アラサー男、家出少女を飼う。
綟摺けんご
プロローグ
見習いの魔法使い
男性は、一度もセックスをせず、三十路になると魔法使いになるらしい。
それは、いつ、誰が、どこで、どのように、なぜ言われているのか定かではない……が、今このご時世、ネット情報に詳しくない人間などいないこの世で僕は数年後に魔法使いになろうとしていた。
「……ぷへぇぇ……、はぁ、疲れたぁ」
行きつけである駅前の居酒屋で、僕はカウンター席でハイボールを浴びるように飲んでいた。
電車通勤の僕は、連勤明けやストレスが溜まった時、お世話になるその居酒屋はテーブルが二十席、カウンターが十席と小規模のお店で、お一人様の客は大体カウンター席は通される。
「あははー、おじさん勢いよく飲んでますね」
僕の席に前に頼んでおいた鳥軟骨の唐揚げをことんと、音を鳴らしておいたバイトが僕に話しかけてきた。
そのバイトは『上手いジョークに美味い酒』と現代書道家が書いたようなイカした字体をプリントした男物の黒のティーシャツに、深緑色のカーゴパンツ。そして黒いエプロンという服装、髪はボブの長さで、ポニーテールのようにしている女性だった。
酔っていて、顔をはっきり見ておらず多分大学生かそこらへんかな。と思っていた。
「おじさん、おじさんか……そうだよなぁ。僕はおじさんだ……」
「あれ……もしかして地雷踏んじゃった感じですか?」
それよりも、こんな若い女性に『おじさん』と言われたことがショックで、思わずブツブツと呟く。
いやでも、僕はもう二十八で小学生とかに言えば僕はおじさんかもしれないけど……でも、心はおじさんでいるつもりはなかった。
「おじ……お兄さん元気出してくださいよ。まだまだこれからですって」
「おじさんっていいかけたよね」
「いえ、言っていないですよ。”お兄さん”」
彼女は両手をピースサインのような形を作り、お兄さんの部分を強く言った。
それを見たあと、僕はハイボールを飲む。じんわりとした焼ける痛みを楽しんだ。
「そうだけど……僕再来月で二十九になるんだよな」
「おじさん会員ですと、再来月は誕生日の年齢分の餃子を無料でお出ししますよ」
この居酒屋では、『おじさん会員』というものがあり、誕生日になると年齢分の餃子を無料でいただけるというシステムがある。
例えばおじさん会員の人が四十五歳の誕生日になったら、このお店は四十五個分の餃子を提供してくれるという優しさがあるのだ。
ちなみにこのお店での餃子は四個で二百五十円とそこそこ安く、四十歳の誕生日であれば実質二千五百円分がお得だったりする。
「ありがとう。でも、僕が落ち込むところはおじさんとかじゃないんだ……」
「うわぁ、めんどくさい案件ですか?」
嫌そうな顔をする彼女。
僕は無視をした。
「今日ですね……実家から連絡が来て、姉が今月出産を控えたとか、いってきたんですよ。僕は『そう、おめでとう』だけですませようとしたのに、母親といったら、結婚はまだかだの彼女の一人や二人はいるんだろう。だの、姉が孫を生んでくれたら、あとはあんたの子を見るまでは死ねないだの、うるさかったんですよね」
「あー、ある程度歳をとったらご両親になにかと言われるような話だったんですね」
「そうなんだよ! 僕だって彼女の一人くらい作りたかったよ……!」
空になったハイボールのジョッキを机にやや強めに置いた。
これまでに女性に対していい思い出がない僕にとって、彼女を作るという点は最大の山場だった。
多少温くなった鳥軟骨の唐揚げにレモンを振り掛け、箸でつまんで口にしていく。
「女性にトラウマを若干感じている僕には、彼女なんかできるわけないんですよ」
「開き直りましたね」
そうですけど、何か?
