第2話 夫婦の厚意

 町に着いたのは(たぶん)、朝の十時頃だった。自分の空腹具合や太陽の位置を考えて。今を「お昼」と言うには、「ちょっと早い」と感じられた。

 僕は町の入り口を探し、あれ? 町の入り口は何処にあるのだろう? 町の周りに柵らしい物はあるが、「これぞ入り口」と言う物はまったく見られなかった。柵が途切れた部分に兵士、番兵らしい人は立っているけれど。

 

 僕は不安な顔で、その番兵に恐る恐る近付いた。


「あ、あの?」


 番兵は、僕の声に驚いた。


「だ、誰だ?」


 僕は(言葉が通じた事にホッとする一方)、質問の答えに困った。ここで正直に答えても……たぶん、「頭がおかしい奴」と思われるだけだろう。「自分は、異世界から来た」なんて、大抵の人は……仮に信じたとしても、余所から来た異邦人として、即刻追い出してしまう筈だ。「ここにお前の居場所はない」と。人間は「自分の身内」には甘いが、「余所者」にはとことん厳しいのだ。


 彼の視線に「アハハ」と笑う。僕は、尤もらしい嘘をついた。


「た、旅人です。遠くの町から来た」


 番人は、僕の姿をまじまじと見た。


「その身なりから考えて。うーん、とりあえず『貴族』ではなさそうだな。鎧にも家紋が刻まれていないし。おおよそ、領主に解放金を払った『自由民』と言った所だろう」


 彼は、自分の推理に「うん、うん」とうなずいた。


「で?」


「はい?」


「ここに何のようだ?」


 僕は、相手の目を見つめた。


「宿に泊ろうと」


「宿に止まる?」と、驚く彼。「この町のか?」


「は、はい。ここ一週間、ずっと歩きっぱなしだったので」


 彼はまた、僕の姿をまじまじと見た。


「良く見ると、服が汚れているな。お前」


「は、はい!」


「公路を歩いてきたのか?」


「公路? 公路って?」


「人間が整備した道の事だ。旅人は普通、その公路を通ってくる。公路には、あまりモンスターが現れないからな。道の表面にまじないが掛けられていて。お前も、その公路を通って来たんだろう?」

 

 僕は、その質問に首を振った。


「い、いえ、通っていません。僕は……最初は森だったけど、草原の中を歩いて来ました」


 番人は、その答えに目を見開いた。


「なっ! くっ」

 から、彼の目付きが鋭くなった。「あり得ない! 人間が森を、ましてや、草原を抜けるなんて。あそこには、巨大な化け物がいるんだぞ!」の声も激しい。

 彼は僕の肩を掴むと、不安な顔でその肩を揺れ動かした。

 

 僕は、その両手に逆らわなかった。


「ほ、本当です! 僕は草原を越えて、この町に来たんです。草原の中にいた、ワイバーンを倒して」


 肩の痛みが弱まった。それに合わせて、彼の両手も肩から離れた。沈黙が訪れる。自分は何も悪くないのに、何処か責められるような沈黙が。沈黙は、彼が怯え出すまで続いた。


 番人は、腰の鞘から剣を抜いた。


 僕は、その動きに驚いた。


「ちょ! 僕は」


「うるさい!」


 彼は、両手の剣を構えた。


「生身の人間が、それこそ、お前のような子どもが、ワイバーンを倒せるわけがない。奴は、百の兵士よりも強いんだぞ?」


「なっ!」


 そ、そんなに強かったんだ、アレ。雰囲気は確かに怖かったけど、アレの翼を斬った時は……正直、プリンか何かを斬っているようだった。見掛けの方は、見るからに硬そうなのに。僕は自分の力に驚きつつも、「今の状況を何とかしなければ」と思った。「う、うううっ」


 番人は、僕の喉元に鋒を向けた。


「消えろ」


「え?」


「お前のような者を入れるわけにはいかない!」


 僕は彼の言葉に戸惑ったが、「これはチャンスでは?」と思い直すと、有りっ丈の愛想笑いを浮かべて、その場から勢いよく走り出した。


「わ、分かりましたぁ!」

 

 一心不乱に走る。後ろの番人から怒鳴られても! 僕は自分の失態を悔やみつつ、「次からは、気を付けよう」と思い直して、せっかく見付けた町からどんどん離れて行った。……どれくらい走っただろう? あの町から離れて。その時は頭上にあった太陽も、今では地平線の彼方に沈み掛けていた。

 適当な場所を見つけて、今夜の夕食を食べはじめる。今夜の夕食は、やはり木の実だった。クルミと同じくらいなのに、クルミよりもずっと苦い。それを食べ終えると、布の上に寝そべって、空の星をぼうっと眺めはじめた。「はぁ」

 

 僕は憂鬱な顔で、両目の瞼を閉じた。それから数時間後、夜明けと共に目を覚ました。僕は今日の朝食を食べると、野宿の道具を片付けて、自分の鞄を背負い、新たな町を求めて歩き出した。「はぁ」と、溜め息を一つ。

 

 僕は無言で(小川の水を汲んだり、適当な場所で野宿したりしながら)、新たな町を求めて歩きつづけた。次の町が見付かったのは、それから二週間後の事だった。町の柵にホッとする。一応考えながら食べていたが、鞄の食料は一日分しか残っていなかった。その柵に向かって歩き出す。柵の前には、やはり番兵が立っていた。

 

 僕は以前の失敗を思い出しつつ、その番兵に「こんにちは」と話し掛けた。

 

 番兵は、僕の声に驚いた。


「だ、誰だ?」


 前と同じやりとり。なら!


