第1章-6 魔法の夜間飛行


 ドラゴン——太古から悪や嫉妬、疫病の象徴とされてきた怪物の一匹。地中で自身の財宝を守り、それが盗まれると火を吹いて国中を焼き尽くすという伝承がある怪物だ。


 トカゲのような鱗にワニのような頭部、背中にはコウモリのような翼が生えていて、尾の先端は槍のように鋭く何か液体が滴っている。呼吸をするたびに背中のトゲが持ち上がり、緑色の目はわたしたち侵入者をにらみつけている。


 呼吸を忘れていた。緑の瞳に吸い込まれ、何も考えることができない。どうしてだろう、こんな状況なのに怖いという感情は湧いてこなかった。なぜだろう。あまりに驚きすぎてわたしの頭が壊れたんだろうか。それでもただ一つ、はっきりと自覚できることはあった。


 ああ、死んだ。

 1+1=2のように、その答えが瞬間的にはじき出された。


《この身の誇りにかけて、もう貴様らを許すことも見逃すこともできん》


 隠す気などさらさらない、純粋な憎悪だけで紡がれたその言葉は、再考の慈悲などないということと、これから辿る末路を嫌というほど突きつけてきた。


 思えば、あれだけ忠告はしてくれていたんだ。彼は彼なりに慈悲は持っていたのだろう。もっと早くに気が付いていれば、もしかしたらこんなことにはなっていなかったのかもしれない。


 だけどもう遅い。

 もうどうしようもない。


「あ……ああ……」


 ドラゴンへと釘付けになった視界の隅に、その場でへたり込む密猟者たちがいた。今頃になってようやく、自分たちが一体何に喧嘩を売ってしまったのかを理解したようだった。口元から泡を吹き、目玉が転がり落ちるほど目を見開いている。だけど彼らのことを笑うことはできない。だってわたしも、同じようなものなのだから。


 ドラゴンが前足を振り上げる。

 なるほど、あれで踏みつぶす気なのか……ぼうっと、そんなことを考えていた。距離的にあの密猟者たちが先だろう。わたしはその後だ。


 だけど、それを利用して逃げようとも思わなかった。逃げきれる気がしなかったから。死の直前で代わりに考えていたのは「どうしてこんなに冷静なんだろう」という、そんなくだらないことだ。


 大きく振り上げられた前足が、ピタリと空中で止められる。密猟者たち三人を、五本の爪が逃がすまいと狙いを絞っている。


《我らの平穏を侵した罪……その身で償え!》


 咆哮が上がる。

 ビリビリと電気のように鼓膜を揺さぶる。

 振り上げた前足の指が大きく開かれる。

 振り下ろす。


 刹那、




 ピイィィ———————ッ!!




 森中を、甲高い笛の音が駆けた。


 途端、


 ボンッ、と鈍い音。

 気が付くと、わたしの視界は逆転していた。


「っ!?」


 宙に投げ出された——そのことに気が付いたのは、背中から樹に叩きつけられた時だった。


「うえっ! えっほ、えほ……っ」


 どんっという重い衝撃が背中から内臓に広がり、鈍い痛みがじわじわと肺を締め付ける。反射で咳が出た。息は吐けるけど吸えない。周りの景色が灰色に見える。


 それでも、頭の中は「今この状況はどういうことなのか」ということでいっぱいだ。反射的に転がってきた方向に視線を向ける。


 地面が盛り上がっていた。

 地下で風船でも膨らんでいるかのように、ドラゴンの足元が数メートルくらい持ち上がっている。ドラゴンの足元を頂点にして、地面が大きく隆起していた。


 直後だった。地面の下から触手が飛び出した。


《ぬぅ……!?》


 それは意志を持っているかのようにドラゴンへと伸びていき、そのままあの巨体に絡みつきすさまじい音と一緒にドラゴンを地面に縫い付ける。拘束された巨体から、苦し気なうめき声が漏れた。


 しかしそれの動きが止まることはない。やがてドラゴンを覆いつくすように伸びた触手は月に向かって伸び始める。すると、触手の表面から細い何かが突き出し広がり始める。その形はどこかで見たことがあって……。


