第11話 一発屋、少年と「一発」について語り合う(後編)

 ふと僕は花咲の言葉を聞いて考える。


 彼女は金や才能が必ずしも人生を変えるわけでもないと知りながら、どうして一発屋として周囲の人間たちの頼みを聞いてやるようになったのだろう。


 もしや彼らの中に、自分と違う生き方をしている人間たちに、人生を変える可能性をつまりは「別の答え」を見出してほしいと思っていたとは考えられないだろうか。


 そう例えば。


「……どうしたんだ? 急に黙り込んで」

「いや、さっきから質問ばかりで悪いけれど。……前に花咲は鴨井が金巻に復讐するのに協力して、痛みを消して恐怖心を無くすための自己催眠音声と栄養剤を渡していたよな?」

「ああ。それがどうかしたか?」

「あの催眠暗示と薬、依存性を低くするために、あえて効果が激減するようにしたという話だったけれどさ。やろうと思えば依存性を低くしてかつ少しずつ効果が弱まっていくようにすることもできたんじゃないか?」


 花咲の量子コンピュータで精密な調整を繰り返せば、あるいはそういうことも可能だったのではないかと僕は推測した。


 そんな僕の質問に彼女は「できるよ」とあっさり即答する。


「ただ、もしそうしていたら鴨井くんは今までの復讐と言わんばかりに金巻くんに毎日のように暴力を行使したかもしれないね。……被害者と加害者が逆転するのも時間の問題だ」


 確かにあの時の鴨井の剣幕を思うとエスカレートすれば金巻を死に追いやっていたかもしれない。


「それに何より。たとえ暴力に頼っても、この先もっと強い別の悪人に出会ったら同じことの繰り返しになるだけだ。力を行使して強い立場に立った時。それを失って弱い立場に立った時。その両方の立場を体感した時に、彼が新しく選ぶべき道を見出してくれるんじゃあないかと期待していたんだ」


 暴力をふるう側とふるわれる側の双方の立場を知ったうえで、力に頼った解決策には限界があるのだとわかってほしかったのだろうか。


「それじゃあ、果部が投資で儲けようとしたときの話なんだけれど。あいつが失敗したのは未来予測を見て行動した結果までは予測できないからってことだった。でも、それは情報がアップデートされていないだけで、一回投資するごとに予測する段階の情報をもう一度量子コンピュータに把握させれば何度でも儲かったんじゃないのか?」

「……確かにね。やろうと思えば一回ごとの行動結果を未来予測装置に反映させることも可能だった。だが、それを無限に繰り返されたらどうなると思う?」

「どうなるって」

「例えば資産額が株式市場の出回る額の十パーセントを超えたとしよう。そうなれば全額投入するだけで安い株でも一時的に高騰する。予測なんてするまでもなく、ね。市場全体に影響を与えてしまうほどの力を持つわけだ。最後には資産が一個人に集中したことによるインフレーションが起こって経済が破たんするかもしれない」

「だからあくまでも小遣い程度を稼がせるつもりで、一時的な未来予測にとどめたのか」


 何となく僕はミダス王の逸話を思い出した。手に触るものを何でも黄金に変える力を持った王様が、食べ物も水も金に変わってしまうため飢えて死んでしまいそうになる、という話だ。


 株で売り抜けに成功するということは、その分だけ他の者が負債を負うということでもあるのだ。


 確かに誰か一人だけが儲けた結果、他のみんなが貧しくなってしまったら。


 その規模がとてつもなく大きくなれば、物の値段の上昇により売れ行きが落ちて最後には経済が崩壊して品物が出回らなくなり、その人間自身だって生活に困るなんてことになるかもしれない。


「本当に豊かになるための箴言として『儲けようと思うな。それが結局得になる』という言葉がある。果部くんもいつかそれに気づいてくれればと願っていたのだがね」


 彼女は少し遠い目をして呟いた。


「それじゃあ、宇田の場合はどうだ。脳波を読み取って作曲するソフト。あれは本当に一曲しか作れないのか?」

「どういう意味かな?」

「あの作曲ソフトはその人間の脳波を読み取って、心地よいと感じるメロディを自動的に選択するんだったな。だからその人間の感性で一番いい曲を作る。その結果、二曲目が作れなくなる。……でもさ、人間の感性って変わるだろ?」


