第77話 孤高の才を共有する
指令分室から廊下に出た未来を待っていたのは、呼び出しの声をかけた男ではなかった。
「やあ、須磨」
女性にしては高身長で、日本人には見られない髪色の美女。白衣姿はどの角度から見ても、凛々しい。美しい容貌はむすっとしていて、未来も伝染したかのように口を曲げた。
「謝らないからね」
頑固を通り越して、いっそいさぎよい。
イオンにはなんの落ち度もない。良いか悪いかでいえば、一方的に催眠スプレーを吹きかけた未来が完全に悪い。しかし、少年の態度は横柄であった。
「構わない。私も彼を使う作戦に反対だったから」
ぶすくれる未来に向けられた言葉は、行動を咎めるものではなく、むしろ賛同を示すような内容であった。未来には意外でしかなく、苦言を聞き流す準備をしていた耳を押さえる。
聞き間違えたか、と顔に書いてある少年に対し、イオンは淡々と「彼に頼らなくても、私だけで何とかなる」と言葉を漏らした。
これが彼女の本音である。
ドールの力をないがしろにするわけではないが、自分の抱える力はそれに匹敵する、とイオンの中には絶対の確信があった。
「……使いこなせていないのに?」
「食らうだけなら、問題はない。最悪、私一人を放ればいいのだから」
研究室ではしていなかった制御装置を右腕につけたイオンは、飾りのない左手でそっと枷に触れた。人膚に慣らされた金属は、彼女の中にある力を押さえるためのもの。
一室丸ごとに制御をかけている研究室から出る際は、必ずと身に着けていた。
「……ねえ、それが、始まりの雷鳴なの?」
潜められた音量。未来の尋ねる声には、疑いが滲んでいない。
始まりの雷鳴、第一世界境界。
世界と世界を繋ぐ力を持つ存在がSSDにある、と若桜から知り得た後、未来は未来なりに思考を重ねていた。
結果、イオンの中に潜む影が、そうとしか思えなかった。知能や自我を感じられず、破壊衝動に駆られているだけの影。
「……」
「……」
年若い二人の天才が、人の往来の激しい廊下でお互いを探り合う。
形としては竜の女帝の捕縛を完遂した未来には、情報開示権限が下りている。イオンが隠し事をする理由はない。したところで、未来自身が自分の手で答えを引き寄せられるのだから。
未来もそれができると分かった上で、イオンへと言葉を投げていた。わざわざ端末に向き合い、幾重にもかけられた鍵を開けた先で答え合わせをするよりも、この場で口頭確認する方がよっぽど楽である。
イオンを見上げる未来の瞳は、希望と自信に満ちていた。
輝かしく、眩しい眼光にイオンはそっと目を伏せる。自然と床を映す視界の端に、右腕のバングルが目に入る。
「幼少の記憶は曖昧で、手に入れた経緯は、私には分からない」
細い声は過去を遡った。
等間隔、落ち着いた心音を奏でていた未来は、心臓が騒ぎ出すのを押さえるように拳を握る。
「それも怖いけどね。気づいたら、いた、なんて」
「私が覚えていないだけで、何かがあったのかもしれないけど」
「何かがあったかどうかは、知らないけど――」
「そうだね。確かに、ここにいる」
答えは決まった。
世界境界線でないにしろ、イオンは始まりの雷鳴を連れている。
実感した途端に、少年はずるり、と半歩だけ足を後ろの引きずる。湧き上がる恐怖と好奇心とが、ドロドロに混ざり、超越した昂揚は未来の感情を麻痺させる。
未来はSSDの抱える脅威の数に、目眩すら起こしそうだった。
自分の推論とはいえ、第八境界に自我を乗っ取られた誰かも、SSD関係者として存在している事に、間違いはないと思っている。更には、この世界に初めて現れた世界境界を身に宿す彼女。
その二人ともが、第八境界線の掃討作戦に組まれている。
「一ノ砥若桜の相手をする前に、作戦が空中分解しそう」
