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一万っ? へ、へぇー一万両? うん、うーん、なんとかしたいもんだがねぇ。うーむ。ちょっと待っとくれよ。なんかいい知恵が……。そうだ、力があって気の利いた者が
それはもう、何十人でも。
いやいやそんなにどっさりはいらねえんですよ。
男は病室を窺い、小声になりますと、
じゃあ、あそこに病人が寝ているね。それで布団の四隅に一人ずつ座らしておいて、で、わたしが合図をする。膝なんかをポーンと叩くから、そのときに布団を持ち上げてくるっとこう、回しとくれ。わかるかい。頭の方が足んなって、足の方が頭んなる。一回転させちゃいけねぇよ。それじゃ元に戻っちまうから。いいか。これは一回こっきりのことだから、失敗しちゃなんねえ。わかるかい。
へい、かしこまりました。
すっかり手はずをして、じっと病人を見ている。夜が更けるに従って、座っている死神の眼が爛々と輝いてくる。すると、病人はうーん、うーんとえらい苦しみようでございます。
そのうちに夜も明けてまいりますと、死神だてずっと睨みを効かしているわけにもいきませんから、こっくりこっくりと居眠りを始める。病人の方も落ち着いてきまして、小康状態というわけになります。男はここだなっと思うから目配せをしまして、ポーンと一つ膝を打つ。すると四隅の男たちが布団を持ち上げてくるり。すかさず、
あじゃらかもくれん、ゆりのはな、てけれっつのばぁっ!
暴君が落ち込み、座り込んでいる黒雪の肩を、そっと抱いている。黒雪は茫然とした表情で壁の一点を見つめ続けている。
雪のように白い黒雪の肌は、もはや白を通り越して青ざめていた。カラーコンタクトレンズを取り去ったあとの黒雪の瞳は、淡い翡翠の色をしている。
「気をつけろって、あれほど言ったじゃないか。まったく、馬鹿なんだから」
口ではそう言うが、口調はどこまでも優しい。黒雪のことを深く心配しているのは、火を見るよりも明らかだった。黒雪だって、もちろん気づいている。
「うちかて気ぃつけてたつもりよ。でも、とっさのことで……どうにもならんかった」
悔しそうに唇を噛む黒雪の髪を、暴君は軽く梳いてやる。それはまるで黒い絹糸のようで、指通りはどこまでも滑らかだ。そして気の狂うような艶かしさがあった。
暴君は黒雪を気の毒に思いながら、それでも自分がこんな容姿に生まれていたら、と考えてみる。すらりと背が高くて美人でモデルのような体型で……。さぞ今までとは違った人生になっていたことだろう。
暴君は自分の髪に手を当てる。短いことも相まって、まるで針金のようだ。女らしさの欠片もない、と思う。
「……なにしているの?」
黒雪が上目遣いに暴君を見る。
「なんでもないよ。それよりこれからどうするんだ? ……て言うかさ、あの子たちにはきちんと話した方がいいんじゃないかな。同じ部活で三年間一緒にやっていく仲間だろ? わたしはてっきり、彼女たちには知らせてあるんだとばかり思ってたよ。だいたいあれだけ一緒にいればバレるって。それに……友達、なんだからさ」
「……それ、この前言われたわ。友達なのにどうして打ち明けてくれんのって。……友達だから言えんいうこともあるよね」
「ふうん。その弁で行くと、わたしはあんたの友達じゃない? だから気軽に喋れる、と?」
「心外やわ。あんたはうちの……親友や」
「そりゃ結構」
暴君は小さな声で笑っている。それを聞いていると、黒雪の方にも笑顔が浮かんだ。
「……やっと笑ってくれた」
暴君が黒雪の髪に、鼻先を埋める。まるで主人に甘える犬のように。そっと息を吸い込むと、自分のものではない、甘いシャンプーの匂いがする。
「甘えん坊みたいなわ。そんなんしてると、暴君なんて言われているんが形無しやよ?」
「……そのあだ名嫌いだ。馬鹿みたいじゃん」
黒雪はくすくすと笑う。それは鈴の音のように、どこまでも涼やかだった。
「……
暴君は黒雪の囁きに小さく苦笑する。本当はその名前も嫌いだ。女の子らし過ぎて、自分には似合わない。
