第13話 闇夜、暗闇の森、宵の世界

 メルトレイドのコックピットは、基本的に一人乗りの仕様だ。


 操縦席と内壁との間はどの位置からも均一で、操縦席を中心に人ひとりがぐるりと一周できる幅がある。隼人が座り込んでいるのはその空間だ。操縦席の後ろから、美濃の居座るそれに手をかけ、視界に広がるモニターを見ている。


「見渡す限り、ずーっと木しかない。その先は桜の国」

「この辺は境界点に近すぎる。影響圏外だとしても、汚染国有林扱いだろ」


 汚染国有林は国に指定された立ち入り禁止地区のことだ。要は魔神出現の可能性のある区画を指している。世界境界点が出現した日からその周囲に人が住み着くことはなく、流れる月日によって樹海ができあがっていた。


 隼人は固定モニターとは別、そこらに浮かんだバーチャルディスプレイのひとつを引き寄せた。探知機能用のものだ。

 目的のメルトレイドの傍まで来ている。本来ならば、周囲の金属探知と索敵が引っ掛かり、位置情報を示すはずであるのに、二つともが”検知不可”として結果が表示されていた。


「探知機全般駄目みたい。衛星写真もぶれぶれだったもんね」と、この場所では無能なディスプレイを叩き消す。他に残る補助ディスプレイは、雅との通信画面と目的地を示す地図だけだ。


「もしかして、これって、面倒なパターン?」

「もしかしなくても、だ」


 外界を映し出す固定モニターの画面はメインカメラとサブカメラの映像を合わせ、五分割で表示されている。


 八割を占めるメインの領域には、メルトレイドの視界――前方が広域で映っていた。その両脇に二つずつ備えられた四区画には、背後や上空、真横などの、死角の現在映像が映っている。


