リトル・マーダー
てるてる
忍び寄る気配
第1話――リトル・マーダー
その日、ジャパリパーク南西部に位置する孤島は夏の模様を呈していた。降り積もった日差しに照らされた草木の緑はどこまでも鮮やかで、生い茂る自然は遮るものなく朝日の中で輝いていた。
彼女は岩礁に打ち上げられた残骸から這い出して、外へ出た。ずっと明かりのない所にいたせいか、真っ白な世界の日差しは目に痛いほどだった。眩しさに目を眇めながら、彼女は改めて周囲を見渡した。こじんまりとした入り江いっぱいに、折り重なるように大小様々な残骸が打ち上げられている。長年ここに放置されていたのであろう。塗料が剥げ落ちて剥き出しになった金属は赤錆びに覆われ、プラスチックとおぼしきものはボロボロととろけて融解していこうとしている。様々な物が腐るむせ返るような臭気。特に長年同じ場所で凝った磯の臭いは強烈だった。
普段の彼女なら、凄まじい臭いに耐えきれず両手で鼻を覆っているだろう。だが今の彼女に、そんな気はさらさらなかった。なぜならその両手は、抱え込んだ宝物で一杯だったから。
よっ、と助走をつけて飛び上がった彼女は、そのまま近くの木を目指す。
ここはパークの端、フレンズたちの住むところからも離れた僻地。行く当てなく散歩をしていて偶然見つけた場所だった。周囲には誰の姿もなく、地面には道の跡すらない。ヒトにとってもフレンズにとっても、完全なる前人未踏の地だった。自分だけの秘密の場所を見つけた気がして、彼女は自然と嬉しくなった。
そして、その秘密の場所で、私は素敵な物に出会った。
木の下に座った彼女は、腕一杯に抱えていた宝物を転がした。大小様々な曇ったガラスのような塊がゴロゴロと足下に転がる。そのうちの一つを手に取り、頭上の木漏れ日へとかざした。
太陽の光の中、その石はキラキラと青空のように輝いていた。手のひらに感じるほのかなぬくもりはまさに宝物の証しのようだった。
「よしっ」
彼女――ハシブトガラス――は頷くと、持ってきた宝物を一旦その場に置いて、再び残骸の方へ舞い上がる。残骸の中にはまだまだ宝物があるに違いない。もしかしたら、宝物を運びやすくする別の宝物も見つかるかもしれない。
嬉しい気持ちで一杯になりながら、ハシブトガラスは空から残骸を見渡す。私が見つけた素敵な宝物。たくさん見つけて、はやくみんなに恩返しをしないと。
――――
『リトル・マーダー』
――これは、人類がフレンズに遺してしまった絶望の物語
――――
頭上を追い抜きざま、手を振ってくれた鳥のフレンズに手を振り返しながら、彼女は眼を細める。早朝にも関わらず、すでにうだるような暑さだった。夏を前に、日差しも気温も日を追って強くなる。汗ばんだ首筋を撫でながら、こんな日でもフレンズは元気だなと彼女は苦笑する。
足下のアスファルトから立ち上ってくる熱気に追い立てられるように、彼女は歩いた。途中出会ったフレンズや従業員達に軽く挨拶をしながら通いなれた道を辿る。開店準備を終えて一息入れているらしい売店の従業員とフレンズに会釈をしつつ角を曲がり、海岸沿いの大通りの先にそびえ立つ大きな建物を見上げて足を止める。建物の名前は中央港。パークセントラルで最も大きな港で、本土とパークを結ぶ唯一の玄関口だった。一日に数千人の旅行客が出入りをし、何千トンもの資材の搬入が行われる、ある意味でパークでもっとも人でごった返すその場所こそ、彼女――ジャパリグループの完全子会社であるセントラルテック株式会社の警備員
アラシロが仕事を始めたのは数年前。学校を卒業してすぐに就職したのは、巨大動物園ジャパリパークの警備員だった。もとより動物好きだった自分は、かねてより動物に関わる仕事をしたいと願っていた。ジャパリパークでの就職を希望したのもその流れだ。ジャパリパークでの仕事は多岐にわたる。募集も当然多かったが、研究職は畑が違いすぎるし、パークガイドは人気が高くてとても手が出ない。妥協を繰り返すうちに、最終的に行き着いたのがこのジャパリパークのセキュリティ部門に位置するセントラルテック株式会社の常駐警備員だった。もともと本土の警備会社だったものが、パークの運営母体から業務を委託するようになり、そのままジャパリグループに買収されて完全子会社となったものらしい。パークガイドへの憧れがないわけではなかったが、それでも今のところ仕事を続けられてるということは、案外警備員もまんざらでもないのかもしれない。
