第109話 見えない敵は誰

『メルトレイド?』

『……』


 隼人は敵意のない目をぱちぱちと瞬かせる。

 イオンは瞬きも忘れ、その姿を目に焼き付けていた。

 現代では英雄の遺志と呼ばれ、四条坂駅前に平和のモニュメントとして置かれているメルトレイド。幼少の少年たちには見たことのない機体は、二機の前に静かに降り立つ。

 定点カメラ一台を壊した一撃以降、英雄の遺志が攻撃に出る様子はなかった。


『えっと、相島博士?』


 状況が把握できない隼人が、この実験の責任者の名を呼ぶのは当然の行為だろう。


「そのまま待機」

『……了解』


 返事をしつつも、隼人は心中で大きく首を傾げた。

 今までこなしてきた実験は、先にある予定通りの行動を行うだけであった。が、目の前のメルトレイドは明らかに事前連絡にない存在である。

 実験場は膠着状態で、一歩間違えば戦場に成り代わる。

 相島博士は通信機の設定変更を無言で指示した。一つは、隼人らの音声だけを拾い、こちらからの音声を止める要求。

 もう一つは、乱入機体との通信回線の接続。

 回線処理終了合図の後、壊れたカメラ映像の画面が三機目のメルトレイドとの通信画面と挿し変わる。

 映ったパイロットはこの研究所唯一の戦闘兵、白服の彼女であった。

 常時身につけている眼帯はなく、その美貌をさらけ出す彼女は、綺麗な笑みを浮かべると『はい、オーディン、喜里山薫』と機体名とパイロット名を告げる。


「喜里山さん、どうして出てきたの?」


 眉間にしわを寄せた相島博士は、予定にない登場者に不満を漏らす。

 この研究所でメルトレイドに乗れる――正確には誰しもが乗れるが、操縦できると言えるのは、サンプルと呼ばれる二人と薫しかいない。

 その三人ともが、今、一同に会している。

 メルトレイドに乗っていなければ、この研究所ではよくある光景ではある。しかし、薫の意図は読めないが、一撃で確実にカメラを破壊している点から考慮すれば、実験の手助けに出てきたわけではないと知れた。


『この機体、懐かしいですよね。私も久しぶりに乗りました』

「……質問の答えになっていないのだけれど」


 旧機である英雄の遺志――ここでオーディンと呼ばれた機体は、現役を退いたもので、薫の愛機ではあるが常用機ではなくなっていた。

 時代遅れの機体の登場に首をひねるのは、薫以外の人間である。 


「彼女、知ってる。喜里山薫。魔神掃討機関至上、最高のパイロット」


 未来は情報をおさらいするように、声に出して正体を確認した。彼女の名前はSSD内の情報に疎いカトラルでも知っているもので、青年は素直に「あれが」と感嘆の声を漏らす。


「……英雄の遺志のパイロットってことは、彼女が第三世界境界点を下した”名もなき英雄”なのか」

「でも、それがあの喜里山薫なら、どうして機密扱いにする必要があったんでしょう?」

「気にはなるけど――」

『相島博士、貴女はオーディンの力を知っていますか?』

「――後から考えようか」


 未来の台詞を割った薫の声はいたって平穏だ。何かに怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなさそうである。

 名指しされた相島博士は返答をせず、怪訝な顔をし続けていた。元より、返答を貰えると思っていなかったらしい薫は、たおやかな表情のままで次を紡ぐ。


『オーディン――始まりの雷鳴の能力は”審判”。その境界線であり、鍵である私にも審判する力がある』


 喜里山薫、という存在は魔神掃討機関にとってだけではなく、人類と魔神にとっても特殊な人間であった。優秀な能力を持つパイロット、重い因果に囚われる竜の民、第一世界境界を身に宿す境界線、そして境界点を消す力を持つ鍵。彼女を形容する肩書は多い。

 一人で第一世界境界に関するすべてを賄う彼女は、唯一無二の運命の交錯点。


『私は、貴女たちを審判する』


 宣戦布告と共に、通信は一方的に切断された。

 英雄の遺志は右の足に格納されていた剣を手に取ると、隼人とイオンに向けてそれを構える。

 司令室と薫との会話を聞いていない子供らには、突然の展開であろう。しかし、攻撃態勢を見せつけられれば、隼人も動かずにはいられなかった。条件反射で武器を構え直し、見知らぬ機体と対峙する。

