第三章 異能たちの饗宴
001 君を連れて、牢獄を抜けて
あれはいつの出来事だったか。
夜の外出禁止時間帯に、美來を寄宿舎から連れ出したことがあった。珍しく塞ぎこんでいる美來を励まそうと、カズと二人で計画したのだ。
「えっ、今から!? だってもうすぐ鍵締まっちゃうよ!?」
「しっ、声がでかい」
「もがっ」
とっさに美來の口を塞いで周囲を警戒するが、幸い廊下には誰の姿も見えなかった。
職員は消灯後の見回りの時間までは来ない。だから見られてまずいのはこの場合、他のメンバーだ。通報でもされたらそれで終わる。
「大丈夫だ、ちゃんと準備してあるから。僕たちを信じてついてきてくれ」
そう言い聞かせるが、美來は気乗りしない様子だった。
「でも……勝手なことしてバレたら、また嫌われちゃうかもだし……」
「いっちょ前に落ち込んでんじゃねえよ、馬鹿」
カズの言葉に、美來が気色ばむ。
「誰が馬鹿よ!」
「木花美來、十七歳」
「フルネームで! そ、それが落ち込んでるお友だちにかける言葉なのかな!?」
「励ましてやってんだ。おかげで元気になったじゃねえか」
「うみぃぃ……もう、絶対行かないからっ!」
と、頬を膨らましてそっぽを向いてしまう。カズのショック療法も今日のところは逆効果のようだった。
僕は美來の腕を取った。
「えっ」と驚く美來を無理やり立ち上がらせると、そのまま腕を引いて歩き出す。
「ちょっと想介!?」
「いいから」
それでようやく諦めたのか、抵抗せず大人しく後を付いてきた。
中庭への通用口に到着した時には午後六時四十分をまわっていた。あと二十分で自動ロックがかかり、出入りは不可能になってしまう。
「ねえ、こんな時間に外にいるの見つかったら怒られちゃうよ」
いつもなら率先してはしゃぎだしそうな状況なのに、やはり美來は不安そうにしている。
「心配するなって」
裏口の扉をそっと開け、美來の腕を引いて外に連れ出す。
最後に扉を出たカズが、扉が完全に閉まらないように小石を挟んで細工をする。これで少しでも時間が稼げるはずだ。
外はもう真っ暗で、灯りもないため辺りは闇に包まれていた。風がないため寒さは感じないが、音が遠くまで届くため注意しなくてはならない。遠くの方でチラチラと光が揺れているのは見回りの警備員だろう。
「ねえ、どこに行くつもりなの? こんな夜更けに、女の子を無理やり拉致して」
「誤解を招く言い方をするんじゃねえ」
「正解だと思うけど」
「二人とも、静かに」
懐中電灯の光がこちらを向いた。……こちらに近づいてくる。
「うわわ、見つかっちゃうよ」
「大丈夫、こっちだ」
腰を沈めたまま、足音を立てないように近くの茂みに移動する。
見回りについては事前に調べてある。警備員の顔、勤務態度、曜日ごとのシフト、ルート、死角となる場所、などなど。その成果として、今の時間から扉が施錠されるまでのわずかな時間に限り、作戦実行可能であることがわかったのだ。
息を殺して懐中電灯の光が通り過ぎるのを待つ。向こうは僕たちがこんなところに隠れてるなど夢にも思っていないだろうから、こちらが目立つような真似をしなければ見つかることはまずない。
「へくしゅっ!」
「………………」
「てへ」
こいつ、やりやがった。
懐中電灯がこちらに向き、すぐ目の前の茂みが照らされる。
「誰かいるのか!?」
います。とびっきりのドジっ子がここに。
ハンズアップして出て行きたくなるのを堪え、美來にスリーパーホールドを極めているカズに目で合図を送る。
ちっ、と舌打ちをして、カズが僕たちが向かおうとしている方向とは逆方向に駆け出した。
目と鼻の先の距離まで近づいてきていた守衛は、茂みから突然飛び出した黒い影に驚いて小さな悲鳴を上げた。
