第81話 なんて醜い姿でしょう
「すっげえありがたいんだけどさ、お前何でここに来たの?」
最大速力でSSD日本支部を目指しながら、隼人は機体に溶けている魔神へと問った。狙い澄ましたように登場した彼女に純粋に不思議を抱いていた。
『雅から連絡がアった』
「……それできてくれたのか。ありがとう、スレイプニル」
『アナタのためならどこへでも行こウ。それに、感謝するなら雅にするのがイイ。ワタシも礼をしたイ』
「ん、そうだな。でも、本当に助かったよ、スレイプニル」
雅は何時だってのんびりとした雰囲気をまとい、ゆったりとした時間を流れさせている。
しかし、彼女もレジスタンスの一員であり、頭領お抱えの情報官で、オペレーター。仕事の前での雅は、普段の様子からは想像もつかないぐらいに頼もしい。
「雅さんはまだSSDに?」
『イや、連絡を寄越した時点で軍は出て移動中だと言ってイた。もウ屋敷に着イてイるのでは?』
隼人は一つの不安が消え、長く息を吐き出した。
戦地から出ている、と聞ければ、ひとまず安心はできる。
雅は美濃と同じく、第一世界境界博物館からの道で、境界内と境界外とを行き来している。博物館とSSD間の移動にはバイクを利用しており、問題なく帰宅しているなら、スレイプニルの予測通りに屋敷に戻っている頃だろう。
「美濃君と百合子さん、喧嘩してない?」
『美濃が悪イ』
隼人が懸念していた通り、屋敷では冷戦が勃発しているらしい。
スレイプニルの言葉にも美濃への苛立ちが面白いぐらいに滲んでいて、隼人は乾いた笑いを漏らす。美濃に対して大激怒する権利があるにも関わらず、隼人はどこか他人事のように自身を見ていた。
隼人が取り乱さない分、百合子とスレイプニルが美濃を責め立てているかのようだ。
『しかし、敵陣に突っ込むとは、第八境界は何を思ってイる』
「考えなきゃいけないことばっかりで、俺はもう思考放棄する。目の前のこと、やれることだけやるよ」
言葉通り、隼人の中に思考の余裕はなかった。議題だけは百千であるが、それらすべての相手をできる状態にはない。
今、彼の心を占めるのは、美しき旧知の博士と年下の大人びた友人の安否。
『……七代目』
「ん?」
『イオンには、会エたのか?』
スレイプニルは慎ましやかに尋ねた。
聞いてよいのだろうか、と迷いがあるかのような口調。姿は見えないが彼女は怖々とした顔をしているに違いない。
不器用な気遣いに隼人は頬を緩める。それから、そっと瞳を伏せて「会えたよ。やっぱり忘れたままだった」と、スレイプニルが聞きたかった本題までもを答えた。
しんみりとした空気が漂う。
しかしながら、しめやかにしている場合ではない。沈んでいく雰囲気をぶち壊したのは『C八番! 応答!』と叫ぶ未来の指示だった。
司令室からの一方通行であった通信を、二者間でのやり取り可能にすると、焦りの滲んだ未来の顔が通信画面に映る。
「はい。C八番、日名田です」
『言いたいことは分かるね? 悪いけど、君単体の遠隔補助はできない』
言わんとすることは、一つ。
擬似コネクタでの接続では、隼人は戦闘行動をとれない。SSDを狙われ、予想外の対処にも当たることになった未来には、隼人に回せる手がなかった。
元より、他の機体の指示をしつつ遠隔攻撃をする、と宣言したのは未来なのだ。その彼ができない、と諦めを見せるということは、状況は未来の見通しを裏切り、非常に悪い、と言っている事に相違ない。
「引っこんでろ、ってことですか?」
『その通り』
SSDの守衛に駆けつけずに、その足で逃げてしまえ。
言葉の裏にある未来の指示は、どこまでも隼人に甘い。友人とはいえ、レジスタンス。初めに切って可笑しくない立ち位置にいる隼人を、未来はこんな状況でも気にかける。
