第146話 それは心の思う先、私の行く先

 青年の頭に巡るのは隼人への言いわけである。

 上手い理由が思い浮かぶ前にリフレクションドールの元へと辿りついてしまった美濃は、機体の前で足を止めた。

 躊躇っている時間はない。隼人は既に限界超過で、ことを済ませるなら早ければ早い方がいい。


「先代は、死んだのか」


 薫を抱える美濃の背に雅の声がかかる。顔だけを音の発生源の方に向けた青年を、茶色の瞳が力なく見上げていた。スレイプニルは薫の心臓位置を彩る色に、すべてを察したようである。

 昔には薫と契約関係にあった魔神は、既に現実を受け入れているようで、事実確認に尋ねただけのようだった。美濃は首肯だけをスレイプニルに返す。


 コックピットに戻った美濃へ、隼人は「おかえり」と迎えの挨拶をしたが、その音は尻すぼみに弱々しくなっていった。その原因は美濃の腕に抱かれている薫で、ぼんやりとした視界にも薫の胸に見える赤の色は鮮明に映っていた。


「……薫?」


 美濃は隼人の呟きには反応せず、コックピットの奥に薫を降ろす。そこでようやくリフレクションドールに乗るもう一人の姿を認識した。

 もう一つの操縦席に収まるのは、年端のいかぬ赤い軍服の少年。

 雛日博士の代理として第八世界境界線掃討作戦に名を連ねていた美濃は、リフレクションドールの存在自体は知っていたが、そこに座ることをするのはイオンだけだと思っていた。


 隼人が意固地になって意識を保ち続けようとする意味と、スレイプニルが隼人に無理をさせるような行動をした理由を美濃は遅ればせて知った。

 しかし、美濃にしてみれば未来のことなど、気を回す事象ではない。


「……、何が、あったの?」


 未来の存在に僅かに驚いていた美濃に、隼人は抱いて当然の疑問をぶつけた。少年にとっての薫という存在は、生きる意味といって過言ではない。


「言いたくない」

「――隠し事は、なしだよ、美濃君」


 決して、聞こえのいい話ではないのだ。

 薫を下級魔神に穢されることが許せず、美濃は薫の存在ごとに魔神を消去する選択をした。見ようによっては美談かもしれないが、一ノ渡の手のひらの上とも見える。


 美濃の心持ちとしては、薫を殺すことにはそれほど抵抗を覚えなかったのも本当であった。アスタロトの見解通り、美濃は薫を生者としては捉えていなかった。

 しかし、隼人は違う。

 聞こえのいい言葉を選ぶ美濃の雰囲気を察したのか、隼人は「嘘もなし、だからね」と先走って釘を刺す。


「……一ノ砥に薫を凌辱されるのが嫌で俺が撃った」


 端的であるが間違いはない。

 隼人は美濃の言葉を心の中で反芻する。その場で何があったかなどは目を閉じて見えるものではなく、隼人はその状況を知る術を持たない。

 自由に動かなくなりつつある腕を上げ、そっと左耳に手を当てる。指の感覚も曖昧で、上手くピアスにも触れられなかった。


「馬鹿なことは考えんなよ」


 美濃の懸念は、隼人が薫の後を追ってしまう可能性である。頭領からの注意を聞き入れながら、隼人は自分の感情に首を傾げた。


「……美濃君、もしかして、俺の心配してる?」

「……阿呆、自分の行動を顧みろ」


 隼人は小さく頷く。少年自身、薫にもしものことがあれば、イオンのことはスレイプニルに任せて自分は死を選ぶかもしれない、と思っていた。

 それなのに、そんな気は一切起きる気配がない。限界状態のせいなのか、経た年月によって自分に何かしらの変化があったのか。隼人の心に浮かぶのは、いつかこんな日が来ると思っていた、という諦めであった。


「――いつか、起きてくれるんじゃないか、って信じてたけど、絶対に起きるわけない、って知ってた」


 隼人は涙と一緒に矛盾した心の音を吐き出す。

 薫の死を知っても落ち着いている思考は、過去ではなく未来に向かって回転していく。隼人にはそんな気はないだろうが、薫の死は隼人を絡め取っていた鎖が切れたことに等しく、ようやく心は自由を得たのだ。