「ちっ、好条件すぎると思った」

「へ?」


 人が近づかぬ樹林。幹から伸びる、幾重もの枝や葉の重なりが、保護被覆になって地面を隠している。

 第八境界点の光と月光とを合わせて浴びる樹木の群は、上空から見下ろすと、深い緑の海のようだ。


「俺達にとって優良物件ってことは、SSDにとっては最優先で回収したいはずだろ?」

「……できない理由がある」


 それこそが樹海であった。

 大森林に覆い隠されているために、付近までは辿りつけても、正確な位置が見いだせない。かといって地面伝いで行くには、大規模な捜索隊を組織しなければならないだろう。

 わざわざ、メルトレイドを使って、しらみつぶしに周囲の森林伐採に励むのも馬鹿らしい。

 手間と費用を考えれば、SSDが放置を決断するのも頷ける。


「で、こっからどうしろってんだ、雅ちゃんよォ」

『え、えーっと』

「あァ?」

「柄悪いよ、美濃君」


 情報の収集と目標の決定は雅の仕事である。


 現場に到着した後に、思っていたのとは違う、では済まされない。ここまでの道のりが無駄足となってしまえば、隼人にいたっては叩かれ損である。


『怒らないでよぉ! 面倒だから保留なんて、資料にはなかったの!』

「……次からは保留要因も確かめろ」

『うう、ごめんなさい』

「まあまあ、基本的に放棄機体は難があるから残されてるわけだし」


 今回のような回収作戦の場合、彼らは作戦会議を繰り返し、成功確率を高める、という基本的で当然の前準備はほぼ省略している。


 決行日を決め、個人に役割を分担、あとは成り行きのままだ。今日だって、隼人はこの機体に乗り込むまで、どこに行くかすら知らなかった。


 行き当たりばったり、と評して間違いない。しかし、回収作戦はそれで非常に上手く回っていた。


「ここで照明弾使ったら、まずいかな」


 なぜなら、それぞれが才能を持ち、それを出し渋らないからだ。 

 久しぶりに”成果なし”で終焉を迎えそうであった計画に、遅刻という失態の取り消しをはかろうとする少年が待ったをかける。


「照明弾?」


 美濃は訝しげに、隼人の横顔へ説明を求めた。

 周囲の景色は肉眼でも観察できるだろう。それほどに煌々とした夜だ。

 加えて、彼らはメルトレイドに乗っている。昼夜問わずに駆ける兵器に、暗視装置が付いていないわけがない。


 隼人はモニターから目を離さずに「ちょっとでも反射してくれれば、見えると思う」と提案する。


 瞳が乾くのもお構いなしで、木々の奥底を見透かすように隼人は目を見開いていた。瞬きの仕方を忘れてしまったのだろうか、というほどである。


「……雅、照明弾の可視範囲に哨戒機は?」


『ちょっと待ってね』と雅が断りを入れるのと、『反応なし』と報告する時間間隔はほぼ無に等しかった。


 隼人は一度、視界を塞ぐ。


 左手で眉間を抑えながら「ほかに金属の廃棄物でもなければ、だけど」と予防線を張った。


「そりゃあ運に任せるしかねーな」

「俺、今日何位だったかな」


 ううん、と唸る少年に『あちゃあ、最下位ね』と有能な情報管理者が、頼みもしない答えを即座に寄こす。

 星占いの結果が悪かろうと、やらないわけにもいかない。


「哨戒機はなくても、無人警備システムには引っ掛かるぞ」

『現場に軍機が到着しても、樹海の下に潜ったらまず見つけられないわ』

「決まりだな。ヒナはSSDの連中が来る前に、見つけ出せばいい」

「時間勝負だね」


 美濃は右手だけを操縦桿に乗せる。


 メルトレイドは操縦桿ですべての操作を賄えるわけではない。むしろ、操縦桿は、通信機器や拡張武装器具と同じく、補助設備の一つ。


 メルトレイドは、パイロットとの精神回路の結合で動くのだ。要は、機体と人体とを接続し、搭乗者が自分の肉体の代行として、機体を操る。 


「モニター越しでいいのか?」

「うん。情報よりずれた位置にあったら、目視じゃ見渡しきれない」

「雅、地図とモニターの映像の位置が同一視できるように、補助図示入れてくれ」

『了解』


 バーチャルディスプレイの地図が拡大され、メインモニターに重なる。上に乗った画面は、後ろのモニターを透かしながら、傾きと奥行き、それぞれの軸を合わせていく。


『危機予測準備完了。行動オペレーション、戦闘オペレーションの準備完了』

「アイスワールド、美濃。問題ない」

「同乗、隼人、同じく」


 隼人は身をできるだけ後ろに引き、画面から遠ざかる。視界に入る限りの情報を入れるためだ。


 メルトレイドは美濃の意のままに動く。格納されていた可変武器を手にし、銃に変形させると、頭上高くをめがけて構えた。


『――作戦開始』


 一筋の白色が空を垂直に昇っていく。


 光の先が限界の高さまで到達すると、高明度の光線を発しながら破裂した。破裂音が消えるのを嫌がるように、警報が誘発される。


 瞬間に、日の出を迎えた樹海。


 隼人は顔を固定したまま、眼球だけで頼りの反射光を探し求めた。それは砂漠の砂の中から、異なる一粒を見つけるような作業だ。


 光が段々と薄れていく、美濃は次の照明弾を空に構える。


 ほんの、わずか、小さな輝き。

 隼人の目は、閃光を返した一粒を見落とさなかった。


「見つけた!」


 彼にしか見えない光。

 隼人は操縦席との距離を詰め、手を伸ばして地図を引き寄せる。指で画面上にとある一点打ち出す。対応したメインモニターの画面にも、その位置が浮き上がった。


『SSDが警報を確認、メルトレイドの出撃許可が降りたわ。今、パイロットを招集中、技術班は出撃準備中』

「到着前に帰還する」


 美濃と隼人の乗り合わせるメルトレイドは一直線に降下していた。 

 近づく緑の壁に減速することもなく、突っ込んでいく。


 機内はがたがたと小刻みに揺れるが、大きな衝撃はない。木々らに速度を奪われるようで、上層の茂みを抜けるころには、十分な減速を済ませていた。

 枝葉を荒らす音を立てながら、地面に足を下ろす。


「……驚いた」


 美濃は心の声を漏らした。


『こっちからは境界影響で、映像が確認できないんだけど』と、視界での情報を奪われているオペレーターが森の中の状態を尋ねる。


「ヒナにしては、よくできた」


 美濃が賛辞する通り、まるで仕組まれたように、目的のそれは彼らの乗るメルトレイドと向かい合う位置にあった。


 その事実を伝えられると『さすが隼人』と、雅は隼人の特異な視力を称賛した。ところが、褒められた少年はそれどころではないようで、両手で顔を――正確には目を押さえていた。


「目がしょぼしょぼする」


 隼人はぎゅう、と強く瞳を閉じて水分が満ちるのを待つ。渇きを潤そうとする涙腺からは過度に涙が溢れ、自然と目から零れ落ちた涙は手と肌の隙間に溜まった。


「目もだろうが、鼻血もなんとかしろ」

「うー、こればっかりは、俺の意思じゃどうにも」


 頬を濡らした隼人は手を離し、まずは目から流れる水分を指で払う。それから、つう、と滴る鼻血を手の甲で拭った。


 拭き取るための気の利いたものなど、この狭い操縦席の中にありはしないし、彼らも持ち合わせてはいない。

 不幸中の幸いは、血液の流れが持続しなかったことだ。


『こっちですることは?』

「SSDの動きを随時報告」

『了解』


 外に出るためのハッチが開くと、隼人はすぐさまに外へ飛び出した。

 メルトレイドの関節伝いに足をかけて降下して行き、最後は枯れ木と落ち葉の山に足をつける。


「おっ、と」


 どうにも足腰が弱いのか、隼人はふらつきやすい。このような足場の悪いところでは、歩くことも不器用になる。


 境界点に近しく、国から”汚染国有林”と認定された土地に人が入ることは許されない。長い年月、人の手が付いていない大森林は一種、遺跡のようである。

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