再会
二階は、灯りがともっておらず薄暗い。
騎士達は、二階に上がってきているようだ。
どうやら、怪物は幸い、動かなかったのだ。
がらんとした広間。民間の人達はあらかたが一階におり、ここには誰もいなかった。
隊――と言っても分隊程度の人数だったが――の長だろう人が広間の壁の前で、灯りを、とか、誰それはどこへとか部下らに指示を出している。部下達はすぐ各所へ散っていき、その人が残るのみとなった。ミートはゆっくり近づいていく。女の人……だ。
ちょうどその人の後ろの壁の灯が、どこかでスイッチが押されたのかぽっとともる。ほの灯りが、彼女の顔を照らし出す。
知っている……とミートは思う。
彼女が、近くまで来たミートを見る。ミートの顔もまたほの灯りに照らされる。
「あ、……」
「えっ」
ミートは名を呼ぶことはしなかった。昔、騎士学校で一緒だったことがあるというだけだ。いや、そこで少し、話したことが……ミートは、はっとした。
ほの灯かりを背にした彼女がミートを静かに見ている。
その瞳は、貴方のことを知っている、と告げている。覚えていてくれたのか。
彼女の顔は、怪物達の間を馬を駆ってきたためだろうか、些か疲れて、闇の中いやに白く映えて見える。騎士学校の頃のどこか溌剌した少女の時は過ぎて、整った女性の顔になっている。そしてその顔は、雨を逃れておそらくこれからでき得る限りの民を助けねばらないという、大きな災禍を前に使命を帯びた凛々しい顔でもある。
あの頃から何年経ったのだったろう。
「あ、あれから……」
「う、うん。えっと確か――」
「……」
彼女は口を軽く開けたまま指を小さく振ったりするが、ミートの名前が出てくることはなかった。
ミートだ、と彼は告げる。
彼女は、「ああ、そうだった、ごめんなさい」と名を思い出せなかったことを少し恥じ入るようにしてから、
「一年、遅れたんだよね。理由は、知らなかった。皆が、あの人ってそういえばどうしたのかなって……それで、知って。体を壊していた? あの後、騎士にちゃんとなった?」
矢継ぎ早に尋ね、ミートは少し戸惑う。
「あ、ああ」
――一年間、修養棟にいたんだ。それから、色々あって、……もうどれだけかつての仲間が残っているしれないここで、色々とこの子と、話しをしたいと思う。
「なったけどその、騎士は……辞めたんだ」
ミートは思いをまとめることはできず、今はそのことだけを告げた。
「ああ、そう、なん、だ……」
彼女は少しはにかんで、どう言ったものかという表情をしてそこで一度会話は途切れた。
少し離れた位置にもほの灯りが一つともり、それでもまだ暗さをたたえたままのこの階に、二人でいる。
――ほの灯りの照らす、この子の顔が奇妙にきれいに見える。
会話の途切れたためかミートからは目を逸らし、俯くと長めのまつ毛が目を隠す。外套やそれを羽織る肩に疲れが積もっているのが見える。
――あの頃も、この子と実習でたまたま一緒になった時に二言三言交わしただけだ。自分は当時迷いの中にあり、騎士を目指す同期の中にほとんど友と言える者もいなかった。この子もそんな内情なんて知らずにただ、微笑みかけてくれただけだ。だが、この子にも、皆にも、それぞれ何らかの思いはあって、それぞれが騎士の道を歩んだ。この子はあれからの何年で、どういうふうにして、こうして一隊を率いて雨の中ここまで生き延びてきた。色々、話したいと思った。しかし、今は言葉が出ない。冴えない同窓会のようだ。線の雨が来る前の……そう線の雨が、来る。
「レクイカ様」
部下の騎士が、戻ってきた。それからすぐほの灯りを払うように灯りが一段明るくなり、階の全ての灯りがついた。
――レクイカ。そうだ。呼ばれた通り、この子はレクイカという名だった。
ミートの方は覚えていたのだが、単にあまり当時親しいわけでもなかった女性(親しい女性自体いなかったが)の名を呼ぶことはできなかった。
「スイッチは一階にありました。古い魔法の灯りと近年の魔法の灯りとの二重式になっていたみたいです。近年の魔法の灯りのエナジー補充に少し、手間取りました」
おっとりした口調で、外套を羽織った背の高い女性の騎士が話す。
「古い砦です。暫く整備もされていないですし、古い方の灯りは、あらかた壊れてて……あら、レクイカ様、この方は……」
他の部下の騎士も二人、三人、と順次戻ってきて、レクイカの近くにいたミートを見るが、それからは各々が報告を優先して、レクイカに特にミートのことの説明も求めなかった。
