006 ひとつ屋根の下の九人
ガチャリ——と。
配膳係の職員とすれ違うように、食堂に一人の少年が入ってきた。
絵に描いたようなハーフの美少年。
パッチリとした目鼻立ちにサラサラの銀髪。身長は百六十センチにも満たない小柄。ハーフなら肉体的な成長も早そうだから、歳は十三か十四といったところか。
華にして雅。名は体を表すというけど、この絢爛な名前に外見が負けていないのはたいしたものだ。
ただし、中身が外見を裏切っていた。
「ああ、なに見てんだよ。なんか文句あんのかよ?」
僕の視線に気づいて毒づいてくる。
カズの熟成された口の悪さとは違い、華雅の場合はまるで反抗期の子供といった感じで、誰にでもこうやって噛みついてくるのだ。
目が合っただけで凄んでくるなんて、まるで街の不良少年か狂犬だ。
ただし彼が狂犬になりきれないのは――
「キャンキャン吠えんなよリオン。お前のボーイソプラノじゃ凄んでも怖くねーぞ」
と、僕の気持ちを代弁してくれたのは、華雅に続いて食堂に入ってきた女子だ。
ボーイッシュなショートヘアー、力強い眉に釣り目がちの大きな瞳、この季節に露出度の高いタンクトップ姿。いかにも活動的なルックスの彼女だけど、外見的特徴として一番目を引くのはその車椅子姿だろう。
先天的なものか事故などによるものか、その事情は知らない。
「なんだよアマテル。いつも絡んできやがって、うぜーんだよ!」
がしゅっ。
華雅が言い終えるのと同時に彼女の姿が消え――次の瞬間には華雅の背後に回っていた。まるで瞬間移動でもしたかのようなスピードで。
「いってえー!」
一瞬遅れて、華雅が足を抱えてぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「てめー、足轢くんじゃねーよ! 痛いだろ!」
「あたしは舐めた口きくガキの足を踏むのに二の足は踏まねーんだよ。年上に対する礼儀がなっちゃいねーぞ、リオン。いいか、『天照さん』もしくは『彩子さん』だ。わかったか? わかったら呼んでみ」
「クソアマテル」
がっしゃん!
もの凄い摩擦音を上げて車椅子ごと跳躍した天照さんは、今度は華雅の顔面を“轢いた”。
「ぐへっ」
そのままクルリと宙返りをして華麗に着地すると、仰向けに倒れる華雅を見下ろす。
電動でも特注仕様でもない、ごく普通の車椅子でこの挙動である。
常識外れの身体能力のなせる技なのだろう。恐らく、〝物理的な〟喧嘩で彼女に勝てる者はここのメンバーの中にはいない。
すっかり大人しくなった華雅を隣の席の天照さんがなおもいじっていると、続けて二人がやってきた。
「あっ、今日はシチューだよ、鞍馬くん」
眼鏡をかけた小柄な女子が、後ろについてくる長身の男子に声をかける。
「シチューか。今日は当たりだな」
「うん!」
相好を崩す女子と、その嬉しそうな様子に満足げに頷く男子。
見た目はクールな好青年といった印象の上井出と、おっとりとしていて優しい印象の玖恩さん。正反対な印象の二人だけど、気が合うのか普段から行動を共にしている。
二人が入口から一番遠い向かいの席に着いて、言葉を交わすこともなく静かに食事を始める。それで気まずいというわけではなく、無理に喋らないだけ。この二人にとってはそれが自然で、心地の良い距離感なのだろう。手前側のうるさい二人にも見習ってほしいものだ。
ともあれ、これで七名が揃ったことになる。
食堂内には十人掛けのテーブルがひとつあるだけで、他に座る場所はない。食事時間は午後六時から七時までと決まっている。つまり、食事の時間中はほとんど満席になるはずである。
けれど僕は、このテーブルが埋まっているのを見たことがない。
理由は三つ。
ひとつは、僕たちは総勢九名だということ。ゆえに空席がひとつある。これは改めて言うまでもない。
また扉の開く音がして見ると、伴動さんが入ってきたところだった。
僕の左隣の席まで来ると、数秒だけメニューを吟味し、いくつかの皿を選んで取り上げ、そのまま颯爽と食堂を出て行った。
これが理由の二つ目。
伴動さんは食堂で食事をとらない。いつもこうして自室に皿を持ち帰り、そして食事後に皿を戻しに来る。
全員と等しく距離を置いている彼女なので、それが自然な行動なのかもしれないけど、最初は隣の席の自分が嫌われているんじゃないかと疑心暗鬼になったものだ。
そして最後、三つ目の理由が――
九人のメンバーの最後の一人、
謎に満ちた彼女の人となりを説明したい気持ちは山々なのだけれど、それはできない。何故って、僕は彼女の顔も知らないのだから。
わかっているのは名前と、この施設に確かにいるらしいということだけ。
一応、僕の右隣が彼女の席らしいのだが、食事にも現れない。いや、そもそも配膳すらされていない。
食事時はもちろん、廊下ですれ違うこともない。彼女のプログラムもどこでどのように行われているのか、時間も場所も不明。彼女の部屋だって僕らの部屋と同じ廊下の並びにあるのに、誰かが出入りしているところすら見たことがない。
もはや都市伝説である……総勢十人足らずの小さな都市ではあるが。
そういうわけで、十人掛けのテーブルには、最大でも七名しか着席することはないのだった。
