第78話 逃走経路は狭くて険しい

「騒がしい。少し落ち着いたら、吉木博士」というイオンの返事を聞いて、未来は間抜けな声が口から漏れそうになる。

 にやにやと笑みだけを浮かべ、音もなく爆笑する”変人”と名高い博士が、何をこんなに慌てているのだ。


「ドールが逃げた!」


 吉木の言葉に、未来は冷や汗を流す。

 未来が隼人の逃走を定例放送に合わせたのには、大きく二つの理由があった。

 一つは正面の出入り口以外から、自然に外に出る絶好の機会がメルトレイドの出撃であったこと。もう一つは、若桜に対処している間ならば、隼人に向けられる少なすぎる監視が更に緩くなると踏んだからだ。

 吉木にばれているのだから、後者は未来の見当違いになってしまったが。

 未来の招いた事態であるが、人の溢れる廊下で機密を叫ぶ吉木の激情は目に余る。


「逃げた?」


 焦りを覚える未来に反して、イオンは何もかもを知った上で公然としていた。抑揚の乏しい声は、吉木の訴えの意味が分からない、と言外で伝えている。


「知らないわけないだろう!? 身体検診をすると預かったのはお前だ!!」


 食ってかかる吉木は半狂乱だ。

 騒然としている吉木と冷静なイオンを中心に、廊下に居合わせた軍人たちは二人の博士たちを遠巻きに見ている。

 こそこそ、と耳打ちをしている外野などを気に止めず、イオンは面倒くさそうに眼光を光らせた。

 呆れ半分、いらつき半分。

 しかしながら、その感情を目視でくみ取ることは難しい。


「私は知らない」


 迷いない断言。

 イオンは後ろ手で未来にだけ分かるように、指令室へと指示を送った。未来は実行犯であるのだから、吉木から言いがかりをつけられる理由はある。

 しかし、今の吉木の気性を見る限り、例え関係なかったとしても、うるさいくらいに言いがかりをつけられそうであった。


「確かに、置いては来た。でも、研究室には鍵をかけてる」

「何を考えている!! なぜ傍を離れる!!」

「私の都合をどうこう言われたくない」


 未来やカトラルのように通常業務をこなしながら、特別任務につくのは、イオンも吉木も同じである。吉木の言う通り、イオンはなるだけ隼人の傍を離れずにいた方がいいのはそうであるだろうが、四六時中一緒とはいかない。


 吉木もそれを踏まえているだろうに、と未来は地団駄を踏みそうな吉木を前に落ち着きを取り戻していた。

 イオンの指示は絶えずに、未来をこの場から逃がそうとしてる。

 しかし、少年にこれを放置できるわけもなかった。二人が言い争う理由が”ドール”だとは一般兵にも分かっても、”ドール”が何で、どうしてこうなっているかを分かっているのは、この場には未来しかいない。


「アクロイド博士、吉木博士」


 未来はイオンからの助け船を無視し、ひょい、と彼女の影から吉木の前に現れた。イオンにだけに猪突猛進であった吉木は、責める対象が増えたことに目を尖らせる。

 何かを言われる前に、と未来は「吉木博士、一度落ち着いて周りを見たら? 自分が何してるか分かるんじゃない?」とにこりと笑った。


 未来の先手に吉木はぐるり、とイオンと未来を始点に周囲を見回した。群れをなす野次馬にぐっ、と声を詰まらせる。この状況に元帥でも登場していしまえば、言い逃れする間も与えられないだろう。

 吉木は何も言わずに白衣を翻した。

 来た時と同じように人垣の中を、避けることをせずに進んでいく。


 怒りの滲む後姿を見送りながら、未来は隣のイオンへと「お気遣いどうも」と礼を述べた。

 イオンは小さく肩をすくめるだけだ。


「須磨ァっ!!!!」


 作戦司令室の方から限界を超えた呼び声が鳴り響く。

 吉木の乱心に足を止めていた一般兵たちも、大声に再起動を言い渡されたかのように動き出す。蜘蛛の子を散らすように傍観者たちが散っていく。


「いい加減にしろよクソ餓鬼ィ!!!!!」

「……呼ばれてるよ、須磨」

「……聞こえてるよ」


 未来は声の方へと走って行った。

 作戦司令室の前、腕組みをして待ち構えていた上官へと、未来は一応の謝罪を口にするとすぐに室内に身体をねじ込んだ。無駄に時間を消費するつもりはなかったが、思わぬ参入者に随分と余計な時間をとられた。