 ——そっか、木の根っこだ。

 揺れる視界の中、だいぶ遅れて理解する。


 あれは木の根っこだ。何の木かは知らないが、地面の下を這ってここまで来たんだ。

 いつの間にか、根は密猟者たちも拘束していた。呆然とし硬直する彼らの身体を這い、縄より強靭に締め上げている。少し遠くまで転がったのが功を奏したのか、わたしの身体に根は絡みついてきてはいなかった。


《なぜだ。なぜ邪魔をする!》


 恨めしそうにドラゴンが咆えた。同時に、ドラゴンの背後から人影が飛び出してきた。

 その数は十ほど。半分は鎖を持ち、ドラゴンを縛り上げる。もう半分はドラゴンを縛る彼らと目配せしたのち、密猟者たちの手、足、首に枷をはめ込み拘束した。


 たった十数秒。

 それだけで、謎の集団は完全にこの場を支配してしまった。


 ……降参しよう。

 いつの間にか、わたしはそんなことを考えていた。


 フードをかぶっていてその顔は見えない。だけどこんな訳の分からないことができるのなら、彼らもあのドラゴンと似たような存在なんだろう。


 そんな人たちから逃げられるはずない。きっと今逃げても、すぐに拘束されてしまうのがオチだ。そして密猟者たちの仲間入り。それだけは避けないと、奴らと仲間だって誤解を解かないと……。

 情けなく震える足に鞭を打ち、樹に摑まって立ち上がる。握ったままのウェブリーから弾丸を抜き、両手を上にあげて彼らの前へ……、


「——っ!?」


 ぐいっと、シャツの首根っこが後ろから引っ張られた。

 いきなりのことで足を踏ん張れずに後ろへ倒れ込む。尻もちをつくと今度は肩を押され、手を置いていた樹に押さえつけられた。ちょうど、後ろ首を掴まれて顔を木に押し付けられているような状態だ。


「動くな」


 そうわたしに命じた声は、思っていたよりも幼い少年の声だった。声変りをしていないのか途中なのか、どっちとも取れてしまうような高めの声質だ。それに気が付くと、わたしの肩を後ろから押さえつけている手だって少し小さいように感じる。


「お前の仲間は全員捕まえた。抵抗するなら――」


「わたしは仲間じゃない……っ。あいつらを追いかけてきただけ!」


 押さえつけられた肺から無理やり声を出して、とっさに否定する。

 すると、


「………………」


 少年が戸惑ったのがはっきりと解った。どうしたものかと逡巡するような気配が後ろから漂っているような気がするし、わたしを押さえつけている力も少し弱まった。


「大丈夫、抵抗しないから。とりあえずそっち向くね」


 多分、今ならこの少年一人を組み伏せるくらいできそうな気がする。逃げ出すこともできると思う。

だけど、それでは捕まったあいつらの仲間だと言ってしまうようなものだ。いまわたしがすべきことはそれじゃない。この少年に、わたしが敵じゃないと理解させて味方になってもらうことだ。


 首を押さえる力が抜ける。それを許可と受け取って、声の主の方向へと両手を上げながら向き直る。


 少年は、予想していたよりももっと幼く見えた。

 インクをこぼしたような黒い髪に、同じ色の大きめな瞳。身体つきはかなり華奢で、背丈も多分わたしよりすこし小さいくらい。異国の顔つきな気がするため正確には解らないけど、それでもだいぶ幼い方だ。見た目で言えば、多分十三歳くらい……だと思う。中等教育の二年目くらいだ。


「もう一度言うけど、わたしはあいつらの仲間じゃないわ」


「……証拠は?」


「証拠……、あっ、そうだ。わたしのペンダントがいきなり光って、それをたどってたら「ペンダント!?」


 説明を遮って、少年がそう叫んだ。そしてすぐに「やべっ」と我へと返った様子で口を抑えて、密猟者たちとドラゴンが拘束されている場所にチラリと目を向ける。向こうの状況に変化はない。少年の上げた声は気づかれてはいないようだ。