「さもありなん。協調性の欠けた集まりだし、それぞれが協力しようと言う気がない」
いやに饒舌であるイオンには、常時に無口を貫いている面影がない。
人類の敵を前にし、編成された特別班は継ぎ接ぎだらけで、結束と言う言葉など念頭になかった。イオンの言葉を受け、未来も確かに自分もか、と心の中で頷いた。
同じく肩を並べるカトラルにも沈黙を通し、境界線破壊のために囚われた少年を逃がそうとするのは、未来個人のエゴイズムでしかない。
「当然、私もだけど」
未来の心中に同意するかのように、イオンは自嘲の笑みを浮かべながら吐き捨てた。
良い意味かどうかはさておき、感情を浮かべるイオンは珍しい。未来は益々と目の前の彼女が分からなくなっていく。
「……それなら、確かに第八世界境界線と渡り合える」
「条件は悪くない。後は、使い手の問題」
違和感を覚えつつも、未来は素直に彼女との対話に勤しんだ。
イオンの中にある影を、人工的な生体兵器だと思っていた未来は、その可能性の限界を低く見ていた。結局は人の手からつくられたもの、強力であろうと制御もできていない。
しかしながら、蓋を開けてみれば、兵器は創造物ではなく、森羅万象の上に立つ世界境界。
相島元帥が提案した案を丸のみに行動をしていたが、イオンの意見は未来にとっては目新しく、可能性を考える余地があった。イオンの言う通り、使い手の問題だ。
「須磨! 何してる、早くしろ!」
「っ……!」
びくり、と未来の肩が大きく跳ねる。
「天才同士、討論は構わないが、場所と時間は選べ」
「……はい」
白熱に足をかけていた未来を制したのは、未来を分室の外に呼び出した声であった。
深い緑の制服。一般兵の上、更に上級の位に値する男は作戦司令室を根城にする古株だ。
作戦課のオペレーターとして、作戦司令室に多く出入りする未来と彼とは、お互いに見知った顔である。
未来は不貞腐れた気持ちを隠し、真顔で「すぐに行きます」と続けると、ぎゅんと音がしそうなほどの勢いでイオンに顔を向けた。
「すごく、すっごく興味深い。固有能力とか、もっと能率的な使役方法があるのかとか、話したいことは山ほどあるけど――」
「須磨!!」
「今行くから!!」
緑と赤のやり取りは、叫び声に等しい。
定例放送までの時間が迫る廊下でなければ、激論にも転がり込んだであろう。仕事と分かりつつも、言葉を止められない未来を見かねてか、イオンは嘲笑を消して、ふ、と柔らかく口元を緩めた。
本当にわずかな綻び。
「作戦が終わったら時間を頂戴。私も君と話してみたい」
未来は間髪いれずに「約束!」と子供のように声を張り上げ、大きく頷いた。
イオンと未来が並ぶ様は、定例放送の対処のために指令室に集まってくる軍人たちの目をもれなく集める。
「――――!!」
ざわつく廊下の中、切羽詰まった怒声が聞こえてきた。
イオンと未来はそうするのが当然、とばかりに声の方へと首を捻った。二人の見つめる先の奥、人の波を割って近づいてくる誰かがいる。
廊下を反響する声は、確実に大きくなっていた。
「何ごと?」
「……大体の察しはつく。須磨は指令室に行った方がいい」
言うが早いか、イオンは来襲する誰かの視界から、未来を隠すような位置に場所を移動する。廊下の真ん中、仁王立ちで待ち構える博士の元へ、小走りの足音はすぐに辿りついた。
「アクロイド!!」と慌てた声が、視界にとらえた姿を呼ぶ。
未来は声の主が、誰の声か分からなかった。
聞いたことはある、ような気がする。
対象との間でイオンが障害物になっているせいもあるが、喚き声があまりに感情的で、声質が荒れているせいだろう。
未来の中にある人物像と、その声色は雲泥の差で逆後方に離れていた。
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