015 デッドエンド・ローグ
「まさか《ヴァイツァ・ダスト》が発動するってことはないわよね」
「ああ。これで本当に終わりだよ、たぶん」
伴動さんのよくわからない問いに、僕は適当な答えを返す。
「多分ってなんだよ、多分って。いい加減これで仕舞いだろー」
乱暴な扱いを受けた車椅子をいたわるように、天照さんがゆっくりと車輪を回しながら近づいてくる。
「ありがとう天照さん。助かったよ」
「だろ? あいてて」と、まともに蹴りを受けた腹をさする。
傍目には死んでもおかしくないような蹴りだったが、鍛えてるというだけあってきっと身体も頑丈にできているのだろう。
「あたしはもう動くこともできなかったからな。ダメ元っつーか、ほとんどヤケクソだったんだけど、まさかこいつが動いてくれるとは思わなかったぜ」
そこは僕も気になっていた。どうして天照さんは『念動力』を使えたのか、と。
「さっきの薬の効果がまだ続いていたのかな」
「それはねーよ。注射打ってから一分くらいで効果は切れるはずだからな。でもあの時はなんか知んねーけど、力が使えんじゃねーかって思ったんだよな」
「各務くん。薬なしで力を使ったのは彼女だけじゃないわ」
と、伴動さんが倒れている上井出に視線を送る。
彼女の言うように、例外というならもう一人、上井出もそうだった。しかも彼の場合は能力そのものが変わっていた。
「まあ、その辺のことは後にしよう。それよりまず、これからどうするかだけど」
辺りを見回すと、まさに死屍累々という有り様だった。
破壊され散乱しているテーブルや椅子。床や壁は穴ぼこだらけ。
六人のうち、僕たち以外の三人は気を失っていた。玖恩さんと上井出は幸い命に別状はなさそうだったが、手当ては必要だろう。玖恩さんの怪我の具合もだが、上井出は精神にも相当な負荷がかかったはずで、重大な影響が残っていないかが心配だった。
そして――
「こいつ、どーする?」
と、天照さんが視線を落とす。
夜夢瑠々は仰向けに倒れたまま死んだように動かない。右腕の止血だけはしておいたので死ぬことはないだろうが。
「動けないようにして部屋に閉じ込めておくしかないだろう。それから朝まで全員でここで固まって過ごす。もう何も起こらないと思うけど、上井出と玖恩さんを放っておくわけにもいかないし、念のためだ」
「だな。じゃあ早速こいつをふんじばって――」
その時、入り口の方から扉をノックする音が聞こえ、見ると、カズが扉に寄り掛かるように立っていた。
「よ、お疲れ」
場違いなほどに軽い口調で言って手刀を切る。
「お疲れ、じゃねーよ! どこ行ってやがったんだてめーは!」
多分ずっとそこにいたよ、とは言わないでおく。
カズも天照さんには答えず、手に持っているものを僕たちに見えるように掲げた。
「想介、お前に頼まれてたこいつ、見といたぜ」
指でつまむように持っているのは、焼き切れたミサンガだった。ここに来る前、僕からカズに頼んでいたのだ。残り一回分の『残留思念』でそのミサンガの記憶を読んでほしいと。
生前の美來の、最後の記憶。焼き切れてはいても燃え尽きてはいないのだから、その記憶もまだ消えずに残っているはずと思ったのだ。
犯人に繋がる情報が残っていた可能性もあった。しかしそれをカズに読んでもらうという提案が、僕にはできなかった。
もしも生きながら焼かれる苦しみの記憶が残っていたら。殺される恐怖が、助けを求める声が残っていたら。それを知る勇気が僕にはなかったし、あまつさえカズに読ませるなんて残酷なことを、どうしても言い出せなかったのだ。
決心がついたのは、やはり伴動さんの言葉のおかげだった。
「何か見えたのか?」
「お前の言う通り、残ってたよ。美來の記憶がな」
「本当か! ……どんな記憶だった?」
カズはどこか達観したような目を僕に向けたまま黙り込んだ。それを怪訝に思いながらも待っていると、やがて観念したように口を開いた。
「想介。俺はお前を尊敬するぜ。俺が絶対に無理だと思ってたことをお前は成し遂げちまったんだからな。今回だけじゃねえ、初めて会った時も、壁の上に登った時もだ。俺じゃあいつにあんな顔はさせてやれなかった」
「……カズ?」
「実際すげえ奴だよお前は。俺はお前が死ぬことも覚悟してたんだぜ。だがお前は夜夢をぶちのめして、極めつけがこのミサンガだ。結果的に、お前は答えに辿り着いた」
「さっきから何の話だ? 答えってなんだよ」
「このくそったれなゲームの真実だよ。それがこいつに隠されてる。想介、お前にそれを知る覚悟はあるか?」
にわかに鼓動が高鳴る。期待、ではない。これは不安だ。
いったいミサンガにどんな記憶が残っていたというのか。
「……当たり前だろ。もったいぶらずに教えてくれ」
カズはまたじっと何かを考えるように黙っていたが、「わかった」と呟くように言った。
「約束だからな。教えてやる。耳の穴全開にしてよく聞いとけよ。忘れないようにな……このミサンガには、二人分の記憶が残っていた」
「二人?」
「贈った人間と、受け取った人間の記憶だよ」
僕は狐につままれたような気持ちになった。贈った人間とは、美來にプレゼントした人間ということか。しかしこれは美來が自分で作ったミサンガのはずだ。
いや、待てよ。確か美來はこう言っていた。二つとも自分がつけるわけではない、どちらもプレゼントになるのだと。つまり、美來がもらったのではなく、美來が誰かに贈るために作ったミサンガということか?