 ほっと、少年が息を吐く。何か思い当たる節があるのか、再びわたしへと向けられた瞳は心なしかさっきよりも柔らかいような気がした。


「それ、どんなだった?」


「え? ああ、えっと、いま首にかけてるのがそうだけど……」


「ちょっと失敬」


 そう言って、少年の右手がわたしの首元に伸びた。ペンダントの紐がつかまれ、そのままするすると引っ張られる。それが少しくすぐったくて、思わず首を縮める。

 ペンダントの部分が露わになった。


「……うそ」


 思わずそう言ってしまう。

 ペンダントの光は、少年を指していた。正確には、少年の腰あたりを。


 すると、


「はぁ~~~~~」


 長い溜息を吐き、少年が膝から崩れ落ちた。

 ぺたんとお尻を地面にくっつけ、光るペンダントを握りながら脱力する。肩からも手を離しているし、わたしは完全に置いてきぼりだ。


「……よかった」


 ポツリと、そう呟いたのがかろうじて聞こえた。


「大丈夫?」


「ああ、ありがとうっ。これ俺が失くしたやつだ!」


「そう、なんだ。どういたしまして」


 とりあえずそう言っておく。

 ペンダントを渡すと、少年は心底安堵した様子でそれをポケットへと突っ込む。その仕草はわたしから見るとかなり雑だ。


 多分だけど、そんな大切なものを無くすのはそんな管理だからだと思う。

 おっちょこちょいというか、大雑把というか無頓着というか……口には出さないけど。


「それで、信じてくれた?」


「もちろん……ていうより、ごめんな。こいつのせいで面倒なことに巻き込んじゃって」


「気にしてないよ。ここに来たのはわたしの意思だから」


 とりあえず信用してくれた。その事実だけでも、肩が少しだけ軽くなった。目の前のこの少年はとりあえずわたしの状況を信じてくれる味方になってくれた。


 だけど、やっぱり不安は残る。なぜならわたしは軍人で、少年たちはどう見ても表の組織ではないからだ。軍人であるというだけで少年たち側からすれば十分に脅威のはずだ。できるだけ穏便に、従順に、人畜無害な印象を与えないと……。


 と、考えていたのはこの後どうやって向こうの組織に、わたしを危険人物判定させないかということだった。もうこの時点で、逃げるという選択肢は完全に捨てていた。


 だから、


「————よし。それじゃ、」


 わたしの肩から手を外し、立ち上がって服に付いた汚れをパンパンと叩き落とす。


「逃げよう、、、、」


 少年が発した言葉を理解するのに、少しだけ時間がかかった。


「へ?」


「立って」


 意図せず、素っ頓狂な声が出てしまう。だけどそんなわたしなどお構いなしに、少年はわたしの腕を引っ張り強引に立ち上がらせる。


「付いてきて。時間が無い」


 わたしの手を引き、強引に走り始めた。

 倒れた木々を飛び越え、ドラゴンが拘束されている原っぱから遠ざかる。そしてそのまま濃い霧の中に飛び込む。


 一瞬視界がホワイトアウトする。次に視界が晴れたとき、目に入ったのは見覚えのある道。わたしがここに来るまでに通った霧のトンネルだ。ここまで来た道をそのまま、出口に向かって一直線に駆け抜ける。


「逃げちゃってもいいのっ?」


「あいつらに引き渡すと色々厄介なんだ。理由は後で話すから、とにかく走って!」


 直後、

 ギギギという、何かがきしむ音が森に木霊した。


 霧ではっきりとは見えない。だけど、その向こうで何か黒い大きな影がうごめいている。わたしたちを覆うように霧の向こう側に居るそれは、少しずつ、ほんの少しずつわたしたちに覆いかぶさり始めているようにも見える。それと対応するかのように唸る森。正体不明のそれらに呼吸がかき乱される。


 この音は、聞いたことがある。聞き覚えがある音だ。

 特別な音なんかじゃない、日常生活でもよく聞いてきた音。階段を上るとき、古い家の床を踏んだ時、柱にぶら下がったとき、そんなときに聞こえた音とすごく似ている。


 ——木の音?