「ごっそさん!」
誰より早く食べ終えた天照さんが出て行くと、食堂内は水を打ったように静かになった。
寄宿舎にはテレビもインターネットもないため、こうした会話がない時間帯には食器の鳴る音と、入口付近に置かれた古い灯油ストーブのパチパチという音以外、なんとも味気のない静謐さに包まれることになる。
お察しのように。
僕たち九人はいわば仲間や同志と言ってもいい間柄のはずだが、しかしそういう関係を築けてはいない。
これは思うに、互いの能力を知らないことが最大の障壁になっている。
たとえば刑務所で、同じ房に収監されている囚人同士がどんな罪を犯したのかを秘密にしていたら、打ち解け合うことは無理だろう。相手は凶悪な殺人犯かもしれないし、卑劣な強姦魔かもしれない。どうしたって警戒心が生まれてしまう。同じ釜の飯を食っている人間同士というのは、互いの正体を明かすことが距離を縮めるための唯一の手段なのだ。
正体のわからない相手というのは、決して親愛や友愛の対象にはなり得ない。
とはいえ、それでもいくつかの仲良しグループ的なものは存在する。
カズと木花と僕。
上井出と玖恩さん。
天照さんと華雅は仲良しって感じでもないけど、よく絡んではいる……華雅が一方的に絡まれているだけだけれど。
「ふわーあ。ねむぅ」
木花がシチューを掬ったまま大欠伸をかます。
「なんだよ、昨日夜更かしでもしたのか?」
「ううん、ちゃんと夜十時には寝たよ。でもなんか眠りが浅くって。変な夢でも見たのかなあ」
「夢?」
その言葉に僕はぎくりとする。
「うん、夢。ほら、私って夢見がちな少女だから」
その言葉を僕は無視する。
夢……そう、あれも夢だった。妙に存在感のある夢。
「どうした想介?」
「ああいや。そういや僕も今朝変な夢を見たなと思って」
「それはしょうがねえよ、お前も年頃の男子なんだからな。ただ、女子がいる前で言うのはやめとけ」
「わーサイテー」
と、また歩調を合わせて攻撃してくる。
「そういうやつじゃねえよ!」
「じゃどんなんだよ。言っとくが変じゃねえ夢なんてねえぞ」
「それはまあそうなんだけどさ。なんというか、言葉だけが妙にくっきり頭に残ってて……」
「言葉?」
カズが怪訝そうに訊いてくる。
「ああ。『君は面白い』とか『君と彼女は危険だ』とか、そんなことを言われたんだ。相手は知らない人だったような気がするけど」
「なんだそりゃ。美來と漫才大会にでも出たんじゃねえのか」
「えっ! 『キケンなカノジョ』って私のこと!?」
「……いや、だからよく覚えてないんだって」
しょせん夢の話だ。不可能と不可解で満ちていて、起きてしばらくすれば綺麗さっぱり忘れてしまう。そこに意味なんてない。
それなのに、何か引っ掛かる。
これほど明瞭に言葉だけが強く残っているというのは初めてだ。繰り返し、中毒性のある曲のワンフレーズのように脳内をリフレインしている。
「想介、何かあったの?」
呼ばれて顔を上げると、木花が心配そうにこちらを見ていた。
「いや、何でもないよ」
「ホントに? 暗い顔してたよ? あ、そうだ。はい、あーん」
と、僕のシチュー皿に残っている鶏肉を自分のスプーンで掬いあげ、僕の鼻先に持ってきた。
「な、なんだよ急に」
「いいからいいから。ほら、あーん」
また突拍子もないことを……。
他のメンバーもいるので恥ずかしいことこの上ないのだが、僕を元気づけようという健気さを僕という紳士が放っておけるはずもないので、仕方なく、差し出された鶏肉を口で迎えにいく——
「なんちゃって」
ひょいぱく、と、木花は鶏肉を自分の口に放り込んだ。
「やーい、ひっかかったー!」
「……あのさ。一応確認なんだけど、それ、僕の鶏肉だよな?」
「ほうだよ」
「今のやり取りって、自分の分を相手に食べさせてあげようとするから成立するやつだと思うんだけど」
「もぐもぐ」
「もぐもぐするな! 出せ! 僕の鶏肉を返せ!」
「諦めろ想介。もうお前の知ってる鶏肉はこの世に存在しねえ」
「そんな理不尽な!」
「はい、カズもあーん」
「お前のあーんなんざいるか。そこの童貞と一緒にすんな」
「誰が童貞だ、ああん!?」
「お前らさっきからうるせーんだよ!」
華雅に怒鳴られ、結局鶏肉の件は有耶無耶のままになってしまった。
とまあ、こんなバカバカしいやり取りはいつものことで。
木花のおかげと言うのはまったく腑に落ちないけれども、僕は貴重な蛋白質を失うことと引き換えに、朝から頭を悩ませていたあれこれを忘れ去ることに成功した。
妙な夢のこと。
二つのミサンガのこと。
将来のこと。
『何かを失うということは、何かを得ることである』
理解るようで理解らない、けれど慰めとしては有用そうなこの言葉に——
僕はこの後、心底から嫌悪感を抱くようになる。
代え難い大切なものを失った時、まるで釣り合っていない天秤を前にして、何かを得られたなどと誰が云えるものか。
僕たち全員が、それほどのものを失うことになった。
そして記憶の扉は開く。
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