最終話 月は満ちて 4



 白しっぽは迷わず答えた。


「そうですよ」

「悪しきものじゃないんだな?」

「だれがそんなこと言いました?」

「おまえのあるじだ」

「長姫がそんなことを言いましたか」


 くすんと鼻をならして、またもや涙ぐむ。


「あるじがそうしたいなら、われらは誰もとがめません。たしかにミレニアム族に守ってもらえば、ありがたいです。けど、あるじを犠牲にして、われらの平安をとるわけにはいきませんからね」


「そういえば、さっきの長姫は歯切れが悪かった。おれにウソをついて、破談の使者にしたわけか。妙なマネをするな」


 すると、白しっぽは急に憤慨ふんがいして、ディアディンの胸をポカポカなぐってきた。


「あるじの気持ちがわからないのですか? あなたを愛してるからですよ!」

「ああ……」


 それは心のどこかで知っていたような気がする。

 うれしいような、悲しいような、この切なさを、どうしたらいいのだろう。


 ディアディンが吐息をついていると、背後で似たようなため息をはく音がした。


「やはり、そうですか。あなたを見たときに、そんな気がしましたよ。小隊長」


 ふりかえると、木の精の長が立っている。


「私はムリじいはしたくない。身を引きましょう。なに、心配はいらない。あなたがたのことは影ながら見守ると、月のしずくどのに伝えてください」


 木の精の長が立ち去ろうとするので、ディアディンは呼びとめた。


「待った。あんたたちときたら、どうしてこう、どいつもこいつも、おれの意思を無視するんだ。おれはただの一度も長姫とつきあうとも、ましてや結婚するとも言ってないんだぞ。ちょっとは、おれの意見をきけよ」


 木の精の長は、あの美しい長姫に好かれて断るバカがいるわけがないという顔だ。


 ディアディンは口早に続けた。


「あんたは長姫と結婚するんだ。かんたんだ。これから行って、おれが長姫をふってくる。あんたは傷心の彼女をなぐさめてやるんだな。おい、白しっぽ。案内しろ」


 ディアディンは白しっぽをせかして、長姫のもとへひきかえした。


「長姫! あんた、おれにウソをついたな? あの男は悪しきものなんかじゃない。こんなふうにウソをつかれたんじゃ、あんたの頼みはもう聞けない。あんたたちとの仲もこれきりだ」

「待ってください。ディアディンさま。わたくしは——」


 狼狽ろうばいして、とりすがろうとする長姫を、その細い両手をつかんでひきはなした。


「さよなら。月のしずく」

「待って。わたくしは、あなたを——」

「それ以上は言うな。おれは人間で、あんたは魔物。第一、おれはあんたにふさわしくない」


 自嘲的じちょうてきに、ディアディンは笑う。


「どんなふうにふさわしくないかは、白しっぽに聞くんだな」


 言いすてて走りさった。


 夢の世界が遠くなる。

 ディアディンと長姫のあいだにつながれていた、かけ橋がくずれていく。

 何もかも、これで終わりだ。

 もう二度と、あの世界へ行くことはない。


(これでいいんだ。あんたに愛されるには、おれはあんまり汚れすぎてる)


 そう考えるのに、この虚しさはなんだろう。


 翌朝からも、ディアディンにはいつもどおりの砦の生活が待っていた。

 ちがうのは、満月の夜の夢のようなひとときが、どこか遠い世界になってしまったこと。


 その後、ディアディンは多忙だった。

 魔物はディアディンの気持ちなんて考慮してくれないので、好きかってにあばれる。


 そのせいか、いやに体が疲れやすい。まるで、だれかが遠くから、ディアディンの力を吸いとっているかのように。


「小隊長。ねえ、ディアディンさん。お願いがあるんだけど」


 食堂で給仕をしている少年が、ディアディンをたずねてきたのは、そんなころだ。


「深刻な顔だな。誰かとトラブルでも起こしたのか?」


 少年は首をふった。


「ぼくに何かあったわけじゃないんだ。ディアディンさんは絵かきのレイグルと親しいんでしょ?」

「親しいというか、まあ、知りあいだ」


「あの人、ぼくらに似顔絵かいてくれたりして、けっこう給仕の子のあいだで人気があるんだよ。それで心配なんだけど、近ごろ、あの人のようす、変なんだ。何かあったんじゃないかな」


 そう言われて、長姫と会った最後の夜を思いだした。


 そういえば、魔法の絵筆をレイグルにあずけたままだ。あの絵筆はとんでもない魔力をもってるらしいから、レイグルの身に何かが起こったのかもしれない。


「わかった。しらべておこう」

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