第9話 少年、一発屋と青春を謳歌する
僕が花咲の家に招かれた日から数週間が過ぎていた。
あれから僕は週に二回くらいのペースで彼女の家を訪れるようになった。
何か目的があるわけでもなかったが、彼女と時間を過ごすことで自分の中の何かが変わることを期待していたのかもしれない。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、花咲は僕と会うたびにとりとめのない雑談を交わすようになった。それは不思議と楽しい時間でもあった。
例えばある日。
「量子コンピュータを使った技術が進めば、疑似的なテレポートも可能になると思うんだ」
チノパンの上に長袖シャツというゆるい格好をした彼女はそんなことを言いだした。当然のようにその上には白衣だ。家の中ではあまりファッションには頓着しないらしい。
「量子レベルだとテレポートが起こるとかって話は聞いたことがあるが、人間の移動はできないんじゃないか?」
「人間の肉体を移動させることはできないが、近いことはできるさ。ほら、人間はすでに視覚と聴覚の電子通信には成功しているわけだろう」
「えーと、テレビとか電話の話か?」
「有体に言えばそうだ。だが神経細胞が脳にどういう電気的刺激を与えているのか解析できれば、触覚や嗅覚も電子情報としてやり取りできるときが来るかもしれない」
触覚や嗅覚。遠くのものに触ったり臭いをかいだりできるようになる、ということだろうか。
僕が要領を得ない顔になっているのを見て取ったのか、彼女はじれったそうに眉をしかめながら話を続ける。
「つまりだな。世界中の行きたい場所、感覚を通信するポートに『義体』を設置するわけだ。そして神経接続して動かして回れば実際にそこにいるのと同じ体験ができるんだ。ロンドンで本場のロックミュージシャンのライブを聞いた後、エジプトの遺跡を観光して、アメリカのグランドキャニオンを見ることができるかもしれない」
「それは瞬間移動ではなくて、遠くにある『感覚を共有したロボット』を操作しているだけなんじゃないか?」
僕の発言に水を差されたと感じたのか、彼女は若干開き直ったような、あるいは拗ねたような表情で言葉を返す。
「だから、『疑似的な』といっただろ? それに利点だってある。実際に海外旅行に行くのと違って、たとえ犯罪者に襲われて身の危険がせまってもだ。通信を切れば安全な自宅に戻れるというわけだ」
「うーん、でもそれさあ。現地の名産料理を味わうことはできないよな」
僕の言葉に花咲は「あー」と残念そうに声を漏らした。
「確かに。仮に味覚を再現できても自分の腹を満たすことはできないな」
「だろ?」
「仕方ない。それなら義体に成分分析装置を組み込んで、料理のレシピを割り出すというのはどうかな。あとは調理装置を作って材料を現地から送らせれば」
「……そこまでするなら、もう現地に直接行った方が速いって!」
また別のある日。
彼女は研究室で少し変わった眼鏡を僕に見せた。
「なんだ、これ」
「私が開発したデバイスさ」
その眼鏡には小さな起動ボタンらしいものが付いていた。よく見るとイヤフォンのようなものも内蔵されている。
「眼鏡型のAR機能を搭載したデバイスか。既に存在していなかったか? こういうの」
「ああ、確かにな。だが私が開発したのは一味違うぞ。……使ってみたまえ」
僕は彼女に言われるままに眼鏡をかけてスイッチを入れると、「インターネット」
「メール」「カメラ」「設定」などのメニューが視界に重なるように表示される。
「へえ。ホログラムみたいだ」
「そのまま指で触ればメニューを選択できる」
僕は指で目の前に表示されたアイコンに触れる。するとネットのブラウザ画面が視界に現れる。
傍から見るとこれって、何もないところに触っているように見えるんだろうな。少しだけ気になるが、動きながら情報を見ることができるのは便利かもしれない。
「ただ、これだけだと目新しいとは言えないぞ」
僕がそう言った瞬間。
『今日は傘を持って行った方が良いでしょう』
『市内の国道で交通事故が発生する可能性があります。バスの利用は控えた方が無難です』
