第14話 過信がその身を貪るのだ

 月光も境界点の輝きも、樹木の深層であるここには届いてこない。


「境界点が近くて、逆にありがたかったかも」


 境界点の影響圏の境は目視で判別できる。

 危険地域であることを警告してくれているのか。影響圏を形どるように、光が地面から差し上がっているのだ。波打つ光の面はまるで壁のように見える。


 今も、樹海の中、桃々桜園はきっちりと領土を主張している。


 光の壁の高さは成人男性の平均身長ほどであるから、地面に立っていないと見えない目印だが、光が届くぎりぎり先にあるそれは今は丁度いい照明灯代わりになっている。


 隼人は手を挙げて周囲の安全を伝えると、美濃は地面まで中間地点を置かずに降り立った。粗野な行動であるのに隼人の着地に比べると、幾分も優美に見える。


 自分のつき従う頭領の顔を見て、隼人は疑問を抱いた。


「美濃君、眼帯はつけなくていいの? 境界近いけど」

「今はいい」


 隼人にすれば、両目を晒している美濃よりも、左目を眼帯で隠している彼の方が見慣れていた。


 鋭く、攻撃的な色を持つ瞳は、目的の物体に焦点を合わせて、期待に揺れている。


「当たりだな」


 動かない隼人を尻目に、美濃は足場の悪さなど感じられない足取りで、無機物の塊へと近寄っていく。先行く主君に従者は斜め後ろに遅れて続いた。


 暗闇の中、薄い光を受け、影を落として鎮座する機械は世からすれば用済みの廃棄物であった。


「状態は悪くない」

「そうだね、外装に目立つ破損個所はないみたい」


 隼人は美濃を追い越して、機体へと手を伸ばす。


 ぴたり、と手のひらを熱のない機体に押し当てれば、放置されていたから生じたのだろう、へばりつく砂埃のざらつきを感じられた。


 歴戦を戦ってきたのかもしれない、惜しくのところで敗れてしまったのかもしれない。

 過去に思いを馳せてみたところで、答えは誰も教えてくれない。


「ここにあるってことは、もしかしたら、昔に見たことがあるやつかも」

「……ヒナ」

「綺麗な機体だね」


 あまりにも感傷的な響きだ。

 過去を思い描いていた隼人は、美濃の声で繰り返された自分の名前に、そっと手を離した。手形がくっきり残っている。


「動作確認しとけ、俺は雅に連絡いれる」

「了解」

「帰りにSSDと接触するようならお前が”竜の女帝”を名乗れ」

「え? 美濃君は?」

「フロプトの頭領様が名乗ったら後はいいだろ」


 過去は分からないが、一つ、分かることもあった。


 完全に機能を停止し、廃れてしまった明星は、自分たち――”フロプト”にとって、都合のいい流れ星であるということだ。


 美濃はここまで乗ってきた自分の愛機に戻ると、開けたままのハッチに向かって雅を呼んだ。間延びした返事と共に、美濃の視界にバーチャルディスプレイが現れる。


『無事に回収できそうね』

「ああ。帰還ルートのオペレート準備」

『お任せあれ』

「機体の通信回路を復元して連絡を入れる。それと同時に帰還先導、始めてくれ」

『待ってるわね』


 美濃の淡々とした命令を遠くに聞きながら、隼人は時代の産物に乗り入った。


 自分たちがここまで乗り付けてきた現行機とは世代が違う。基本的な操縦方法は変わらないが、パイロットが背負うリスクは雲泥の差だ。


「……中も、致命的な故障はなさそう」


 隼人は埃っぽい操縦席に座らず、その後ろに設置されている補助装置の前でしゃがみこむ。


 彼の手はよどみなく、起動するための段階を辿っていく。過去の栄光の扱いに慣れ親しんでいる隼人には、機体の補助設定作業など頭で考える必要もない。


 ふあ、と隼人からあくびが漏れた。


 決して、単純作業だからとか、飽きるほど行った反復動作だからではない。


「ヒナ」


 まずい、と思っても、もう遅い。


 いつの間にか、こちらに戻ってきていたらしい美濃の無機質な声は、油断していた隼人の心臓を掴むのには十分すぎた。隼人は動きの悪い人形のように首を回す。

 胸中を占めるのは、浅い悔恨。


「疲れてんのか?」


 美濃の疑わしそうな表情に、隼人は表情を硬くした。あくび一つで、仰々しい対応だが、美濃がそうするのには理由はある。


「ええと」

「ヒナ」


 彼が体調を訪ねたのは、隼人を心配しているだとかの、優しさに由来する気配りなどではなかった。例えるなら、今の美濃は子供のよろしくない隠し事を見つけた親の顔をしている。