自分は入寮してからずっと、黒雪のよき伴侶であったと思っている。自分だけが彼女を理解し、助けてあげられていたのだと。彼女の秘密を知っているのは自分だけなのだと。周囲の理解を求めようとしない黒雪を見ながら、心のどこかでずっとそう思っていた。たとえそれが……ルームメイトの自分には打ち明けざるを得なかっただけなのだとしても。どこか特別なことなのだと思っていた。
少なくとも、黒雪があの女の子と出会うまでは。
「美羽?」
肩を抱く手に力を込めた暴君へ、黒雪は幽かな戸惑いの表情を浮かべている。ごめん、痛かった、と訊ねると、黒雪は小さく首を横にした。
「痛いことないけど……あっ」
耳朶に暴君の唇が当たり、黒雪の首筋がぴくんと揺れた。
ああ、やっぱりなんだなぁ、人間てぇのは困ったときには知恵が出るってもんだねぇ。くくっ、あのぐるっと床が回ってあじゃらかもくれん、ゆりのはな、てけれっつのぱぁ、ぽんぽんっやったときのあの死神の顔。あの驚きようったらなかったね。うわぁって叫んで飛び上がりやがった。はははっ、あー面白かった。
……馬鹿野郎。お前、なんであんな馬鹿なことをしたんだ。
あ? ……へへっ、どうもこれはこれは。いつぞやの死神さんじゃねぇですか。
なにがいつぞやの、だ。よりにもよって、なんだって俺にあんな馬鹿なことをしたんだ。
あ……え? じゃさっきの死神があなた? へへへっ、どうもお仲間はみんな同じに見えちまって。ちょいとわからなかったんですがねぇ……どうもすみません。
すみませんじゃあねぇや。おかげで俺は減俸になっちまった。
減俸……。死神ってのは給料制だったんですか。それならさっきあたしが貰った金がありますから、それでどうかひとつ勘弁してくださいよ。
世俗の金なんぞ死神にゃあ関係がねぇ。ま、やっちまったことは仕方がねぇ。……俺と一緒に来い。
まるで、海の底のようだと思った。
無音の空間は、逆に耳が痛いくらいで、ひどく落ち着かない。いくら音楽の趣味のためとはいえ、普段からこんな空間で生活ができる琴羽はどうかしているのだと思う。
ちいちゃん、と声をかけられて、わたしは慌てて琴羽を見つめた。琴羽は少し、怒った顔をしていた。
「勉強を見て欲しいって言ったのちいちゃんでしょ? 集中しなさいよ」
「いや、なんか見慣れないものがあって。あれって……三味線?」
わたしはとっさに嘘をついた。壁に立てかけられているのは、青い絹の布で包まれた、一棹の三味線だ。それが誰の持ち物なのかも、もちろんわたしは知っていた。最近琴羽がお熱になっている、……あの人のものだ。
「うん。そうなの。三味線てすごいのよ。ギターなんかと違ってフレットもないじゃない? それでも指をどう運べばいいのかちゃんと決まっているんだから。それにね、また音色がいいの。しっとりとしていて……なんだか……」
そのあとに続く言葉は決まっている。あの人みたい、とでも言うのだろう。わたしはそれを聞くのが少しだけ癪だったので、はいはい、惚気はそれくらいにしてちょうだい、とすげなく言った。琴羽はむうっと小さく抗議の声を上げた。
きっと琴羽はあの人に毒されてしまったのだ、とわたしは思う。
白い髪、そして白い肌をした琴羽はすごく目立つから。だからよくないものまで惹きつけてしまうのだ。
あの人を見かける度に、ぞっとする。琴羽と同じような白い肌。けれどもその髪は驚くほど黒くて、夜の色、そのものだ。
まるで死神みたい。
「そういえばさ、最近動画をアップしてないよね? 歌だって飽きちゃったわけじゃないでしょ? いったいどうしたの?」
そう問いかけると、琴羽はくすぐったそうに笑った。秘密。そう言って、頬を桜色に染めている。外では大人しい、猫を被った琴羽は、部屋の中ではこんなにも色鮮やかだ。
わたしはやっぱり面白くなくて、ごろりとラグの上に横になった。すると目の前に長い絹糸のような黒い髪が落ちていた。あの人のものだ、と思うと、心臓が止まる思いがした。
「……琴羽」
「なに? それよりもそんなだらしない格好しないで。ほら、さっきの公式ちゃんと覚えた? 赤点取っても知らないからね?」
琴羽がわたしの肩をゆする。
わたしはあの人の細い指が琴羽に触れる様を想像して、泣きそうになるのだった。
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