「旅人です。遠くの町から来た」


 今度は、絶対に間違えない。僕は真剣な顔で、番兵の目を見つめた。


「僕は、領主に解放金(そう言う制度があるのだろう)を払った自由民です」


 番兵は、僕の姿をまじまじと見た。


「自由民? ……ああ、なるほど。確かに、そう言う雰囲気だ」


 彼は、腰の剣から手を放した。


「目的は何だ?」


「宿です。この町の宿に泊ろうと思って」


 番兵はその答えに驚いたが、やがて哀れむように「そうか」と微笑んだ。


「それは、残念だったな。ここには、宿は無い」


「え?」


「ここは、キダラ様の荘園、封土だ」


「キダラ様の封土?」


 番兵は、僕の肩に手を乗せた。


「宿に止まりたきゃ、都市に行くんだな」


 僕は、彼の言葉に肩を落とした。せっかく、ここまで来たのに。まさか、宿が無いなんて。僕は自分の不運を呪いつつも、真剣な顔で彼の両手を握った。


「荒ら屋でも良いんです。雨風あめかぜを凌げるなら!」


「うっ」


 僕は、彼に頭を下げた。


「お願いします」


 彼は僕の願いに戸惑ったが、最後は「分かった」とうなずいた。


「俺の家に連れて行く。家には妻がいるが、良いだろう?」


「はい、構いません! よろしくお願いします」


 僕は、彼の厚意を心から喜んだ。


 番兵は、僕に微笑んだ。


「お前の名前は?」


「片瀬進です」


「カタセ・ススム?」


「はい」


「珍しい名前だな。俺は、奴隷のイヴァンだ」


 イヴァンさんは、近くの草地を指差した。


「交替の関係で、な。夕方まで待ってくれ。夕方になったら、俺の住家いえに案内するから」


「はい!」


 僕は、彼の言葉に従った。


 夕方になった。イヴァンさんは交替の人(かなり警戒していたが)に事情を話して、自分の家に僕を案内した。「ここが俺の住家いえだ」

 

 僕は、家の中を見渡した。家の中には……彼らの生活が何となく分かる。必要な物、しかも最小限の物しか置かれていなかった。食器棚の中にある、食器類も。

 僕は「それら」の物に驚いたが、イヴァンさんの奥さん(「ミリィさん」と言うらしい)が現れると、服の乱れを正して、その奥さんに「こ、こんばんは」と挨拶した。

 

 ミリィさんはその挨拶に応えず、イヴァンさんに視線を移した。

 

 イヴァンさんは、彼女に事情を話した。


「旅人だよ。宿を探しているらしくてね」


「宿を」


 ミリィさんは、僕に視線を戻した。


「お名前は?」


「片瀬進です」


「カタセ・ススム」


 彼女は、優しげに微笑んだ。


「面白い名前ね」


 彼女は、家の中に僕を導いた。


「入って。お腹、空いているでしょう?」


「はい!」


 イヴァンさんは、家の中に入った。僕も、その後に続いた。僕達は揃って(僕は、彼の案内に従って)家の中を進み、テーブルの椅子に腰掛けた。


 ミリィさんは、家の台所に立った。


「ちょっと待っていて。今、スープを温めるから」


「はい」


 僕は彼女の笑顔から視線を逸らすと、自分の正面に向き直って、スープが温まるのを待った。……スープが温まった。ミリィさんは三人分の食器にスープをよそうと、テーブルの上に「それ」を運び、その隣にパン(黒っぽいパン)を置いて、自分もテーブルの椅子に座った。


 イヴァンさんは、僕とミリィさんの顔を見渡した。


「それじゃ」


「ええ」と、うなずくミリィさん。「食べましょうか?」


 二人は揃って、両手の手を組んだ。


「果てにおわす」

 の続きは、聞かなかった。それが「頂きます」の時に言う、「彼らの挨拶だ」と分かったからだ。彼らは(たぶん、朝食や昼食の時もやっている)神への祈りを捧げると、満足げな顔で今夜の夕食を食べはじめた。僕もそれに続いて、今夜の夕食を食べはじめた。


 僕は夕食のパンを齧ったが、それがあまりに硬かったので、思わず「ぐうっ」と唸ってしまった。

 

ミリィさんは、その失態に「クスッ」と微笑んだ。


「余程お腹かが空いていたのね?」


 彼女は自分のパンを千切り、スープの中に「それ」を浸した。


「ほら? こうすれば」


 僕は、彼女の言葉に従った。


「あっ! 本当だ」


 まるで魔法にでも掛かったように。今まで硬かったパンが、見事に柔らかくなった。

 

 僕はパンにスープを染み込ませて、「それ」を「美味い、美味い(本当は、かなり薄味だったけど)」と頬張った。

 

 ミリィさんは、その光景に頬笑んだ。

 

 僕達は、今夜の夕食を楽しく食べつづけた。


「カタセ君は」


「はい?」


「何処から来たの?」


 その質問に一瞬、戸惑った。


「遠くの町から。名前すら忘れてしまう程の」


「ふうん」


 彼女は、淋しげに笑った。


「あまり良い思い出がないのね」


「はい」と答えるのが、「無難だ」と思った。「そうですね。あそこには、あまり良い思い出がありません。大切なモノも残してしまいましたし」


「そう」


 ミリィさんは、自分のスープを啜った。


「この町には、どれくらい居るの?」


 僕は、テーブルの上に匙を置いた。


「補給と調査が終わるまで、です」


「補給と調査が終わるまで?」


「はい」


 イヴァンさんは、僕の顔に目をやった。


「何か調べるモノがあるのか?」


 僕は、彼の目を見返した。


「イヴァンさん」


「ん?」


「知っている範囲で構いません。この世界に、人間ひとの願いを叶える神はいませんか?」

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