第8話 危険は貴方のすぐ後ろ
「げ……っ!」
真っ先に反応を示したのは、言わずもがな、白い法被と一番遠い位置にいた隼人だった。
隼人たちを咎めようとするのは、演説を始めんばかりの男性だけではない。
彼の背後にいる同一衣装の集団全員が一様に三人を見ていた。じっとりとした視線は、三人の辿りついた結論に異議を申し立てているようである。
呆気にとられる浩介と紗耶香に関せず、隼人の中では瞬間で決断が下った。
「じゃ、俺達予定があるので失礼します!」
一も二もなく、逃走。
隼人は浩介と紗耶香の手を取ると、颯爽とその場から走り去る。隼人の走りは紗耶香から預かった荷物の重さなど感じさせない全速力で、すぐに集団との距離が開いた。
背後から聞こえる若桜を讃える声が、少年らの背中を引き戻そうとする。
「隼人っ、腕抜けるっ!」
「抜けないよ!」
「あああ、キャリーケース壊れちゃう!」
「ちょっと頑張って!」
喚く二人の声を即座に撃ち落とし、隼人は両手に友人らを捕まえたままで、駅に滑り込むように逃げ入った。
何度目の振り出しに戻るだろうか。
「っとと」
「隼人っ!」
「ちょっ! 隼人!」
急ブレーキをかけた隼人はふらり、と足をもつれさせる。自分の足同士を器用に絡ませて、今にも転びそうな少年の体を引っ張られていた二人が逆に引き寄せた。
地面との挨拶を回避した隼人は、ふらふらしながら「ありがと、助かった」と胸を撫で下ろす。ははは、とわざとらしく笑う隼人に、浩介と紗耶香は溜め息を漏らした。
「気をつけろよな」
「あい、変わらず……はー、ドジっ子属性なん、だから」
「そんな所属になった覚えない」
あわや転倒しそうであった隼人はむすりと不満を膨らませたが、二人からの否定的な視線が隼人の主張を簡単に黙らせた。
「ってか、紗耶香も。この距離で息切れとかまずいだろ」
「ふー、ほっといて」
荒れた呼吸を落ち着けると、紗耶香は「で、さっきの白い人たち何? 宗教団体?」と隼人へ質問を投げる。一瞬にして食いついた隼人は、かっと目を見開いた。
「一ノ砥の信者! あいつらのせいで! 俺の人生の楽しみが! 奪われた!」
隼人は怒れる嵐のごとく声を張る。憎しみを抑えきれないのか、下唇をかみしめる様は、溢れる感情を我慢する行為のようだ。
「……ああ、昨日の追悼式か。お前よく間に合ったな。ほんと、無事でよかっ、た――」
浩介は今日一番に隼人にかけてもおかしくない言葉を、今更になってかけた。
そして、しまった、と口を抑える。
浩介の本心を晒すと、隼人を心配していなかったわけではない。
追悼式での事件は、解決直後から報道番組のラインナップをジャックしていた。アナウンサーが巻き込まれた一般人に怪我人はない、と情報公開しているのを聞き入れていたし、直接と隼人に連絡もしていたので、浩介は友人の無事は確認していた。
「無事じゃない! 期待が粉々!」
それでも、浩介が追悼式の話を隼人に持ちかけるのは可笑しいことではない。しかし、浩介はそれをしなかった。追悼式の話を持ち出せば隼人が発狂するだろうことが、火を見るより明らかだったからだ。
「前日楽しみで寝れなかったのに!」
浩介の予測を裏切らず、隼人は身ぶり手ぶりも交えて心の内を力説する。
悔しさを思い出したのだろう、昨日の今日で当然、やるせなさはふっきれていない。今にも足元から崩れていきそうな隼人を前に、紗耶香は「やっぱり、隼人って変」と総評を言い渡した。
二人の生ぬるい視線をものともせず、隼人はいかに自分が追悼式に心を燃やしていたかを、息継ぐ間を惜しむように連ねる。およそ呪詛だ。言葉を吐き出す隼人は、暗い禍々しさを背負っている。
「――ねえ、世界境界は審判者でしょ? 境界線はその足掛け」
過去を諦められない少年を無視して、紗耶香はふと思い立った疑問を尋ねる。再びに蒸し返された議題に、浩介はほんの僅かに顔を顰めた。
第八世界境界に関して、紗耶香が不思議に思うことや知らないことが多いのは承知だが、今日はそんな固い話題をするために集まったのではない。
「何で境界線が世界征服しようってことになってるの?」
「それがわかったら、俺が世界境界線やってるっての」
「浩介が境界線なら、本当にエネルギー大国にのし上がるだけで話は終わったのにね」
「我ながらすげえ平和的!」
暴走する隼人を置き去り、二人は中身の薄い会話を繰り広げた。正気に戻るまで放置を決め込んのか、嘆く隼人をまったく相手にしようとしない。