 基本となるオペレート機器に、パイロットを補佐するための補助機器。各機と繋げる数のモニター。精密機器に囲まれた椅子は、未来の仕事場である。

 幾度となく同じ作業を繰り返している手はよどみなく動き、メルトレイドへの回線を開く。

 若桜の言う人狩りに対応して急造された班は、十二人編成である。


「通信回路の確認。パイロット名とメルトレイド機体番号を」

『珍しいですね、須磨くんが遅刻ギリギリなんて』


 一番最初に対応に出たのは、出撃前どころか、時間があればコックピットに籠るカトラルであった。

 単なる野生の魔神を狩りに出撃するのとは違い、明確に人間を殺すために動いている魔神を狩りに出る前であるのに、彼の様子は平常通りであった。

 美しい金糸を揺らし、薄灰の瞳は無意味に愛想を孕んでいる。


「遅刻してないからいいの。専有四番機、カトラル少尉、通信確認」

『そんな雑に流すなんて、酷いじゃないですか』


 雑談をする間も惜しい。

 隼人を急かした手前、自分自身が時間に追われているなど、未来にしてみれば恥ずかしいことだ。カトラルのように他愛ない雑談を挟むものはおらず、確認作業はスムーズにつつがなく進んでいく。


『汎用C二番機、パイロット白河』

「確認完了。はい、次」

『はい。汎用C八番機、日名田です』

「……通信確認。はい、次」


 十二体のメルトレイドは、最初に二機ずつ、六つの組に分かれる。

 放送まで場所が判明しないために、四条坂都の各地に二体ずつ配置し、襲撃に備える方式だ。場所が分かれば、至急に全機がその場に集い、対応に当たる。


 オペレーターを未来一人が努めるのは、完全戦略の腕があってこその選択である。

 現場の指揮系統が二種類あれば、どこかで衝突や噛みあわない行動が出てくる。それを防ぐために、十二機のメルトレイドを未来一人が統括するのだ。


「はい、通信確認終了。特別班、全機スタンバイ報告」


 各々が待機状態から行動状態に、メルトレイドを切り替える。自分の個人設定と補助装置があっているいることを確認し、各々から機体番号とオールグリーンとの返事が未来へと寄越される。

 交る隼人も『C八番、オールグリーン』と周りにならって報告を入れた。

 今のところ、隼人の逃走作戦に問題はない。


「組分けなんだけど――」

『俺、Cの八番と組みたいです』


 はずであった。

 作戦については、基本的に未来に任せきりであるカトラルが、珍しく我が儘を言いだす。

 当然ながら、未来の立てていた事前の組分けでは、カトラルと隼人は別組に配されていた。


 二人は昨日に交戦している上に、竜の女帝の操縦にいたく感心していたカトラルは、全力でない運転であっても隼人に気づくかもしれない、という懸念が未来の中にあったからだ。


『駄目ですか?』


 ――あからさまな否定は嘘臭い。

 前々に立てた作戦がある、と言っても、柔軟な未来はパイロットからの要望があればその場で受け入れていた。意見を即時で反映し、作戦の編成を変更する、などとざらに行っている。


 普段の万能が仇になり、言葉に詰まる未来を助けたのは『喜んで。嬉しいです。エースと組めるなんて!』という完全戦略の拒否よりも嘘臭い能天気な声であった。

 動揺もせず、臆さずにいる隼人に未来は閉口した。


 レジスタンスの少年は、あからさまな名指しにも笑って対処している。無謀は零でないにしても、隼人の中には培われた度胸があるのだ、と未来は見慣れない友人を通信機越しに見つめた。

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