第26話 ほら、その目に映ったのは
「……憶測の推論じゃあ、らちが明かねえな」
言葉だけは止まらずに交差しているが、結論は曖昧のまま。
じれったそうな美濃の呟きに、隼人は小さな不審感を覚えた。言葉の内容ではなく、声色に滲んでいる感情に引っかかりがあるように思えたのだ。
その予感が当たっていた、と隼人が認識できたのはすぐのことだった。
通信画面の中、隼人から見える映像に鎮座していたはずの美濃は、その姿を消した。残るのは空の操縦席。
「肉眼で目視する。出せ、アイスワールド」
頭領の命令は、仲間内の空気を氷結させるには十分だった。
え、と言葉を失う隼人と雅を意に介せず、美濃の要求をアイスワールドが受け入れる。
外へと繋がる扉は、開かれた。
「俺が戻るまで、自律行動してろ」
美濃は竜の面で顔を隠すと、搭乗機の胸元、コックピットのハッチを開き、足をかけて外と内との境に立つ。機体に捕まってはいるが、衝撃一つで外に放り出されてもおかしくない。
『美濃!? 何してるのっ!!』
「危ないってば!!」
一度、殺されかけ、一度、殺意とすれ違った隼人には、美濃の行動は暴挙であり、リスクを抱えすぎているとしか思えない。
「ヒナ、俺を死なせるなよ」
「そりゃ絶対死なせないけど! そうじゃなくて!!」
隼人は矢継ぎ早にでも文句を並べたいのに、言葉が喉元で溜まり、声にはならなかった。ぱくぱくと口を開閉する隼人の代行に、雅が『美濃、戻りなさい!』と至極単純、かつ一般論を訴えても、既に外へと出ている頭領は「静かにしてろ」と取りつく島もない。
『もー、自由人なんだから!』
「……」
むすりとした雅は真っすぐに美濃を叱りつけているが、隼人は正反対に黙りこくったままだ。美濃の行動を受け入れ切れていないのか、酷く動揺する少年は思考が止まってしまったかのようである。
『隼人?』
「……」
『貴方がそれじゃあ誰が美濃を守るの?』
「……ん」
『あとで引っ叩いてやりましょうね』
「…………そう、だね」
オペレーターの仕事は、戦場を把握し、機体を動かすだけではない。パイロットの精神状態を管理するのも大事な仕事だ。
隼人は肩に入っていた力を抜く。とんでもない暴挙だが、隼人は彼を信用している。そんな自分にできることは、命令通り、美濃を死なせないこと。
「雅さん、四番以外の動きは?」
『一、二番は戦闘不可。五番はあの位置からなら援護射撃できそうだけど、動きはなし」
「三番は?」
『二番を戦線から離脱させてる』
「じゃあ、外野からの横やりは五番だけ、か」
地上と接面している五番機を一目見て、隼人は待機位置を変える。五番とアイスワールドを結ぶ直線上、自らを障害物に仕立てあげる。
美濃は面の下、両目を開いて、四番機であろう物体を正面に見つめた。
「……目が見えりゃあ、早いんだがな」
おおよそ平均的な日本人らしい焦げ茶の虹彩は、外界の光を受けて深い赤に変化する。美濃の左目は角度や照光を変えて見ると、極彩色に変移して見えた。
「世界境界」
世界境界は人間を審判する。
第八境界アスタロトは、境界線の若桜が世界征服を叫ぶのをどう思っているのだろうか。手放しで賛成なのか、暇潰しに付き合っているのか。どちらにせよ、点と線があって、世界境界は本来の力を発揮する。
では、美濃が瞳に映す世界境界は、何なのだろう。
「点はない」
美濃は独りごちりながら、情報を整理をしていく。
「線がパイロットなら、味方機を襲った理由は? 使いこなせてねーからか?」
影は荒れ狂う蛇のようだ。すべてを引きずりこみそうな深い闇が、次の獲物を探している。まだまだ空腹なのだろう。
アイスワールドと四番機の距離は、決して近くない。自律行動を求められたアイスワールドは、急な敵襲でも余裕をもって対処に動ける距離を保っていた。
「境界がレプリカを乗っ取っているなら、メルトレイド自体が攻撃に出てくるはず。なら――、あれとパイロットの意思はおそらく別物」
美濃はただでさえ鋭い目を、更に険しく吊り上げた。
波打つような影と影の隙間の先、メルトレイドの機体の手前、一瞬、美濃の目にだけ見えた色。
「……人?」
自分と同じように、生身の人間が、メルトレイドの外に乗っている。
隼人のような目ではないのだから、美濃にはその人物の顔や表情は見分けられない。ただ、風にはためく白は見えた。色は判別できる。
「あいつ――」
遠くに見える桜の桃色ではない、金と桃を混ぜたような色。よくは目撃しない髪色を美濃は知っていた。
メルトレイドに抱えられたピンクゴールドが、左目に焼き付く。ほんの数秒のことであった。幻想であったかのように、黒の闇が美濃の視界からメルトレイドごと人影を奪う。