 正確には、木材がきしむ音。

 ということは、霧の向こう側でうごめいているアレは……。 


「クソっ、もう閉じ始めた。もっと速く! 閉まったら出られなくなる!」


 横で少年が悪態をついた。

 それをあざ笑うかのように、〝声〟が聞こえた。



 キキキキ……

 クキキ

 ニゲタ、ニゲタ

 ハシレ、ハシレェ



 とっさに、開いた方の手で片耳を押さえる。そんなに大きな音じゃないけれど、耳に入ってくるだけで身の毛がよだつ。まるで、金属片で頭蓋骨の裏側を削っているような音だ。


 霧の向こうがざわめくたびに、それは聞こえる。耳をふさいでも意味がなかった。まるで直接鼓膜に響いているように、悪意たっぷりのそれはわたしの中で木霊する。


 うるさい。うるさい うるさい うるさい!


 ぎゅっと固く目をつむり、頭を振って声を追い出す。

 足がもつれる。体が震える。寒気がする。耳鳴りがする。たった数分聞き続けただけで頭がおかしくなりそうだ。


「————チッ、ちょっと遠いけど……」


 舌打ちが聞こえた。


「何かするのっ?」


が痛むからあんまりやりたくないんだけどっ」


 そう応える口は、いつの間にか一本の短い棒きれをくわえていた。長さは手の平ふたつ分くらい。指揮棒よりも少し長い位だ。表面には細い線で模様がびっしり彫られていて、黒く塗られたその指揮棒では模様が宙に浮かんでいるように見える。

 真っ赤なグローブをまとった手で指揮棒を掴み口から引き抜く。


「RevenuRuce戻ってこい!!」


 棒を横方向へと一気に振り抜き、そう叫んだ。


 スゥゥ——っと、棒から青い線が先端から一筋伸びる。ペンで線を引いたような光が、わたしたちの顔をわずかに青く照らす。だけどそれも数秒だ。

 空中に残った線は水に溶けるように消えていき、また元の暗い霧の道に戻る。


「いまの何っ?」


「ただのおまじない!」


 はぐらかされる。これ以上訊いてもきっと答えてくれないような気がするから、訊くことは諦めて走ることだけに集中する。


「はっ……はぁ……はぁ……」


 この息の乱れは、きっと走っているせいだけじゃないはずだ。


 今この瞬間も、あの嫌な声たちがわたしに語り掛けてくる。言葉として聞き取れたのは今日が初めてだ。声が意味のある言葉だと解った途端、それがとても気持ちが悪いものに感じて身の毛がよだつ。


 声の主たちは、壊れた蓄音機みたいに同じ単語を繰り返している。だけど、それにもちゃんとした意志が感じられる。多分、繰り返す言葉も意味を解って使っている。それが余計に心をイラつかせる。


 気が付くと、霧の向こうで何かがわたしと並走していた。それも複数。わたしの膝くらいまでの大きさの何かが、からかうような奇声を発しながら走っている。ひとつが転ぶと、それを乗り越えて新しい影が前へと踊り出る。わたしの両横を、付かず離れず走り続ける。


 怖い……。


 こんなに怖いと感じたのは一体いつぶりだっただろう。孤児院で過ごした時も、こんなことはなかった。教会の中は安心さえしていた。思い当たる記憶は一つだけあるけど、あの時はどちらかと言えば罪悪感の方が強かった。


 知らなかった。未知の恐怖というものが、ここまで心を締め付けるなんて。底の見えない海に入って下を覗き込んでいるようで、もしかしたら、いきなり大きな口が現れて身体を丸ごと飲み込まれるかもしれない――そんな気持ちに駆られる。


 相変わらず、霧の向こうでは影がからかうように追いかけてくる。一瞬、見ないはずの目が合ったような気がして視線を逸らす。

 数十秒、もしかすると数分走り続けたかもしれない。


「—————来た。合図したら跳んで」


「跳ぶ!?」


「いいから! 先、走って!」


 つないでいた手が離れる。

 そう言い残して、少年が歩を緩めた。途端にその姿は霧の中に消え、すぐに見えなくなってしまう。少年の言葉に従って一心不乱に走る。後ろなんか振り返らない。振り返ったら、きっと立ち止まってしまうような気がするから。