ぼうっと中央港を見上げているときだった。遠くの方から聞こえてきた汽笛の音にふと我に返る。水平線の彼方に船の姿が見えた。おおよそフェリーと呼ぶには似つかわしくない巨体を誇るそれは、パークと本土を結ぶ定期船だった。恐らく旅行客で満員であろうそれは、切っ先を中央港に向けて真っ直ぐに突き進んでいた。
今日も忙しくなりそうだ。やれやれと苦笑しながらアラシロは中央港へと歩き出した。旅客用の豪華で巨大な発着エリアへ通ずるゲートを通りすぎ、従業員用の小さく簡素な入り口を目指す。入り口に差し掛かると、すぐそばの喫煙スペースで制服姿を男がタバコを吹かしているのが見えた。
「ああ隊長、おはようございます」
仮設椅子に腰掛けた同僚が立ち上がりかける。それは宥めながら、アラシロは気さくに手を上げる。
「おはよう。まったく今日も暑くなりそうだわ」
「まだ午前中なんですけどね」
「昼からもっと暑くなると思うと気が重いわ」
「俺もです。まだ夏本番じゃないってのに、こう暑いとへこみそうですよ」
「そう言うなって。どうせもう下番なんだから。家に帰れば明後日の勤務まで自由、羨ましいわ」
「そうは言っても、隊長だって明日の朝まで働けば交代じゃないですか。お互いそんな変わりませんて」
「それもそうか」
アラシロと同僚は声を出して笑う。仕事柄、女性の少ない職場なせいか、もともとの性分なせいか、アラシロにはどこか男勝りなところがある。アラシロ自身あまり気にしていないことだったが、同僚たちからは変に気を使わなくていいから楽だと変な意味で好評だった。
「ははは。それに、交代が来てくれたところで俺はすぐに帰れないですからねェ」
一頻り笑った同僚が、大きくアクビをしながら燃え付きそうなタバコを灰皿に押し付ける。その目元には、よく見るとうっすらとクマの跡が見えた。
「そういえばえらく寝不足だが、何かあったのかい?」
「あれ、隊長ご存知ないんですか? 昨日うちの派遣隊で火事があったんですよ」
「火事?」
思わず聞き返すと、同僚が眠たそうにうなずく。そういえば、夜中に遠くの方で消防車の音を聞いた気がする。念のため携帯電話を枕元に置いておいたのだが、結局朝まで何事もなかったため、てっきり会社と関係のない場所で起こったのかと思っていたが。
セントラルテック株式会社の警備員はパークセントラルの各施設に常駐している。参入している企業は独自の警備会社と契約している場合が大半だったが、研究施設や交通機関等のパーク運営側の施設はすべてセントラルテック株式会社の管轄だった。
「どこの派遣隊だったんだ?」
「病院ですよ。ジャパリパーク中央病院。そこで小火騒ぎが起こって、手の空いてた連中が応援に行ってたんですよ。ついさっき対応が終わって、やっとこっちに戻ってこれたんです。おかげで休憩も仮眠も全部吹き飛んだもんで、もう眠くて眠くて」
男はまた一つ大きくあくびをする。タバコが消えて分かったことだが、たしかに制服からは火事場特有の饐えた臭いが漂っている。
「もうすぐフェリーで本土から警官が事情聴取に来るもんで、それが終わるまで帰れないんですよ」
「それはまた、えらいご苦労だな」
「まあ、燃えたのは検体保管室とか言う誰もいないエリアだったんで、医者や入院患者に怪我人が出なかったのは幸いですよ。おかげでこうやってタバコを吸う時間が取れたんですから」