「ああ……、そういうことか」
美濃は震える身体で、手を伸ばした。歓びに満ちた脳は、手に入れろと心に言い聞かせる。
「美濃君っ!!!!」
美濃の背後、操縦席の通信機からの張り上げた隼人の叫喚。
黒い影はその場所を動かずに、身体を針のように尖らせて、美濃の元へと伸ばしていた。まるで、求める美濃に反応したように、氷撃を投げるアイスワールドの真似事をする。
いくつもの棘がアイスワールドを串刺にしようと迫る、瞬間、機体は大きく後ろにのけぞった。そのまま開いた操縦席を真上にし、美濃を受け入れつつ、地面に落ちるようにして攻撃を避けようとしたのだろう。
アイスワールドの思惑は、外れる。
ふわり、とちっぽけな人間は宙に浮いた。
「馬鹿っ!!」
投げ出される人影に、隼人の脳は救助するための行動をメルトレイドに命令していた。彼は物事に対する反応速度と、行動するための神経への命令速度に絶対的な自信を持っている。
自信に恥じず、隼人は自らの手足のようにメルトレイドを操った。
『アイスワールド、こっちから行動補佐するわ。指示をインポートして』
一番に動揺したのは、彼を乗せていたアイスワールドである。パイロットを落とすまい、と崩れた体勢から美濃を拾い上げようと動いた。
当然とばかり、慌てるアイスワールドの手よりも、旧機の手の方が早くに美濃を救う。
メルトレイドの手に拾われた美濃は、そこから突然に現れた敵影を視た。黒い何か。おおよそ生物の目がある位置ではない部分から、瞳が現出する。輝きはガーネットのようで、美濃はその色としっかり視線を交わらせた。
美濃の見解が、現実のものとなる。
「……誰が馬鹿だ」
『貴方に決まってるでしょ!!』
「今の一瞬で、俺たちの寿命がぐっと縮んだ」
「落ちても救助が間に合うって分かってなきゃ、あんなことやらねーよ」
「そういう問題じゃない! 美濃君は皆に謝るべき、アイスワールドにも!」
『そーよそーよ!』
ぎゃーぎゃーと騒ぐ隼人と雅を聞き流し、美濃の心を奪うのは美しい瞳を孕んだ化け物である。周囲の見えない敵を食い散らかしている闇色は、異形にして、異例。揺らめく影、深い闇。
「アイスワールド、来い。もう少し距離を詰め――」
「駄目だよ」
隼人の声が美濃の指示を遮る。少年の声色は真剣そのもので、美濃のしようとする行動に力強く抗議した。
『これ以上の深追いはしないで』
「あれが世界境界って言うなら尚更」
声をそろえての非難は、頭領の熱に浮かされた命令を黙らせた。美濃はぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜ、名残惜しげに影を見つつも「……しょうがねえ」と諦めを宣言する。
外れそうになる面をつけ直し、旧機のコックピットに向かって顔を上げた。
「引くぞ」
「了解」
『了解。すぐに帰還ルートオペレートするわ』
隼人は旧機の手から、アイスワールドの手へと美濃を譲渡する。危なげなく機体から機体へと飛び移った美濃は、余裕にも服に着いた皺を伸ばした。
一瞬、影が形を象る。
雅が退避行動を指示する寸前、美濃がアイスワールドの操縦席に戻ろうとする寸前、隼人が四番機を見据えようとする寸前に起こった。
『嘘でアろウ』
影の変化を目に留めたのは、隼人の身体に共生する魔神だけ。スレイプニルの心の在り様が伝わるように、ぎち、と隼人の心臓が強く、強く締め付けられた。
「いっ! ……スレイプ、ニル?」
スレイプニルの動揺は、寸分の狂いもなく、宿主へと伝わる。同じ身体を共有するのだ、心の声を隠せるはずがない。
「痛いっ、なに、どっ、したの?」
隼人は急に苦しくなった胸に手を当てた。締めつけが緩むことはなく、段々ときつくなっていく。
気を抜くことは死につながる戦場、多少の痛みは無視する。しかし、今、彼を襲う激痛は、絞め殺さんばかりの興奮だ。
『隼人? 何かあったの?』
「っ、かんない、けど、スレイプニルが」
『主』
「……え?」
スレイプニルは自分を抑えきれなった。
本来ならば、何よりも隼人を優先する魔神が、それよりも先に置く存在。
『主っ!』
「っ待て! 行くな!」
隼人の制止に力はない。
スレイプニルはメルトレイドから自分の身体を抜き出すと、本来の姿を作り出す。
くすんだ白の身体、風に揺れる漆黒のたてがみ。八本足を持った逞しい軍馬は足場のない道を進み、影へと迫っていく。
「ったく、も、う」
SSDの常設警報機は沈黙のままで、汎用機に搭載された魔神探査の警鐘だけが大音響する。