 疑問符を頭の上に浮かべる隼人と同じように、困惑をしている司令室には殺伐とした空気が流れていた。


「……」


 しかめっ面が並ぶ中、一人だけが異状を表していた。不気味に音もなく笑顔を作り上げた吉木は、サブモニターに向けた目を眩しそうに細める。


「適性検査にはいい機会だ」


 底の見えない濁った瞳に映るのは、メルトレイドのコックピットに収まる兵器サンプル。

 相島博士は緩やかに首を横に振った。


「サンプルAが喜里山さんに敵うわけないでしょう」


 考えるまでもない。

 弱体している魔神相手にも手こずるイオンが、過去に世界境界を下している薫に敵う可能性など皆無だ。相島博士は呆れ顔で吉木を否定する。


「違う。サンプルCの方だよ」

「……C?」

「喜里山があれらを殺すことはないだろう。なら、存分に相手をしてもらえばいい」


 にい、と口が裂けるのではと思えるほどに口角を上げた笑い方は、彼にしかできないだろう。成功作に近しい兵器へ、吉木は焦げ付くような期待を向けている。


「サンプルCにはいままで難度の低い戦闘しか行わせていない」

「……」

「自分より強い相手に対して、どう出るか。試す価値はある」

「…………確かに、一理あるわ」


 相島博士が考えに時間を取ったのは数秒のことで、提案はすぐに呑まれた。


「オリジナルとの力量差は測っておきたかったし、あの子にはいい刺激になる」


 机の上に転がしていたペンを拾い上げた相島博士は、さらさらと流れるような動作で文字を書き連ねていく。一心不乱に書き出しているのは、隼人と薫とを対戦させることで知り得たい事項であった。

 二機との通信が再接続されると、待っていましたとばかりに吉木が隼人を呼ぶ。


「サンプルC、目前のメルトレイドを堕とせ」


 次に取るべき行動が分からない隼人とイオンに、愉快の混じる声がかけられる。

 聞き慣れない声、初めて聞く命令。隼人はモニターの中のメルトレイドから、通信画面の先にある司令室へと視線を移す。本来、指示を出すべき相島博士は観察に徹するつもりらしく、吉木の行動に抗議の声を上げはしない。


 相島博士ではない白衣に、隼人は『あれを?』と小さな手で視界の中の機体を示した。隼人たちの乗る旧機システムを組んだ現行機とは違い、中身も外見も旧型のメルトレイド。


「そうだ」

『でも――』


 隼人には突然現れた機体も不思議であったが、我が物顔で命令を下す吉木も同じくらい正体不明であった。イオンは一言も話さず、沈黙を貫いている。


「あれに人は乗っていない。魔神が取りついて動かしているんだ」


 男はもっともらしい理由を振りかざす。


「メルトレイドが何か、お前も知っているだろう?」

『……』


 魔神に対抗する力として開発された機械人形は、今やエネルギー源を捕縛するための人型装置。

 メルトレイが人型をとるのは、魔神にとりつかせるための疑似餌であるからだ。

 能率と効率から十数メートルのサイズに落ち付いてるが、取りつかせた魔神をレプリカに取り込み、エネルギーとして使うことは、人間の肉体に魔神を取りつき、精神を奪うのと変わらない行為。

 捕縛作戦ならば、メルトレイドにはパイロットが乗り込んでいて、メルトレイドに引き寄せられた魔神をレプリカの中へ捕らえる。


『旧機はあんな風に動かせる状態のものは少ないって』

「魔神には治癒能力がある。多少の欠損はすぐに修復可能だ」


 過去の戦の名残で放置廃棄された旧機は少なくない。レプリカは抜き取ってあるが、動力源の有無に左右されるのは人間が操縦する時だけである。

 吉木の言うような事例も、確かに現実にあることで、あったことだ。


(なあ)


 見慣れない男の言葉を鵜呑みできるほど、隼人はSSDに従属の心があるわけではない。当然のことではある。実験体である以上、少年は兵士ではなく、資産の一つでしかないのだから。


(どう思う? スレイプニル)

『確かに魔神はつイてイる。が、魔神の力が強すぎて人間の姿まで見えなイ』


 隼人にしか聞こえない声が、続かなかった質問に先んじて答える。


(……そう)


 スレイプニルの一言で、隼人の心に合った懸念が潰される。

 この研究所のパイロット事情を、隼人が知らないわけもない。サンプルと称される二人が並んでいる以上、もう一機のメルトレイドが現れれば乗っているのは一人しかいない。

 が、スレイプニルの見解では、人が乗っていたとして薫ではないと推察できる。彼女はオーディンを原動力としてメルトレイドを起動する。従属するスレイプニルが、主の存在に気づかないことはあり得ない。


『相手は武器を構エ、こちらの動きを警戒してイる。知力から測れば、アれはかなり力のアる魔神だ』


 メルトレイドが魔神の捕縛機であることは、隼人も承知している。吉木の言うようなことがあり得ることも分かっている。


「メルトレイドはSSDの所有物、魔神の手に落としておくわけにはいかない。練習通りでいい。相手が魔神かメルトレイドかの違いだ」

『……了解』


 納得いかない、と滲む声で隼人は承認をした。指示を出すのが相島博士ならば、隼人もここまで渋ることもなかったかもしれない。

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