コリコリとした食感を遊ぶように噛み締めていく。
「じゃあ、合コンとか街コンとか言えばいいじゃないですか」
「僕、女性が安くて男性が高い理由がわからないんですよ」
酔った勢いで、僕はコンパを否定する。
「それはなぜですか?」
「合コンや、街コンは男性が八千円で、女性が四千円とすると、平均が六千円ですよね」
「えぇ、まぁ」
「これって女性が有利だと思いません?」
「有利とは?」
「男女平等参画社会になったのは平成十一年で、この時点で男性と女性は平等に扱われるようになったわけじゃないですか。それなのに、女性が安いって平等じゃないと思いません? しかも、男性は出会いを求めて参加して高いお金を払っているのに、出会いがなかったら何も得られないうえ、高い金を払ったことで痛手を負うわけじゃないですか。逆に女性は男性に出会えなくても安い金で美味しいものを食べれたっていうわけですよね。平等じゃないですよ。不平等ですよ。男女平等参画社会じゃなくて、男女不平等参画社会ですよ。世の中クソですわ」
「たぶん、その時、私は生まれていないかもしれません」
「え、ジェネレーションギャップを感じる」
この時生まれていない。ということは、平成十二年以降の子というわけだから、十八歳未満ってことになる。
つまり僕と十歳以上の差があるというわけだ。
「あー、なんか悲しいや。死にたい」
「ここで死なれるのは困るので別のところでお願いしますね」
「冷たいね。君」
「そうですか? 普通の対応だと思いますけど」
ははは、普通の対応か……。彼女の対応はたしかに平等に接している感じがする。
「でも、大変ですね。お兄さんは色んなことを考えていて」
「理解してないでしょ」
「はい」
きっぱり答えたね。と僕は悲しく感じた。
ハイボールを飲もうとすると、ジョッキの中身は溶けかけの氷だけだった。
女性の方を見ると、レシートを両手にもっていた。たぶん注文を待っていたのだろう。
申し訳なく感じた。
「あ、すいません。ハイボールと、卵焼きいいですか?」
「わかりました」
申し訳なさそうに彼女に頼むと、彼女は目の前の厨房に入り、溶き卵を作り始める。この店の卵焼きは出汁と砂糖の卵焼きで金色に光り輝くとまではいかないものの、焦げ一つない出来上がりを誇っている。
その卵焼きをつくるのは他でもない彼女だ。
「慣れた手つきだね」
「そうですかね? 祖母の卵焼きを真似しているだけですけど……」
「うん。でも僕の母親より上手だ」
母親は卵焼きを巻くことができない不器用な人で、いつも適当に固めたものを作る人だった。
だけど、このバイトが作る卵焼きは一回一回を慣れた手つきで巻いていって、いつのまにか大きな卵焼きを作り上げている。
「でも、お寿司屋さんの卵焼きは巻かないらしいですよ?」
「そうだけど、やっぱり卵焼きって巻くことに意味があると思わない?」
お世辞でもなんでもなく、ただの僕の率直な感想だった。こんなに綺麗に作り上げれる彼女の腕は褒める価値があると僕は思っていた。
彼女は、卵焼き専用のフライパンから取り出した卵焼きをスダレで粗熱を取ったあと、包丁で丁寧に切っていく。そして大根おろしと醤油を皿にのせたあと、僕の方へと置いた。
「褒めてくれてありがとうございます」
「ありがとうなんて、君はきっといいお嫁さんになるよ」
「……そうですかね?」
「もちろん。こんな卵焼きが毎日出るなんていいなって思うよ」
「……そうですか」
僕はハイボールを片手に卵焼きを口に入れる。
一枚一枚しっとりとした卵焼きの食感に舌鼓を打った。
彼女はじっとこちらを見ている。僕が食べているのが気に入らなかったのだろうか。しばらく警戒をしても彼女は何も言ってこない。
じっとただこちらを見つめているだけだった。
「……な、なんですか?」
我慢の限界がきた僕は、彼女に話しかける。
「お兄さん、合コンとか、街コンがダメなら出会い系サイトとかどうですか?」
「出会い系サイト?」
「そうです。スマホとかで簡単に連絡できたりするんでいいんじゃないですか?」
「でも、あれって目的が違うんじゃ……」
「最近だと出会いよりも、結婚したいとか、お付き合いをしたいとか、そういう人が多いらしいですよ。友達が言ってました」
「……君の友人って未成年じゃないの?」
「成人ですよ? 友達といっても同年代とは限りません」
そうなんですね……。と僕は答える。
「じゃあ、今度してみるよ」
「いえ、今してください」
「えー……、今やるの?」
「はい。だってお兄さん面倒臭がって結果的にやらずじまいとかありそうですし」
「う……」
なんでバレた。
彼女はうきうきしながら、僕が携帯を取り出すのを待っている。
「……」
そうだな、登録するだけして、あとは退会をしておけばいいよな?
俺はそう思いながら、携帯を取り出し検索して一番最初に出てきたサイトに彼女と一緒に登録することにした。
「ありがとうございました。またお願いします」
居酒屋を出た俺は少し酔っていた。多分気分が高揚していたんだ。
「……掲示板とか、立ててみるか」
家に帰る前に、僕は掲示板に結婚相手募集。と特に考えもなく書き込み、電源を消した。
そして翌日、二日酔いに苛まれながら僕は出勤した。
駅のホームで電車が来るのを待っている時に、ふと、昨日行った居酒屋の店を思い出した。
出会い系サイトとか、どうですか?
若いバイトさんが僕に勧めていたのを思い出した僕は、携帯の電源をつける。
「どーせ、来るわけないよな」
半分諦めながら、僕はサイトを開く。
この時、僕は二つの見落としがあった。
『一件のメールを受信しました』
一つは、僕が作ったばかりのアカウントのページに、赤い文字で短く表示されていたこと。
そして……。
「あ、どうもおじ……”お兄さん”」
「……え? 君がどうしてここに?」
そこにいたのは、居酒屋で働いていたあのバイトだったということだった。
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