美來がプレゼントを、誰に、何のために? 祝われるのは美來のはずなのに。
そこで僕は唐突に思い出した。先ほど夜夢と対峙した時に、彼女のふとした言葉に違和感を感じたのだ。その正体が今、はっきりとわかった。
夜夢は、「いきなり黒焦げ死体が現れたら面白いと思ったから華雅を操った」と言っていた。だがそれはおかしい。
なぜ夜夢は、華雅がパイロキネシスだと知っていたのか?
あの時点では互いの能力を披露していない。特に夜夢は、それまで他の人間と顔を合わせたことすらなかったはずだ。
何かがおかしい。何かが……狂っている。
自分の見ている世界が、すべて紛い物のように思えてくる。
偽物。作られた世界。まるで白昼夢を見ているような。蜃気楼に包まれているような。
「カズ―ー」
混乱したまま僕が口を開いた、その時だった。
視界の隅で、突然、何かが動いた。
「あ、てめえ!」
天照さんが車椅子を回転させて身構える。
「ふ、ふふふふ」
夜夢瑠々が立っていた。顔中を血まみれにして、両目は塞がれ、それでも笑いながら。
あれだけ血を流しておきながら、まさかこんなに早く起き上がるとは。しかしもう抵抗する力は残っていないはずだ。
「動くな! もうどう足掻いても勝ち目はないぞ」
「……動くな? ウゴクナうごくな。あは。あはあ。はははっ、はははは。あーーーーーっははははははははははは!!」
壊れたラジオのように、夜夢が笑い狂った。理性で抑えつけていた彼女の中の狂気が溢れ出したように。完全にタガが外れた人間の笑いだった。
「〝止まれ〟とか〝動くな〟って、それはカガミンではなく伴動さんの台詞だろう? あははっ、あはははは。天照さんにしろ上井出くんにしろ、薬なしで力を使うなんて卑怯だと思ってたら、そういうことだったのか。私にはすべてわかってしまったよ。まったく愉快痛快、傑作中の傑作だ!」
「話を聞いていたのか?」
「思い出したのさ。たぶん君が殴ってくれたおかげだ。自分でも狂ってしまったのかと疑ったけど、吾棟くんの話を聞いて確信した。私たちは全員が子供騙しの手品に引っ掛かっていたんだよ!」
「さっきから何言ってんだ、てめー? シリケツレツだぞ」
それは痛そうだが、突っ込んでいる場合じゃない。
「私たちは揃いも揃って同じ幻覚を見ていた、いや、見せられていたのさ」
「幻覚?」
「ああ。私の目論見はもうとっくに破綻していた。君と吾棟くんの手によってね。そうとは知らずに私ときたら、道化もここに極まれりだよ!」
駄目だ、まるで話についていけない。カズに続き、夜夢が何を言っているのかひとつも理解できない。まるで推理小説の謎解き部分だけを飛ばしてエピローグを読まされているようだった。
「でもまあ、満足したよ。私の望んだ形とは違ったけど、これはこれでひとつの終着点なんだろう。くだらない人生だったが、終わらせ方としては悪くない」
「……お前、まさか」
「まさかってことはないだろう。道化だろうと、殺し合いのゲームを挑んだのはこの私だ。それに負けたのだから、決着は私の命をもって以外にあり得ない。君はただ勝利を喜べばいいのさ。私も愉しめたしね。惜しむらくは最後になって未練ができてしまったことだけど、まあ仕方がない。好きな映画の続編を生きているうちにすべて観終わるなんて望むべくもないのだから」
その時だった。
何の前触れもなく、カズが夜夢の方へと歩き出した。ゆっくりと、しかし迷いのない足取りで。まるでそうすることが当たり前だというように。
「生来、私は死というものに対してしか興味を持てない欠陥人間だった。死を悟った時の絶望、恐怖、生への執着。親しき者の死に対する悲しみ。殺してやりたいと願うほどの憎しみ。それらだけが私にとってのリアルだったし、私にはそれを現実のものにする力があった。言い訳をするつもりはないし悔いもしない。ただ私はそういう人間で、そういう風に生きて、当たり前にここで果てる。それだけだ」
カズは夜夢のすぐ前で立ち止まった。
「だから吾棟くん。君の手で終わらせてほしい。いや、そうしなければならない。それは君の役割なのだから」
その言葉で僕はようやく、何が起ころうとしているかを悟った。
「最期に君たちに言い残すことがあるとすれば、そうだな――」