『あなたの興味がある本が発売されます。注文しますか』
と、こんな風なメッセージがたて続けに表示されるではないか。
「何か、いろいろ出てきたんだが」
「うん。量子コンピュータとデータを同期しているからな。現在位置情報とこれまでの行動履歴、それにネットの検索歴から持ち主の性向、行動パターンを予測して本人が求める情報、本人にとって有用な情報を表示して、生活をナビゲーションしてくれるわけだ」
「カーナビならぬライフナビってわけか」
「そういうことだ。過去の事故発生率、犯罪発生率を地図で重ね合わせて通常なら予測できないはずのトラブルも予報として教えてくれる」
ふと設定をいじっているとカメラ設定というアイコンがあるのに気づいた。
「ああ。……ちなみにレコーダー機能や過去の画像検索なんかもできるから、以前一度会っただけの人間の名前なんかも顔の特徴を検知して表示させることができる。久しぶりに会った相手の名前が出てこなくて気まずくなるなんて思いをせずに済むぞ」
「なるほどな」
相槌を打ちながら、僕はカメラ設定をいじってみる。サーモグラフィーや望遠ズーム機能、暗視赤外線機能なんてものまでついているな。
何となく、暗視機能をオンにしてみる。
すると画像が白黒の色がない映像に切り替わる。……が、色がなくなった代わりに違うものが見えていた。
この日の彼女は初夏ということもあってか薄手のスカートに黒いブラウスというスタイルだったのだが、赤外線カメラが機能したことにより濃色の服を透過して下着のラインがはっきりと見える状態になったのだ。
もちろん服の繊維までが透けるわけではないが、下着の形は見えるので彼女のボディラインもある程度わかってしまう。
花咲は思わず動揺している僕におかまいなしに講釈を続ける。
「それに、複数の人間が使えば同じ趣味や嗜好を持つ相手をマッチングさせることもできる。まあ、私はそこまで進めるつもりはないし、今のところ自分専用として開発したものだがね」
「…………ふーん」
目の前の光景に気を取られて返事がおざなりになってしまった。
ここで彼女はコホンと咳払いをしてニヤリと笑う。
「ちなみに、私が今かけている眼鏡もデザインは違うが同じものでね。……同期しているから君が今見ているものもこちらでモニタリングできるわけだが」
「それを早く言ってくれ」
更にまた別のある日。
研究室に入ると彼女はパソコン上で何か操作していた。
画面には羽虫のようなものが映っている。
もの、と表現したのは形は虫でもその一部にプラスティックのような人工物が付いているように見えたからだ。
「よお、花咲。何しているんだ?」
「情報収集端末のバージョンアップだ」
「情報収集端末?」
ふと研究室内を見ると電子顕微鏡のようなものと量子コンピュータが繋がれ、花咲の操作しているパソコン端末はその顕微鏡と連動している。
どうやら、この今画像に表示されている羽虫のようなものはミリサイズのロボットらしい。そして医療手術につかわれるロボットアームのように小さな整備器具をパソコンで操作して動かしているようだ。
「すごいな、まるで本物の虫みたいだ」
「いや、本物だぞ」
「え?」
ここで彼女は作業を中断して僕の方を振り返った。
「但し、この虫には背中に私が作った超小型のナノマシンを組み込んである。そしてそれを他の虫に伝染させるんだ」
「へえ。……でも情報収集なら今時インターネットで大抵どうにかなるんじゃないのか」
「確かにそうだが、ネットワークを通じた情報が常に正しいとは限らないからな。……例えば『サジェスト汚染』というのを知っているか?」
「ああ。本来の言葉とは別の内容が関連付けられて、ネット検索しても正しい内容が出てこなかったりするやつだっけ」
インターネットで何かを検索するときに、検索するキーワードについて「本来の内容とは別のコンテンツが存在する」ことがある。そして「その別のコンテンツについて多くの人間がアクセスした場合」本来の内容よりもそちらの方が優先的に表示されてしまうのだ。