壁に囲まれているとはいえ深い山中、人間以外の動物だって当然いる。とっさに人間かどうか判別できなかったのだろう、しばらく躊躇していたが、やがてカズの後を追って行った。
これも事前に決めていたことだった。
万一見つかりそうになったら、カズが囮になって引き付ける。その間に僕は美來を連れて目的の場所まで急いで辿り着く、と。
能力が使えるのなら僕が囮役として適任なのだろうけど、そういうわけにもいかない以上、身体能力の高いカズに任せるしかない。
「行くぞ。もうくしゃみはするなよ、頼むから」
「ぐしゅ」
カズの犠牲を無駄にするわけにはいかない。
僕は着ていたコートを美來に着せると、その手を引いて夜の森を駆け抜けた。練習で何度も何度も通った道だ、身体がルートを覚えている。
すぐに南側の壁付近に到着した。時間もまだ余裕がある。
目を凝らすと、南側担当の守衛が予定通りの人物であることを確認した。
小太りの若い男だ。帽子を斜めにずらして被っている。
この男の熱心とはいえない勤務態度には下調べの段階で目をつけていたのだが、期待通り、壁にもたれかかって居眠りをしてくれていた。こちら側の壁には出入り口もなく、鬱蒼とした森があるばかりで見通しも悪いため、サボるには格好の場所らしい。
「ねえ、どこに向かってるの?」
「美來が行きたがってたとこ」
堂々と守衛の前を通り過ぎると、前もって近くの木に括りつけていたロープを下ろし、先端の輪っかになった部分を思い切り、壁の上に向かって放り上げる——が、なかなか上手くいかない。練習はしてきたが、いかんせん暗いため目標との距離感がつかめないのだ。
「ねえ想介、もしかして、壁を登るわけじゃないよね?」
「そうだよ。見りゃわかるだろ」
美來は目を丸くして絶句した。
「……前もって準備してたの?」
「もちろん。やっつけ本番でこんな行動に出るほど無謀じゃない」
「私に内緒で? いつから? どうして?」
「まあまあ」
四回目の投擲でようやくロープが引っ掛かった。結び目で長さを調整し、ぴんと張る。
あとは登るだけだ。もっともロープを登るというのは意外と難しく、ここが作戦中一番の難所だったりするのだけど。
と、その時。
「おい、起きろ!」
男の声がして、とっさに木陰に身を隠す。
声の方を覗くと、いつの間にか守衛がもう一人立っていて、寝ている守衛を起こしているところだった。
「……ふが? なんだよ、まだ見回りの時間じゃないだろ?」
「さっき中庭で人影を見たんだよ。侵入者か、ガキが逃げたのかもしれない」
声を荒げているせいで会話の内容が筒抜けだ——察するまでもなく、カズを追っていった守衛だった。
「見間違いじゃないのか?」
「わからん。追いかけたが、この広い庭を一人で探すのは無理だ。お前も手伝ってくれ」
「なんで俺が。まず上に報告すべきだろ」
「まだそうと決まったわけじゃないし、下手に騒ぎ立てるわけにはいかないだろ。ガキ一人なら俺たちだけで充分だし、捕まえたらボーナスだってもらえるんだ、悪い話じゃないはずだ」
「ちぇっ、面倒押しつけやがって」
なるほど、そういうことか。
しかしよりにもよってこちら側に応援を求めに来るとは、想定外だ。
「想介、どうするの?」
傍にうずくまっている美來が小声で囁いてくる。
「どうもしない。あの様子だと二人ともカズの逃げた方向へ戻るだろうから」
「ってことは、つまり?」
「無視だな」
「虫!?」
突然の叫び声に、守衛二人の話し声がぴたりと止む。
「………………」
「…………てへ」
こいつ、やりやがった。
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