隼人は心臓を押さえながらモニターを見つめた。自分の中に生きる魔神の後姿は遠ざかっていく一方だ。
スレイプニルは惑乱と昂りのままに空を駆けて行く。少年は身に起こるであろう衝撃に備え、操縦桿を強く握って自分の位置を固定しようと努めた。
やらないよりは、やった方がましな程度の抵抗。
『美濃っ、隼人の機体からエネルギー消失! 通信も切れたわ!』
「ああ、目の前をスレイプニルが走ってる」
スレイプニルが隼人の機体から離れるということは、機体に宿る命が失われること。動かぬ無機質の塊は、空気中に足をついてはいられない。
「アイスワールド」
操縦席に美濃が戻らないまま、フロプトの現行機が旧世代機を掴み取る。がくり、と力の入らない人形は、アイスワールドの維持していた高度を蝕む。
美濃はポケットに入っていた黒い宝石紛いの結晶を隼人の乗る旧機へと、回し弾きながら投げつけた。淡く灯る光は、レプリカの光。旧機の傍に浮いたともしびはふわり、と滞空している。
青年は颯爽と操縦席に座ると、愛機にハッチを閉じさせた。旧機を掴んだメルトレイドは未だに緩い速度で降下している。美濃は通信機も使用不可能な隼人へ「聞こえるな?」と声をかけた。
顔を隠していた竜面を外し、代わりに眼帯で左目を覆う。
「あれ?」
「SSDの試作レプリカだ。通信回路繋ぐくらいしか持たねぇ」
隼人は押し黙った。今の自分は荷物でしかない。
それは三人共同の意見で、この状態での帰還は無理だと判断したオペレーターは『機体を捨てるしかないわね』と苦渋の決断を言い渡した。
「引くぞ」
「スレイプニルを置いてけない。というか、動けない」
メルトレイドの原動力は、魔神の充填されたレプリカである。もちろん、それは隼人の乗る旧世代機にも言えることだった。
ただし、隼人の場合、レプリカを使わず、直接と身に宿る魔神をメルトレイドのエネルギーとする方式で動かしているのだが、最終的な結論は同一だ。
旧世代機に限り、電力でも動くが、あいにくと充電するための発電施設をフロプトは持ってはいない。
「分かってる。だから呼び戻せ。お前の魔神だろ」
「う……」
その通りである。しかし、呼びとめる声は届かなかったのだ。
隼人の焦りはスレイプニルにも伝わっているはずなのに、魔神は宿主の異変には気付かない。
「使いこなせないなら、俺に寄こせ」
宿主の少年は何も言い返せなかった。
喜んで、とも、嫌だ、とも言えない。どちらを言おうとも、美濃には嫌味にしか聞こえないだろうからだ。
答えにくいことを言った自覚は、美濃にもあった。
返事のない隼人に、舌打ちを一つ。この話はこれで終わり、という合図。
スレイプニルはうごめく影の傍で静かに佇んでいた。そうしている魔神を横目に、美濃は気だるそうに「覚醒していい」と愛機へ戦闘許可を下す。
『美濃、いいの?』
「ああ、別に隠しておきたかったわけじゃねーし、俺もヒナもそろそろ限界だ」
精神接続をするメルトレイドは、長時間と搭乗していられる機械ではない。乗っているだけで精神疲労は蓄積していくし、操縦席にかかる重力と機体に与えられる衝撃で体力も削られていく。
「旧機は乗り捨てる」
「……ごめん」
「とにかく、お前はあの阿呆を回収しろ」
美濃の搭乗するメルトレイド――アイスワールドの瞳が青白く輝く。
SSDの汎用機と変わらなかった外装が、徐々に凍りついていく。まるで氷に侵されていく機体は、先から先までを外気から隔て、氷像に姿を変えた。
氷が、新たな形を作り上げていく。
「白に染めろ、アイスワールド」
白い閃光が走る。
殻を破るように、氷雪が散った。人工的ダイヤモンドダストの中、アイスワールドは優美にその本来の姿を見せた。
白い機体、青いライン、汎用機にはない外装装飾。
氷雪のメルトレイドは、舞い散る光の乱反射の中、手を払う。空気を凍らせ、見る見るうちにでき上がった氷の壁が、一枚、二枚と数を増やしながら、アイスワールドとその腕に掴まれた旧機の周囲を回る。
隙間のない囲いになると、その筒の底を塞ぐように、巨大なつららが地面へと伸びて行く。
まるで、鳥かごだ。
規模は可愛らしいものではないが、二機のメルトレイドを支え、囲う氷の籠は、天井だけに空を映し、他の面からは外界から隔てられている。
「ヒナ、こい」
「……了解」
隼人を迎え入れたアイスワールドは、籠の中に旧機を下すと、唯一の出口から空へ飛び出した。
美濃に見えるのは四番機とスレイプニル、そして、戦線復帰の三番機。
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