 裏切られたような、失望したような。


「まさか、眠い、とか言い出すんじゃねーよな?」


 鋭い瞳が隼人の悪あがきを制していて、嘘をついても無駄だと言葉以上に物を言っている。本当のことを言っても怒られる、と隼人は心の中で呻き声を上げた。


 言い訳がいかに愚かで、どれだけ余計な怒りを買うかを隼人はよく分かっている。しかも、ただでさえ作戦に遅刻するという愚行を犯しているのだ。


 蛇に睨まれた蛙。か弱い立場で捕食者を見る少年は、ごくり、と唾をのむ。


「俺、明日から中間テストだから」


 気圧される少年は、せめても美濃を視界から追い出すために頭を下げた。謝罪の意味も含まれているのか、深く下げられた頭が持ち上がる気配はない。


「……昨日から、あんま寝てない」


 そして、静寂。

 隼人には自分の鼓動の音しか聞こえない。 


 いくら待っても、雷は落ちてこなかった。


 隼人はそわそわとする心情を、飲み込むように唇を噛んだ。何か言葉を――、説教はやめてもらいたいが、無言を貫かれるよりはいい。そんな思いが伝わったのか、重苦しい空気を吐き出す音がした。


「つまんねえ注意を」

「……」

「俺に言わせるな、って」


 地響きでも起こせそうな、不機嫌に低い声が隼人の頭上にのしかかる。


「――いつも、言ってるよな?」


 急遽の制裁。

 美濃の右手は隼人の頭を鷲掴みし、顔をのけ反らせる。強制的に顔をさらけ出され、強引に張らされた喉を使い隼人は詰まった声で返事をした。


「睡眠だけは欠かすなってあれほど」

「分かって――」

「ない。テストと大義と、どっちが大事なんだ」

「赤点取ったら、大義のために困る」


 美濃の視線から、責め立てる厳しさは抜けない。


 かといって、睨まれる隼人は気まずさを感じてはいるようだが、命の危機に瀕しているつもりはないようだ。


「大丈夫、大丈夫だって」


 自分の頭を固定する美濃の手を取り、抜き取られそうな髪の救助にあたった。能天気な返事をする隼人は、自分の行動に危険を覚えてはいない。普通の人間なら、それでもいい。一日の睡眠不足が生死に関与することなどないのだから。


 美濃は不快感を露わに舌打ちする。

 音という音が聞こえない中で、その舌打ちはまるで手本かのように響いた。


「心配性だなー、美濃君は」

「ヒナが考えなさすぎなんだ」

「今までだって平気だったし」

「……廃棄機体――旧世代機は必要以上に体力使うだろ」


 美濃も隼人の言い分に、一応、不満はないのだ。


 それでも、万が一を考えなければならないのは、統率者である美濃の役割である。隼人には自分の命をかけている感覚が薄すぎる。その危機感の欠落が、美濃には気がかりなのだ。


 死ぬつもりはないが、死ぬ覚悟はある。


 自分なら、最後の最後まで抗うだろうが、隼人はどうだろうか。


「あのな」


 諭すような声はため息交じりに落とされる。


「お前は、自分が死なないためにできることを優先しろ。いざとなったときに、睡眠不足で死ぬなんて嫌だろ?」

「……」


 隼人は長い沈黙を持ったあとで「うん」と首肯した。


 自分の行動はフロプトとしては多少問題有りかもしれないが、学生としては間違いではない。総合的には許容範囲、と決断したのだ。


 それに酷評を出された。しかも、怒鳴り散らすわけぜもなく、静かに言い聞かせるように。


 暴君な頭領にしては稀有な対応。能天気、と言われる彼でも、少しは落ち込むというものだ。


 しかも、予定では勉強のつもりだったが、結局は趣味に時間を消費しただけである。絶対に言いはしないが、罪悪感はぐさぐさと隼人の心を刺していた。


「分かればいい」


 美濃は隼人の額を軽く小突く。


 たいして痛くもないそれが、彼なりの気遣いだと察するのは隼人には簡単だった。彼に比べれば、まだまだ自分は子供だと思い知らされ、少年はおでこを擦りながら口を尖らせる。


 どうしようもない憤りが少年の胸に滞る。美濃にではなく自分自身に感じたそれは、簡単に消化できない。

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