 数秒後。


「跳べっ!!」


「——!」


 後ろから、待ち望んだ声が聞こえた。

 何も考えず、声を信じて跳躍する。


「—————っ」


 ぐいっと、ベルトが引っ張られた。

 思わず目をつむる。着地し軍用靴から伝わったのは、地面の感触とは別の何かだ。硬くて、揺れる不安定な足場だ。


 目を開ける余裕なんかなかった。まるで、空中ブランコに立っているみたいに足元がぐらぐらと揺れる。思わずふらついたわたしの身体を、少年が抱え込んだ。それに甘え、わたしも少年の背中に腕を回して胸に顔をうずめる。


 びゅうごぉお、と唸り声をあげて、耳元を風が通り過ぎる。何が起こっているのかは分からないけれど、自分が動いているんだということだけはかろうじてわかった。前か横か、はたまた上かは知らないが、わたしたちはどこかに向かって進んでいる。


 風を切る音、キィィ——ィンという金属管が共鳴するような軽くて鋭い音が耳を突く。

 ふらつく足元から伝わるのは微かな振動。

 服の端が頬をばたばたと叩き、抱き着いている少年の胸からは、速い鼓動をわずかに感じる。


 どれくらい、そうやっていただろうか。


 空気が変わった。正確に言うと、冷たく乾いた空気になった。さっきまでの湿って生暖かい霧の中じゃなく、今の季節ちょうどの爽快感ある夜の風だ。


「はぁ~~……抜けた」


 それを証明するかのように、少年の安堵のため息が耳元で聞こえる。


 気が付くと、あれだけ耳障りだった声が消えていた。耳に入ってくるのはうるさいくらいの風の音だけだ。だけど、それでもなお静かだと思った。


 草木がこすれる音、霧の向こうで何者かが足踏みする音、木がきしむ音、虫が這う音、虫が飛ぶ音――不快な声の他にも、あの森の中にはいろんな雑音がひしめいていたんだ。


 いつの間にか、揺れも治まっていた。耳元でうなる風はそのままだけれど、足元はさっきよりも安定しているように感じる。


「目、開けていいよ」


 耳元で少年が笑う。そこでようやく、わたしは今までずっと目を閉じていたことに気が付いた。

 少年の言葉で固く閉じていた目を開けて……、


「—————!? わっ! わわっ!!」


 仰天した。




 から。




 遥か下にあるのは迷い霧の森。迷い霧の森上空を、わたしたちは飛翔している。すぐ上を見れば、月の光に照らされた雲が近く見える。遠くには小さな光が密集している。それが町だと気が付くのに、すこし時間がかかった。


 いま足を掛けているのは長方形の細長い板の上だ。

 長方形の金属板が、真ん中に箒のような形をした長い棒をはさんで両側に二枚。一枚にはわたしが、向こう側にはわたしに向かい合うようにして少年が立っている。しかも、手すりや命綱みたいなものは全くない。完全にバランス感覚だけで立っている。一歩間違えると、確実に下へと真っ逆さまだ。


 例えるなら、〝空飛ぶ箒〟。

 そんな場所に、わたしたちは立っていた。


「わ! わわわ!?」


「あんまり動かないでっ。コレ一人用なんだ!」


 動揺に答えるように、空飛ぶ乗り物は不安定に揺れる。慌てた様子の少年からそう叱られる。


 意味不明! 

 そう言いたい気持ちを押さえつけて、差し出された少年の腕を掴む。どうやらこれは体重移動で方向を変えているらしく、動くのを止めると揺れもすぐに止まった。


 顔を上げると黒い瞳と視線が交錯した。

 どちらからともなく、ほっ、と息をついた。そしてこれもどちらからともなく、自然と笑いが起こった。しばらくの間、乗り物を揺らさないようにクツクツと小さく肩を震わせる。


 三十秒ほど笑っただろうか。ふぅぅ、と深呼吸し少年が口を開いた。


「家まで送るよ。君の家は?」


「あ、その前に、わたしの使用人が森の近くで待ってるの」


「場所は?」


「あっち。まっすぐ東側」


「了解。近くまで飛んで死角に降りようぜ」


「摑まってて」その言葉と共に〝空飛ぶ箒〟は下降を始めた。



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