016 潤いの代償
何が「今なら危険はない」だ。こんなことが万が一にも起こらないようにツーマンセルを組んだっていうのに。
角を曲がると、長い廊下には誰の姿も見えなかった。天照さんの言を信じるなら、華雅はまだ一番奥の空き部屋にいるはずだが……。
一番手前の自分の部屋を通り過ぎ、その隣の部屋の扉にかじりつく。
ノブを回すと、鍵はかかっていなかった。
「伴動さんっ!」
勢いよく開け放った扉の向こう、殺風景な部屋の中に〝それ〟は現れた。
目の前の光景に思わず息を呑む。
これ以上見てはいけない。見たらダメだ。
わかっているのに、僕の目は釘付けになってしまって離れなかった。
伴動奏子の、変わり果てた姿から。
「いやああーっ!!」
廊下中に悲鳴が轟く。
ただしそれは僕のものではなく、追いついてきた誰かのものでもなく、変わり果てた姿――下着姿の、つまりは着替え中の伴動さんの悲鳴だった。
「よかった、生きてた……」
全身から力が抜けていく。
「ちょっと、いつまでそこにいるの! 早く出て行って!」
「あ、ごめん」
怒声を浴びせられ、呆けた顔で振り返った僕の目に飛び込んできたのは、猛烈な勢いで突っ込んでくる車椅子だった。
「各務ぃー!!」
「ぐえっ」
正面から体当たりを受け、仰向けにひっくり返る――あられもない姿の伴動さんが視界にカムバックし、再び伴動さんが悲鳴を上げる。
「てめーが犯人だったのか各務! 伴動ちゃんはやらせねーぞ!」
僕を轢いた天照さんが叫ぶ。
どうやら僕が伴動さんを殺そうとしていると勘違いをしているらしい。無理やり部屋に押し入って、直後に悲鳴が上がったのだから、そう思われても無理はないか。
「誤解だ! 話を聞いてくれ!」
「うるせー! てめーのことは信じてたのによー!」
激昂した天照さんが車椅子で器用にマウントポジションを取ってくる。脱出しようともがく僕の顔に、女の子の攻撃とは思えないほど硬く重い拳がめり込んだ。
「痛い痛い! 違うって! 僕は伴動さんを助けに来たんだよ!」
「あん? どういうことだ」
振り下ろされた拳が止まる。
「君と華雅が別行動してるって言うから、一人でいる伴動さんが危ないって思ったんだよ。いきなり扉を開けたのは悪かったけど、襲おうとしたわけじゃない!」
「そうなのか、伴動ちゃん?」
急いで着替え終わった伴動さんは、まっすぐに僕を指さした。
「その人が犯人です」
「おおい!?」
その後、しこたま殴られて「つまらない人生だった」と半生を振り返っている頃、騒ぎを聞きつけてやってきたカズたちに助けられて僕は九死に一生を得た。
「わりーわりー! てっきり伴動ちゃんを殺そうとしてんのかと思ったからよー」
天照さんがあっけらかんと笑いながら謝ってくる。
殴られた部分をさすると、こすった手の甲に血がついていた。殺されるかと思ったのはこっちの方だ。
「いや、何の説明もしなかった僕も悪いし……ていうかこっちこそごめん、伴動さん」
「謝って済むなら死刑台は要らないわ」
当然ながら伴動さんはまだ怒っていた。
女子の部屋にノックも無しで突入したのだから罪に問われても致し方ないとは思うけれども、言い訳をさせてもらえるならば、まさか着替えているなんて思わなかったのだ。彼女は「トイレに行く」と言って部屋に戻ったのだから、部屋の扉を開けたところで見てはいけないシーンに遭遇するなんて思わないじゃないか。
言葉通りの行動をしないのは男子と女子の違いなのか。その辺はよくわからないけれど、「どうして着替えていたのか」と問うことはきっと罪を重ねる行為だろうから控えておく。自分にデリカシーというものが欠如していることは自覚しているつもりだ。