 花咲は難問を解いて見せた生徒を見る教師のように、微笑みを浮かべる。


「その通りだ。例えば色んな曲を聞いたり、人生経験を積んだりすれば人間の感性は成長する。もし彼女が今の自分に満足せずに感性を磨き続けていれば、次の曲を作ることもできただろうね」


 つまり宇田が自分の曲が評価を受けることだけにこだわらず、純粋に音楽を作ることの楽しさと向き合って、もっといい曲を作ろうとする気持ちがあればさらに別の曲を生み出すこともできたかもしれないのだ。


「最後に、柳田の話なんだけどさ。あいつは惚れ薬のおかげで、一度は河合と親しい間柄になれたんだよな。だけど結局他の奴に彼女を取られたみたいなんだが……もう一度薬を使えばどうにかなるんじゃないのか?」

「そのことについてだがね。確かに私の惚れ薬は、意中の相手に好意を持たせることができる。だがそれはあくまできっかけというレベルのものに過ぎないし、例えば初対面の人間が使っても漫画か何かみたいにいきなり相手を求めるようなことはない。ある程度の友人関係がある場合にその人間に対して積極的に心を開くようになる、といったくらいだ」

「じゃあ、もしかして柳田は最初から河合に好かれていたのか?」

「悪い印象はなかったのだろうね。それで、二人きりになって体を求められれば敢えて拒もうとは思わなかったんだろう。彼がちゃんと恋人としての関係を持ちたいと伝えていれば上手くいったかもしれないんだ。だが彼は肉体関係を持ったところで満足して、彼女の気持ちを考慮しなかったのだろう。だから、別の相手にあっさりと奪われてしまった」

「……そうだったのか」


 つまるところ、花咲は相手が身を滅ぼすことがないように、敢えて一過性の願いを叶えていた。そして人によっては、その一発限りの願いをきっかけに真摯な思いで行動すれば本当の幸せを手に入れることもできたのだ。


「じゃあ。花咲は自分を頼ってきた客にそのことを遠回しにわかってほしくて、わざと何もアドバイスせずに突き放して……」

「口で言っても伝わらないこともあるからな。自分の身をもって経験すればそいつに、そいつの人生に必要なものが何なのか。わかってもらえるんじゃないかと思ったんだ」


 失敗するにしてもそこから学ばせようとしていたのか。それにしたって、ひどく不器用なやり方だ。


「それで……周りの誰かを幸せにすれば、いつか自分の本当の幸せも見つかるんじゃないか、とね」


 彼女は若干疲れた表情で呟いた。


 僕はそれに対して曖昧に笑う。


「なんだ。おかしいかい? 私がこんなことをいうのが」

「いいや」


 彼女が本当は悪い人間ではないんだとわかって嬉しく思う反面、僕は彼女に何をしてやればいいのかわからず戸惑っていたのだ。


 この子は何をすれば幸せになるのだろう。


 例えば、周りの人間が幸せになって感謝の言葉でも返せば、それを生きがいと感じるだろうか。


 あるいは僕が、彼女と同じに人生を一発変える気持ちすらないこの僕が、幸せになる方法を教えられたらいいのだが。しかし、僕自身にすらその方法がわからないのにどうすればいい。


 そこまで考えて、僕は自分の気持ちに気が付いた。


 幸せにしたい?


 僕は花咲を幸せになってほしいのか。


 ……それはつまり。


「どうしたんだ? 顔が赤いが。熱でもあるのか? ……冷房を効かせ過ぎて風邪を引いたかな」


 彼女が心配そうに僕の顔を覗き込む。


 眼鏡の向こうの黒目がちの瞳が僕の顔をほんの数十センチの間をおいて見つめている。


「いや、何でもない。……今日はそろそろ帰るよ」

「そうか。……願いのことを抜きにしても、君と話しているのは楽しいから、また来てくれ。気を付けてな」


 彼女は僕を玄関のところまで見送って、軽く手を振ってから扉を閉めた。


 駅までの道を歩きながら、僕はどうしようもない焦燥感に襲われていた。


 今まで僕は誰かのことを好きになるなんてことはあり得ないと思っていた。自分の事すら好きではないのだから。


 だが、僕はどうやら花咲のことが好きになってしまったらしい。


 あんな、才能にも見た目にも恵まれていて、自分と何もかもかけ離れている少女を。……自分とはまるで釣り合わない女の子のことを。

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