一通り、身の内にあった邪念を吐き出し終えた隼人は、すっきりした顔で予定の再開を申し出た。余計なことに時間を費やしてしまったが、三人が三人ともどれも無駄だとは思っていない。
こうやって行き当たりばったりに時間を消費するのは、三人の常であった。
「あ、ほら、佐谷。見たがってたメルトレイドだよ」
「見たがってはない、けど――どれ、どこ!?」
隼人は駅前広場の中心地あたりを真っすぐに指差す。
メルトレイド――対魔神掃討機関の作り出した機械人形。人が乗って操縦する兵器。十数メートルはある巨大な人型は、白を基調としたカラーリングをしている。魔神を掃討することと捕縛することが仕事で、その巨体を動かすエネルギーもまた魔神だ。
沙耶香の視線の先、待機姿勢で座り込むメルトレイドは、関節部分がごつく、角ばった外装をしている。強靭で確かに魔神を殺せる兵器なのであろうが、どうにも、野暮ったさと無骨さが目につく。
時代の流れは隠しきれない。
「……あのね、”英雄の遺志”は目をつぶっても思い出せるくらい見てるけど」
”英雄の遺志”と名付けられたメルトレイドは、四条坂駅から出てすぐの駅前広場に降着している。
隼人が昨日に参加した追悼式で偲ばれていた”名もなき英雄”――その人物が第三境界点を消失させたときに搭乗していた、歴史も謂れもあるメルトレイドだ。もちろん動かないように、原動力は抜き取られている。
逆を言えば、原動力さえあれば、まだ動きはするだろう。
すでに引退をしている人類の遺産は、魔神の掃討から待ち合わせ場所の目印代わりに役割を変えていた。
「違うよ、上」
隼人は苦笑交じりで、紗耶香の視線を方向修正させる。
空の遠く、飛び去る白の機体は彼方へと飛んでいく。一機を先頭に、後方に四機が続いて群をなしていた。
現役のメルトレイド。
「はー、あれが、最新型の現行機なのね」
英雄の遺志も現行機に分類されるが、いくつも前の型番になる。
空を行くメルトレイドは、より人間に近しい形状にしていた。外装も角ばったパーツよりは、丸みを帯びたフォルムが目につく。
メルトレイドは、人型を取ることに大きな意味があった。全体的にスマートに仕立てあげられている最新機は、英雄の意志に比べてより人間的形状で、確実に理想を実現していた。
発展を遂げているのは、外装だけではない。性能の方は、比べるのもおこがましいほどの進化を遂げている。
「あと見てないのはマグスだけね」
「道端にはいねーよ」
「いたら大事件」
正論を返され「冗談よ」と紗耶香は笑い飛ばした。
目的地に向かい、横並びに歩く少年少女。
話すことを待ちきれない紗耶香が、アメリカでの思い出を歩きながら語り始める。浩介と隼人は彼女の話に相槌や質問を交えながら、雑談に興じた。
そんな平和を壊す、耳をつんざく狂音は唐突に鳴り響いた。
街路に設置されているスピーカーからけたたましい警告音が飛び出す。三人のそれぞれの携帯電話も、持ち主の不安を急かしたてた。
道を行く人々全員の携帯電話が同じ仕事をしているせいで、心にも耳にも優しくない。
「け、警報!?」
「これもいつものことだから、落ち着いて」と、隼人は努めて静かに諭す。
慌てふためくのは、紗耶香だけだ。周囲、誰一人も混乱している様子はない。
「一ノ渡の放送って、最後に魔神を喚ぶんだ」
「って言っても、人のいないところにだけどなー」
「だからさっきメルトレイドが飛んでたわけ」
「実害はいままでに一件もないし。三日ぐらいで、慣れるぜー」
浩介はどこまでも能天気だ。その言葉を後押すように、ぴたり、と警告音が一斉に止む。
紗耶香は自分の抱えていた不安が偽物ではなかったことに、安堵すればいいのだろうか。そんなこと、できるわけがない。世界征服など、虚像であればよかったのだから。
現実であったことに動揺する紗耶香の顔色は、ほんのりと青白い。「慣れたくないわよ」と掠れた呟きは一人にだけ届いた。
「それは正しいよ」
すっかり意気消沈してしまった紗耶香を鼓舞させるように、隼人が小声の判断を支持する。
「本当なら、佐谷の反応が健全で、正しい反応。……一般的ではないけど」
暗に自分も同意見だと、彼女に伝える内緒話。
紗耶香は心を巣食う形のない不安が、軽くなるのを感じた。普段、すぐに反対意見を言っては、彼女を馬鹿にする隼人が賛同したのだ。
先を行っていた浩介は、遅れる二人を急かしたてる。
目的の場所はすぐそこだ。
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