軽くねぎらいの言葉を掛けて、アラシロはドア横のカードキーをパネルに押し当てる。カタンと電子錠の外れる音を確認して入り口をくぐった。廊下を抜けて、女子更衣室へ入る。すでに着替え始めている同僚達に声を掛けながら、自分のロッカーから制服を取り出す。汗ばんだ服を脱ぎ、素早く制服を着ると、姿見の前へ移動した。紺色の長ズボンに、糊の効いた真っ白なワイシャツ。その上からさらにズボンと同色のジャケットを羽織る。襟を掴んでシワを正せば、胸元の階級章がキラリと輝く。髪をヘアゴムで纏めて制帽と呼ばれる黒いツバの付いた帽子を被れば、警備員姿になった自分が鏡の中にいた。普段の自分から仕事の自分へ。そう思うと自然、背筋が伸びた気がする。
着替えも終わり、更衣室を出たアラシロはふと自販機が目に留まる。交代時間までまだ時間がある。さっきの眠たそうな隊員に缶コーヒーでも買って行ってやるか。
缶コーヒーを二本手土産に先ほどの喫煙スペースに戻る。キンキンに冷えた缶を差し出すと、同僚は破顔してそれを受けとる。
「ありがたい。でも、せっかくならビールがよかったなぁ、なんて」
「ビールによく似た泡のでない飲み物なら売ってたよ」
「それ、どうせ麦茶でしょう」
「もちろん」
笑いながら、同僚がうまそうに缶コーヒーを飲み干す。
「そういえば、引き継ぎあるか?」
「いえ特には。例の火事以外、平和なもんですよ」
「そう。――そうだ、ハシブトガラスの件はどうなってる?」
アラシロが声を低めて尋ねると、「ああ」と同僚は苦笑する。
「あれから何もありませんね。スタッフやお客さんにも近づいてないみたいです。前に怒られたのが相当効いたみたいですね」
「これで少しは大人しくなってくれればいいんだけど」
「それはどうですかねえ。ずっと前にも一度お客さんの指輪を盗もうとして大騒ぎになったじゃないですか。で、今回はアイスクリーム。またそのうちやらかすんじゃないですかね」
「見た目こそ人間だが中身は動物のまんまだから。盗んだというより興味があって持って帰ろうとしたって話だったし、まったく、本人に悪気がないだけにタチが悪いな」
同僚と二人して頷きあってるときだった。遠くの方から集団でやってくる足音が聞こえてきた。何事から思っていると、足音の迫ってくるほうの建物の影からスーツ姿の男女たちがぞろぞろと現れた。彼らはアラシロたちに迫ると、先頭に立ったリーダー格とおぼしき神経質そうな中年男がじろりと二人を見下ろす。
「貴様らはここの警備員か」
とても初対面だとは思えない、横柄な態度で男は言い放つ。「ああ」と憮然とした様子で返事をしたのは同僚だった。
「そうですけど、何かご用でも?」
「責任者を出してもらおう」
「私はご用件をお伺いしてるのですが?」
「お前じゃ話にならん。いいからさっさと責任者を出せ」
「何を――」
「やめておけ」
食って掛かりかける同僚の肩を押さえて下がらせ、アラシロは男の前に立つ。
「セントラルテック株式会社、中央港派遣隊所属のアラシロ、マイです。隊長をさせてもらってますんで、責任者というと私になるかと」
「ほう」
男はアラシロを上から下まで舐めるように眺め回す。「はっ」と鼻で笑い、いかにも見下げ果てた顔で首を振る。
「女なんかが責任者とはな。信用できんな」
「んだと――」
「やめろ。命令だ」
同僚が腕を振りかざして詰め寄りかける。アラシロはそれを言葉短く制止すると、通用口のほうを指差した。
「戻っててくれ。私が話をする」
「でも隊長」
「いいから。ここは私一人で大丈夫だから」
「……了解」
何かを言いたげにしながらも、素直に指示に従った同僚は、乱暴にタバコを灰皿に押し付けると肩をいからせてドアをくぐっていった。
「おまけに部下のしつけがなってないときたもんだ」
「要件はなんですか」
男の嫌味を無視して、アラシロは話を続ける。男は一瞬鼻白んだように顔をしかめるが、すぐに表情を戻す。
「ここ一ヶ月間のパークへの入場者の点検記録を至急提出してもらいたい」
「入場者の点検記録、つまり出入管理のログということですか?」
「貴様ら警備の連中がなんと呼んでるのかは知らんが、そうだ。荷物検査の記録用紙から監視カメラの録画データも含めて、すべて提出してもらう」