レクイカも真剣に騎士らの報告を聞いている。残っている民らの数や、それに周囲の怪物の配置。砦にある装備や備蓄(しかしこれらはほとんどない)。
やはり民を救いに来たのか? あるいはただ雨を避けてここに一旦退避してきただけで、これからどう逃げるかの相談か。
主に、彼女の側近らしい同じ年か幾らか若いと見える三人の騎士らが、彼女と打ち合わせをしている。この構成を見るとおそらく救助隊かそうでなければ輸送関連の任務だろうがそういった荷はないようだ。周囲には、他に四人が静かに侍っている。外にも見張りを置いているかもしれない。おそらく十名いるかいないか。これで、怪物を切り抜けられるか。無論ミート一人で逃れようというより少しは、望みは高くなったろうけど。
また何らかの指示を受けて、周囲にいた四人が散っていくが、今度はレクイカに寄っている女性三人は傍らに残った。
小柄な一人は、ミートを睨んでいる様子だ。
ミートは少し居たたまれなくなり自ら一歩寄り(睨んでいる一人がミートを牽制するようレクイカの前に出た)、そこで歩を止めて、名乗った。
「えっと……ミートと言う」
レクイカはうん。というふうに軽く頷くが、今は表情を引き締めていた。周りの騎士達に特に自分のことは紹介はしてくれない……と思いそこでそもそもレクイカは自分のことなど名前も覚えていなかったしほとんど何も知らない、と思う。
小柄な騎士は何ですか、こいつは。と言っている。
「その……同じ、騎士学校だった」
「騎士? ですか……?」
同じ小柄な一人が、怪訝そうに、レクイカの方に問う。
他の二人は顔を見合わせている。
レクイカは、あー、え、と、うん……。と返答に窮している。
ミートも少し、困った。今の自分は帯剣さえしていない。と、
「何かあいつ、騎士には見えません。乞食か何かみたいです」
さきの一人がぴしゃりと言った。
「なっ、乞食?」
ミートはあまりの思わぬ物の言われ方に、思わず焦って否定する。
「ほら、このマント……ぎ、吟遊詩人だろう、み、み、見えるだろ、う……」
途中でどもって、最後は消え入る声になって、消えた。
この数年、古の探求の騎士達に憧れ、気ままな旅に出て詩を詠んでいた。剣は、持っていたがここへ来る途中怪物に出くわした時に、取り落としたまま逃げてしまった。その怪物もミートを見て逃げたのだが、その後も木陰からじっとミートを窺っており、怖くて剣を取りに戻ることはできなかった。
レクイカは、苦笑――してくれてさえ、なかった。引いている。
一人が「はあ?」と大きく言って、あとの二人がひそひそと何か囁き合っている。
「何言ってるんですか。あいつ。レクイカ様、もしかして、落第して、騎士になれずに、浮浪者になって自分で吟遊詩人だとか気取っているような痛いやつを、偶然ここに逃げ込んだ民のなかに発見してしまったのですか?」
一人はやけに、ずけずけと物を言う。
「ち、ち、違うっ。一度は、騎士になったんだ。それは、確かだ」
せっかく、せっかく、自分の中で救いと思えた再会をしたのに、自分もこんな確かに今のみすぼらしい見た目とは裏腹にあの頃より成長もしている自負もあるのに、これでは。これでは……そう思いつつ、惨めな言い訳じみた言葉がどんどん出てきてしまい、ミートは段々自分の心を殻の中へと閉じ込めてしまう。
「中身は……こんなんじゃないんだ。それに、吟遊詩人としてだって、この辺じゃ全く知られていないだろうけど、遠い地で一応、実際に、ぼくの、いや、お、おれの詩が広まっ……」
レクイカが、一歩、ミートの方へ歩む。
「……大丈夫。今は、ここまで生きていただけで」
ミートは、俯いて、言葉をなくしたが、すぐに顔を上げる。――レクイカには後で、いつか、話をしよう。
口の悪い部下は、レクイカの後ろからミートにべーっと舌を出している。それをさすがにはしたないからやめてと隣の背の高い騎士に制されている。――こいつとは……わかりあえないかもしれないが。
「その……おれも、協力する。ここを、脱出するだろう?」
「うん」
レクイカは、ミートにまた、微笑みを向けてくれた。
「もちろん。私達は救助隊としてここへ来たの。雨を逃れるため……」
レクイカは一度翳りのある表情で俯きかけたが、前を向いて、
「ええ。一緒に行きましょう」
そう言って、さあ、他の民の方達も、ここへ集めて。と部下らに呼ばわる。
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