さておき、顔を赤くしてむくれている伴動奏子という世にも珍しいものが見られたのは少し得した気分だったりする……
って、今はそんな場合じゃなかった。
「天照さん、一緒に来てくれ!」
「あん? どこにだよ」
天照さんはきょとんとした顔で首を傾げる。
「華雅のところに決まってるだろ。一人にさせておけない」
僕の言葉に、天照さんの顔が強張る。
「……でもよ、上井出は外に行ったんだろ? 他の全員ここにいるんだし、別にいいじゃねーか」
「僕らが何のために二人一組で動くことにしたのかを忘れないでくれ。まだ危機的状況を脱したわけじゃないんだ、せめて決めたルールだけは厳密に守りたい」
「リオンのこと疑ってんだろ?」
天照さんに鋭い視線を向けられ、思わず言葉に詰まる。
「図星だろ? お前、自分が犯人を見つけるとか言ってたけどよ、ハナからあいつを疑ってかかってんじゃねーのかよ」
「……そうじゃない。天照さん、ただ君が君のパートナーと合流するっていう当たり前の話をしてるだけだ」
「わあったよ」
ようやく折れた天照さんが、不貞腐れた顔で部屋の出口に向かう。
一瞬でも動揺してしまったことを反省しながら後を追う。
「行こう伴動さん」
「それは命令?」
そう訊いてくる伴動さんの表情は、いつもの鉄仮面に戻っていた。
「命令じゃない、お願いだ」
「そ」
そのお決まりのやり取りの意味がわからないのだろう、呆気に取られている一同を置いて、僕たちは伴動さんの部屋を飛び出した。
***
空き部屋に足を踏み入れると、華雅の姿は見えなかった。
「ありゃ、どこ行ったんだ? おい、リオン!」
天照さんがトイレやクローゼットの扉を開けて回っている間、部屋の入り口で身構えていると、伴動さんが後ろから袖を引っぱってきた。
「あれ」
彼女が指さしたのは、白いシーツが被せられているベッドだった。よく見ると、ベッドの下の隙間からちらちらと銀色の髪が見え隠れしている。
「……何してるんだあいつ」
天照さんに耳打ちし、三人で遠巻きにベッドを取り囲む。
「もういーかい!」
「……まーだだよ」
律儀に返してきた。
「もういーかい」
「まだだってば」
「もういーかい」
「まだだっつってんだろ!」
いきり立つ小型犬のような勢いで華雅がベッドの下から飛び出してきた。
「がるるるる」
威嚇の仕方も犬だった。
「リオン、いくら何でもかくれんぼは卒業しろよ。お前ももう年長だろー」
天照さんが呆れた様子で言う。
「かくれんぼじゃねえよ! あと園児でもねえ!」
「ベッドの下に潜って何をやってたんだ?」
僕がそう訊くと、華雅は不貞腐れたように顔をそむけた。
「別に、俺なりに何か手がかりがねーか探してただけだよ。このままじゃ俺が犯人にされちまうからな」
「おお。そいつは感心だなー!」
天照さんが華雅の背中を強めに叩く。てっきりまた喧嘩になるのではと危ぶんだが、華雅は「いてーな」と呟いてそっぽを向いただけだった。
……なんか二人、仲良くなってないか?
不覚にも和みかけたが、華雅の単独行動は見逃せない。たとえば華雅が犯人だとしたら、この部屋に自分に結びつく手がかりが残っていないかを確認しに来たか、あるいは証拠を隠滅しに来たとか、そういう可能性が考えられる。
しかし華雅の表情や声から感じるのは、そうした焦燥や不安というよりも……
混乱?
そうだ。華雅は混乱している。戸惑っている……何に対して?
――と、その時。
「探し物は見つかったかい?」
いつの間にか、夜夢さんが部屋の入り口に立っていた。
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