男の言葉に、アラシロは内心で首をひねる。
ジャパリパークと外界とを結ぶ唯一の玄関口である中央港には、それこそ膨大な人間が出入りする。それは職員や業者など特定可能な者から、観光で訪れる旅行者や国内外から集まった研究者など不特定多数の一般人まで多岐に渡る。アラシロたち中央港に勤務する警備員は、それら来訪者に対してパーク運営側から指示されたチェックリストに基づく厳格な点検を行うことを任されている。
ジャパリパークという特殊な環境もあり、点検はそれこそ国際空港の税関のような厳しいものが執り行われている。そして、その記録はすべて事案発生に備えて保管されている。
男が言ってるのはその記録のことだろう。
「たしかに記録はこちらで保管しています。すぐにお渡しすることもできます。ですが、出入管理ログはお客様の個人情報を含んでいますので、申請に関する書面を提出していただけないで――」
「おい」
アラシロの言葉を遮って、男は後ろに控えた部下らしき男女に顎をしゃくる。一人が前に出ると、アラシロに書類を突きつけてきた。そこにはパーク運営本部からアラシロの会社へ記録提出を依頼したこと、それを会社が許諾した旨が記載されていた。そのほか関係各所からなる様々な名前が記されている。
「書面だ。これで十分か?」
「ええ、結構です」
アラシロは書類を受け取った。
「すぐに用意します。ところで、使用の目的を伺ってもよろしいでしょうか」
「どうしてそんなこと貴様に言わねばならんのだ」
「報告書に必要ですから」
「適当に書けばいいだろうが。たかが子会社に言えるわけがないだろう。貴様ら下請けは大人しく我々ジャパリパーク側の命令に素直に従ってればいいんだ」
そうですか、とアラシロは声を荒げる男を見る。つくづく腹の立つ野郎だ。内心の苛つきを隠すように拳に力を込める。
「では、せめて名前だけでも」
「……ガドウだ。これで十分か? 満足したらさっさと行け」
「わかりました」とアラシロはガドウと名乗った男に頭を下げて通用口を潜った。刺すような視線をドアの向こうに置き去りにし、アラシロはやれやれと息を吐く。近くで見ていた先程の同僚も同じく重たい息を吐いた。
「なんなんですか。アイツ」
「さあな。このジャパリパークにもああいう輩はいたってことだろう」
「だからってあんな上から目線。こちとらパークから委託された仕事をこなしてるだけだってのに、文句があるなら契約を切ればいいんだ。ったく」
「怒るなって。これも仕事だ」
アラシロが宥めるも、同僚の怒りは収まらないらしい。憎々しげにガドウに対する怒りを撒き散らしている。ここまで溜飲を溜め込んでおいて、よく殴り掛かったりしなかったものだと感心する。
「しかし、なんだってアイツら、出入管理の記録なんか欲しがってるですかね」
「さあな。この紙にもデータを寄越せとしか書いてないからな」
「まったく、それでよく会社は許可したもんだ。――あーあ。理由もわからないままお客様の大事な個人情報を流したりなんかして、うちの会社ともどもマスコミにでも叩かれないかねえ」
「あのなあ。そうなったら私もお前も路頭に迷うことになるぞ」
吐き捨てるように通用口を一瞥する同僚に苦笑しながら、アラシロはガドウの寄越した書類に視線を落とす。
「――まあ、最悪理由くらいなら分かるかもしれない」
「……どうしてです?」
振り返った同僚は怪訝そうな表情でアラシロを見た。
「何か宛でもあるんですか?」
「ま、そんなとこだ。これ、やるよ。私のために怒ってくれたお礼だ」
アラシロは不適に笑うと、同僚に最後の缶コーヒーを押しつけてデータの保管してる警備室へ向かう。廊下を歩きながら、アラシロは書類の内容を改めて矯めつ眇めつする。書類に記載された関係各所の名。そのなかに一つだけ、アラシロのよく知る人物が所属している部署があった。それは――
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