つまりネット上で検索をかけても正しい情報が表示されずに別の内容にすり替わってしまうという状況であり、この現象が俗にサジェスト汚染と呼ばれている。
一昔前の話だが、三国志時代の武将が現代の美少女に転生して戦うという設定のアニメがヒットしたことがある。しかしその結果、三国志時代の英雄の名前で画像検索をかけると本来の歴史人物の肖像画などの代わりにセクシーな衣装を身にまとったアニメ美少女イラストで画面が埋め尽くされてしまう、という珍事があったそうだ。
「そうそう。つまりはインターネットの情報と言えど人間が作るものである以上、歪みが生じることがある。だからこういう独自の情報収集端末が欲しくなったんだ」
「でも、これってどんな情報が収集できるんだ?」
「今のところは気温と天候。つまり気象情報にとどまるなあ。世界中の生物の動きや行動パターンまで集められれば地震の予測とか色々使えそうなんだがね」
「……それくらいなら、それこそインターネットの衛星画像と気象ニュースでどうにかなりそうにも思えるけど」
「勿論、そういう電子的な情報も随時集積して分析しているがね。だが、正確にリンクさせようと思うと手間がかかるから、こういう自前の情報収集端末があった方が良いのさ」
「でも電池切れになったりしないのか? それに虫ってすぐに他の生き物に食われて死にそうな気がするんだけど」
彼女は僕の質問に眼鏡を押し上げつつ、クールな微笑で答える。
「生物に流れる生体電流を利用して動くから動力は問題ない。そして食われたらどういう生き物に捕食されたのか解析して、今度はその捕食率からその地域の生物の繁栄の度合いがわかる。どんな生き物が繁栄しているか分かれば、その土地の作物の収穫の出来もわかるからな」
「無駄にはならないという訳か。……そのナノマシンとやらにも量子ビットが組み込んであるのか?」
「ああ。通信に特化したものだ。ちなみに世界の主要国家に行って同じものをばらまいてある。分布範囲が広ければ広いほど大きなデータが取れるからな」
「おいおい。それって虫をばらまいているってことだろ? 生態系を破壊するようなことにはならないか」
「勿論悪影響が出ないように、その土地の虫を使ってナノマシンを散布しているさ」
「……虫に寄生して、広範囲に広がっていく、か。まるでそれ自体が生き物だな」
「どうだろうな。確かに生き物の目標は繁殖し広がっていくことかもしれないが。このナノマシン自体は増えないからな。拡大すればするほど、共に行動する個体数が減って行って最後には一個体になってデータを送り続ける。『繁栄すればするほど、孤独になる生物』なんているのかね」
「意外といるかもしれないよ。例えば……」
僕はおどけて自分を指さして見せた。
そんな僕を見て、彼女はフンと鼻を鳴らして肩をすくめる。
「なるほど。『文明が発達して価値観が多様化すればするほど、人間は孤独になっていく』か。そういえば人権が発達して個人が尊重される社会だと乱暴な婚姻や生殖活動が行われなくなり、人口が減っていく、なんて言説を聞いたことがあるな。少子化が進むわけだ」
彼女は大真面目に人類文明の発展が抱えるジレンマについて考察して見せる。
「いや、そこは『君は孤独なんかじゃないさ』って否定してほしかったところなんだけど」
「あー……。済まなかった」と彼女は若干気まずい顔で謝った。
彼女と過ごした時間。彼女と話した空間。
僕は最初のうち、花咲と居ることで何かが変わるのではないかなどと考えてはいたものの、それはあくまでも「退屈で停滞していた日常に面白いことが起きるのではないか」という程度のものだった。
しかし、それは僕の心の中で予想外の奇妙な化学反応を起こし、それまで自分に見切りをつけて冷めきっていた気持ちに不思議な熱をともすようになっていたのだ。
だが、その感情を何と呼ばれるものなのか、僕はまだ自覚していなかった。
しかし、その日は来てしまった。
否応なしに僕が抱えていたどうしようもなく、抜き差しならない感情を自覚させられる日が。
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