「駄目だカズ!」
カズがゆっくりと手を伸ばし、塞がっている夜夢の右瞼を無理やり開いた。血に染まった瞳が露になる。
あり得ないことだった。もう夜夢が能力を使えるはずはない。
だが、そのあり得ないことがつい先ほど起きたばかりだ。上井出の件、天照さんの件。二つの事例から導き出される仮説――薬がなくても能力は使える。
「人生は、楽しんだ者勝ちだ」
夜夢が言い終わるのと、僕の手がカズに届いたのはほぼ同時だった。強く肩を引くと、カズはよろけるように後退した。
だが、すでに手は下されていた。
まるで魂が抜け落ちた抜け殻のように、夜夢瑠々の身体はあらゆる支えを失い、ゆらりと、重力に身を委ねて崩れ落ちた。
「お、おい。どうなってんだよ?」
天照さんが戸惑いの声をあげる。
カズは夜夢に触れてすらいなかった。なのにどうして夜夢が倒れたのか。
しかしそれ以上に、僕は別のことに気を取られていた。薬がなくとも力が使えるというのならば、今この時の僕もそうであるのに違いなかった。
肩に置いた手から、カズの感情が僕の中に流れ込んできていた。
カズと美來に対してだけは力を使わない、それは僕の誓いだった。なのに何故、今このタイミングで。
「想介」
カズが振り返り、僕の名前を呼んだ。
瞬間、頭の中にひとつの考えが浮かび――
僕は走り出した。
「各務くん!」
伴動さんの声が追いかけてきたが、足は止まらない。
食堂を飛び出し、裏庭へ続く出口へと駆け寄る。金属製の扉のノブを回すと、扉はあっけなく開いた。
外に出る。すっかり太陽は落ちて辺りは暗く、中庭に積もった雪がうすぼんやりと光を放っていた。空には小さな粒雪が舞い、突き刺すような冷たい空気が身体を包む。
雪の上をがむしゃらに走る。
疑惑はほとんど確信に変わっていた。
何かが起こったのだ。僕の知らない何かが、ここで。
その答えは、この先に待っているはずだった。
中央棟の正面入り口にも鍵はかかっておらず、中に入ると、上井出の報告の通り、人の気配が一切なく閑散としていた。非常灯だけが点灯していて薄暗い。
職員用宿舎の方へと急ぐ。通路を進むうちにその匂いが漂ってきた。つんと鼻孔を突く、つい最近嗅いだことのある匂いだ。
職員用宿舎への入り口、厳重なロックがかけられているはずの扉は、その機能をまるで果たさない金属の塊になっていた。鉄球で殴られたようにぼこぼこに凹み、ひしゃげ、そして中央には削り取られたような真円の大穴が開いていた。
異臭の出どころはその穴だった。
穴をくぐり抜けると、そこはロビーのような空間だった。脇にエレベータがあり、正面には通路が宿舎の奥へと伸びている。
予想通り――いや、予想以上の地獄絵図が広がっていた。
辺り一面の、人間の死体。
かろうじて元は人間だったと判別できるほどに焼き焦げた黒い塊が、そこかしこに散らばっている。
こみあげる吐き気を堪え、死体の間を縫うように歩を進める。
生きている者は一人もいなかった。
火事ではない。燃えているのはあくまで人間だけで、それ以外の建物や家具は焦げ跡ひとつついていない。見覚えがある。これは……『パイロキネシス』。
ふと、ある物に目が留まる。
見覚えのある赤いハイヒールだった。落ちているのはそれだけで、所有者であるお姉さんの身体は見当たらない。手に取ってよく見ると、煤のようなものがこびりついていた。
その時、背後から気配を感じ、振り返ると、扉の前にカズが立っていた。
「ひでえ有様だなこりゃ」
辺りを見回しながら近づいてくる。
「想介。俺の目を見ろ」
投げかけられた言葉に抗うように僕は目を逸らす。
今度こそ僕はパニックを起こした。
呼吸ができない。苦しい。視界が歪む。圧倒的な違和感。地に足がついていない感覚。
耐えられない……もう……駄目だ。
「あ――ああああああっ、あぁああああああああああああああああああ‼‼」
いっそ狂ってしまいたいほどの絶望が腹の底からこみ上げて来て、僕の口から迸った。
死者の静寂で満たされた宿舎を絶叫が埋め尽くす。
それが今日という異常なる一日の終わりの光景。
救いのない物語の、救いのない幕切れだった。
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