「あの日、美濃君の目には、俺が”虚飾”に見えたんだろうけど――」


 隼人は左耳から手を離すと、脱力したように腕を下ろした。力の入らない身体は絶えず痛みを訴えていて、比例するように熱が思考を支配しようとしている。

 それでも、どうしてか心は穏やかなのだ。


「偽りで塗り固めた俺は、もう本当の、ものだから。俺は俺の、生きる意味を、果たすよ」


 隼人は静かに笑みを湛える。


「オーディンの意思の元に、大義を果たす、フロプトの雛日隼人。それが今の俺」


 美濃は何も言えなかった。

 隼人がこの状況で笑えるとは微塵も思っていなかった青年には、隼人の表情は意外でしかない。違和感を覚えながら、美濃は「雅を連れてくる」とコックピットから離れた。

 隼人が後追い自殺をしなかったことは良いことであるのに、その行動をとらなかったことが何故か気にかかる。

 地に降り立ってすぐ、美濃はスレイプニルの名を呼んだ。


「今のヒナの精神状態は? ある程度、同調できるだろ?」


 言われてからスレイプニルは長い間を持って『…………ワタシは七代目の心のままを共に行くだけだ』と、美濃の質問を取り違えたような返答をする。青年は追及はせず、顔を歪めただけであった。


「よく見ておけよ。あいつは平然と間違った道を突き進む」


 隼人の宣言は美濃に不安を植え付けた。

 今までは薫とイオンだけを気にしていれば、隼人の行動や思考は大体を予測ができ、放置していても問題はなかった。ある程度の好き勝手も隼人の判断に任せて、大丈夫だという確信があった。


 しかし、薫という目に見える枷を失った隼人は、隼人の思うままを生きて行く。薫の遺志を継ぐという本質は変わらずとも、美濃やスレイプニルの想像する型からは外れて行くだろう。


『それはこちらの台詞だ。七代目はワタシの言うことよりも、美濃の言ウことを重んずる傾向がアる。危なイと思ったら、キサマが引き留めろ。七代目は何故か美濃を尊敬してイるのだ』

「……そりゃどーも」


 今、これからのことに不安を抱いてもどうしようもない。一番、実のありそうな解決方法と言えば、隼人の経過に目を凝らしていくことだ。

 美濃は雅の身体の下に腕を差し入れると、薫の時とは違い、慎重に身体を持ち上げた。血の巡らない姉とは違い、熱過ぎる体温を感じて美濃は息を詰まらせる。雅は生きている、と再確認し、思わずに安堵の息が漏れた。


『――欲を言えば、七代目に雅を撃って欲しくはなかった。アの時、七代目は――』

「本当に雅を殺すつもりだった?」

『……』

「薫の遺志をどうこう以前に、あの馬鹿は誰より薫に似てる。俺よりも、だ」


 誰かを生かすために、誰かを殺す選択。本当はフロプトの頭領である自分がしなければならなかったこと。


『それはワタシが一番よく知ってイる』


 困ったように笑うスレイプニルは、どうしようもない宿主へ愛想は尽きないらしい。それは美濃も一緒で、幼い頃に抱いた希望は未だ胸の奥で生きていた。


 リフレクションドールに戻った美濃に抱えられた雅が「大丈夫か、七代目」と大人しく操縦席に座る隼人の身を案じる。雅の声色を聞き入れ、スレイプニルによって延命をされているの確認した隼人は安心したように微笑んだ。


「大丈夫――じゃないけど、生きてるから、大丈夫だよ」


 隼人の大雑把な返答を聞き流しながら、美濃は雅を降ろすためにゆっくりと膝をつく。リフレクションドールのコックピットは二人乗りの仕様で、単独搭乗のメルトレイドよりは広々としている。


 だが、さすがに五人もの人間を乗せれば狭いのは当然であった。美濃は場所を取らないように隼人側の操縦席の傍に立つ。


「美濃君、イオンは、どうしたの?」


 隣を見上げるために首を捻るのも億劫なのか、隼人は正面に顔を向けたままで青年に疑問を投げかけた。


「オーディンの器になりに行った」

「……そっか、仮宿に。オーディンは、八番の鍵と一緒なの?」

「……? 何言ってんだ、お前」

「え?」


 隼人は表情こそ動かないものの、きょとんとした心情を露わにしている。美濃は僅かな時間を逡巡すると「いや」と濁すように会話を断ち切った。


「――じゃあ、境界点に行こう。オーディンも待ってるよ」


 隼人は操縦桿を握らずに、メルトレイドを動かしてみせる。大人しく座った状態でハッチを閉じることを命じた。何の問題もなく操縦をしてはいるが、隼人自身は瀕死に他ならず、目で見た危うさは結構なものである。


 リフレクションドールが空に昇ったのは、丁度、世界境界点が正八面体の元の姿に戻るのと同じ瞬間であった。

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