「嫌です」
友人が気がかりなのは、隼人も同じであった。隼人はぎちり、と音が鳴るほどに操縦桿を握る。
『あのね――』
「俺は大丈夫です。全力出せますから、オペレートお願いします」
隼人はにっ、と歯を見せて笑った。
それから、左手を持ち上げて見せる。手のひらを画面に向け、コネクタのあるはずの手の甲を隠す。
手首には、あるべきはずのものがない。
『っ……!』
未来は一瞬だけ、驚きに目を見開く。
逃げようと思えば逃げられる、だけど、逃げない。隼人の目は意志と決心に燃えていた。
『……だとしても、やっぱり駄目だ』
未来の瞳には陰りが見える。
理由は一つ、魔神を連れた隼人が、他のパイロットに上手く紛れられる訳がない。突出した異能は目立つものだ。彼が掃討の対象になる可能性は零でない。
「……C八番、現場到着します」
元々、未来の勧告は手遅れであった。
遠目にも、SSDの敷地とそこに群がる魔神の群れは、隼人の視界に入っていた。集団が一つの大きな姿に見え、それを更に遠巻きに見ている鮮血の竜の姿も、鮮やかに目に焼き付く。
「何時でも、指示ください」
『……』
口を閉ざす未来に、隼人は困ったように顔を顰める。なにも友人を心配するのは、未来の専売特許ではないのに。
オペレーションを待たず、敷地に入り込んだ隼人は核心である本部を目指す。
「……昨日のは、本当にデモンストレーションってわけか」
昨日の人狩りは、子供だましであったようだ。
SSDを襲う魔神の位は、明らかに本能だけで生きる底辺ではない。
昨日に、隼人とスレイプニルに塵のように掃かれた魔神たちとは違い、知能も高ければ、学習能力もあるようだ。
一体の魔神が銃で撃ち落とされれば、他の魔神たちがメルトレイドの持つ武器を狙い、確実に壊して戦力を削いでいく。がむしゃらに攻撃を繰り返すだけはない。
『D五! 浮上して!!』
「っ、やってる!! こいつらがひっついてて、上がれないんだよ!!」
隼人は近付く戦地から、機体に刻まれた”D-5”の通し番号を見つけ出せない。
しかし、どれが目標の機体かはすぐに分かった。一機のメルトレイドが、文字通り、取り囲まれている。重なる魔神の身体の隙間から、かすかに見える白。
群れが大きな塊の真下からは、地に這いつくばる巨竜が首を伸ばして、中心地にいる存在を地に引きずり落とそうとしている。
『……D五、周囲爆撃するから、衝撃備えて。枷が外れたら、飛翔し――』
「須磨少佐、C八番、援護入ります!」
『!』
未来のオペレートを食い気味で上書きして、隼人は魔神の集団に突っ込んだ。
剣を振りかざすわけでも、銃を乱射するわけでもない。
スレイプニルが専有する機体は、集団の外装になっている魔神を引っ掴んで地に放った。首を伸ばしていた竜状の魔神の顔がひしゃげる。
そして、スレイプニルは降下の勢いのままで、殴り込んでいった。
直接格闘での乱入。
スレイプニルの右手がよたつく魔神の首を右手が捉え、左手が頭を捉える。それぞれの手は左右逆の方向へと、一気に離された。
形容しがたい騒音は、骨が強制的に外され、壊れていく音。
音が小さくなるにつれて、魔神の姿も霞みとなって消えていく。
「次っ!」
一体の魔神が消える。
D五番を引きずり落とそうとしていた魔神の位置を陣取ったスレイプニルは、伸ばした手でメルトレイドではなく空中に浮遊する魔神の足を掴んだ。
足から胴へと手をかけ、魔神を自分に手繰り寄せ、射程圏内に心臓がくれば、隼人はそこにスレイプニルの腕を突っ込んだ。
手のひらに当たる命の核を、握り潰す。
地に伏せる時間もなく、魔神はその姿をこの世界から消していった。
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