悪ければ望んでいた出力の何倍ものオドが体内で異常活性を起こす。それはハルにとって最も相性の悪いトラップのはずだ。


 その理由は、ハルの左腕にまかれている包帯――分厚く薄黒い特殊布が何よりも物語っている。


 あの布の用途は、本来ならば魔法事故によってできる魔創と呼ばれる火傷のような傷を覆い、大気のマナとの接触を防ぐためのものだ。魔創ができる原因は大抵がオドの制御ミスであり、経験の浅い魔法使いが大魔法を行使する際によく負う傷だ。一度その傷を負ってしまうと、魔創が這う部分はオドの干渉による効果を受けやすくなってしまう。


 ならばもし仮に、通常の数倍のオドが異常活性した場合はどうなるのか…………身体中に這う神経・骨・血管といった魔法回路を過剰なオドが行き交い、魔法的な強度の弱い魔創の部分から体が裂けていく。


 故に、いまハルは魔法を行使できない。いまこの場面において、戦うというハルの行動は普通に考えれば自殺行為に等しいのだ。


 しかしそれでも、ハルはこの場に立ち実力行使を宣言している。魔法が使えないのに、だ。だとするならば、何らかの準備をしているものと考えるのが当然だ。決して特別な考えではない。前に進むために足を上げることと同じくらい初歩的なことだ。


 ――さあ、どう出る?


 思考を巡らせる。いまのハルが取れる手段を脳内で列挙していく。

 他の魔法使いの介入はないだろう。杖で魔法を使うという方法も取れない。だとすると、戦闘手段は魔法の封入されたカートリッジと腰に付けたカナタのみ。カートリッジ内の魔法を撃ち出すか、それともカートリッジを陽動に使った近接戦闘か。二級魔法士に配られているカートリッジに入った魔法は何だっただろうか……。


 想定した手段を元に、その対策を組み立てていく。ガードナーは戦闘職ではなく、防御系の魔法を開発したことで出世した人間だ。実践は慣れていない。いくら力の差が歴然と言ったところで、その不安要素が胸の中で駆け回る。いくら不快でも事実であるのだから無視できないところがいやらしい。


「…………。」


「……………………」


 にらみ合う。

 共に動かない。


 冷えきった体の中で、心臓だけがオーバーヒートを起こすほど拍動する。神経は鋭敏化し、空気の流れさえもざらついた砂で肌を撫でられているように感じる。


 まるでいつ爆発するか分からない爆弾を目の前にしているようだ。支柱でぶらつく木くず、崩れかけのコンクリート片、さびて転がったボルト。この倉庫の何かが動いた瞬間、この危うい均衡は崩れる。


 刹那、


 ――――ッキィィン……


 細く鋭く鼓膜を突くは、金属筒が落ちた音。



 その音で、均衡は突如崩れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る