75枚目 果然なる事実

 空には雲一つなく、太陽が燦々さんさんと輝いている。

 昨日は過ごしやすく暖かい陽気だったが、今日は蒸し暑いほどだった。


「おいおい、まじかよ……」


 そんな中、千秋の呆れともつかない声が空気に溶けていった。

 郁から『家に来て欲しい』と願われたのはいいが、果たして千秋の目に広がる光景は、本当に日本なのか。


「兄さん……」


 くい、と軽く引っ張られる感覚があった。

 千秋の服の裾を摑み、葵が不安そうに『それ』を見上げている。


「うん、言いたいことは分かるけどな? 皆まで言うな、絶対」


 葵が何を言おうとしているのか、痛いほど分かるからこその言葉だ。


 雪のような真っ白い景観の家──しかし一般的には豪邸と言う──には、ここは外国かと見紛うほどの立派な門が眼前にあった。

 映画にでも出てきそうな煌びやかな外観に、千秋は勿論葵や麗までも呆然とするしかなかった。


 それだけならば良かったが、問題なのは中に入ってからだった。

 一歩足を踏み入れると、それまでの視界は一変する。


 中央には噴水が、その周りには可愛らしい花々や草木が、敷地内の両端にはどこかの国の石像が一体ずつ鎮座している。

 千秋に建築の知識が無いが、普通に「ただの庭」と言われても受け入れられるほど馬鹿ではないつもりだ。


「は、はは……」


 人間、言葉にもならないとはこういう状態の事を言うのだろうか。

 これが全部敷地内だというのなら、いっそ今すぐにでも帰ってしまいたい。


「どうしたの?」


 ここまでに連れてきた張本人だけが、丸く大きな瞳を更に丸くさせて聞き返してくる。


「あ、あー……。凄いと思ってな、ぼんやりしてたんだ」


 千秋は叫び出したいのをぐっと堪え、努めて明るく言った。

 ここで下手なことでも言ってしまえば、それこそ面倒くさい事になるのは明白だった。


(一体どこの良家のお坊ちゃんなんだよ、お前は! つか普通の公立の小学校に通ってていいのか? もっと良いとこに行くもんだろ、ここまでの家は!)


 テレビの知識でしかないが、豪邸に住む人間の学歴は輝かしい場合が多い。

 最も、付け焼き刃にもならない知識のため、実際のところは分からないが。


「な、なぁ。お母さんは居たり……するのか?」


 千秋が一人でどうしたものか考えている間に、麗が小さく手を上げた。


(そこで疑問形になるか普通)


 そもそも、現代の日本は共働きでなければ家計が厳しくなるばかりだ。

 麗の母親はきっと専業主婦なのだろう。

 だからこその疑問だと、千秋は自分を納得させる。


「パパとママはお仕事でいないよ!」


 輝かしい笑顔で郁が言った。


「えっとね、今はお手伝いの人が三人来てくれてるの」

「へぇ、成程……」


 しんと辺りが、この場の空気が静まり返る。

 さも当然、と何の気なしに言われた言葉を理解するまでたっぷり三十秒ほど。

 ひくりと頬が引き攣るのが自分でも分かった。


「おい待て、待て待て待て待て、郁! ちょーっとおいで?」


 堪らず千秋は郁の手を引き、葵と麗から聞こえない所まで連れて行った。


「なぁに、千秋にぃ」


 にこにこと可愛らしい笑顔で郁が訊ねてくる。

 昨日初めて会った時からなんら変わらない、千秋が見た中でも年相応な子供。


「お前な──もう猫被るの止めとけ。見ててイラつく」


 けれど、あの時千秋の顔を見てしかめられた顔は忘れない。


(あれは俺が一番嫌いなツラだ)


 身長差のある葵から郁の顔は見えていないにしろ、それはベンチに座る麗でもなく、その向こうの千秋に向けられていた。

 悪意のこもった眼差しは一瞬だったものの、そこが怖い。


 あの後しばらく一緒になって遊園地を回ったが、その後も郁は「普通」だった。

 千秋に向けられた視線が嘘のように、年相応に振る舞っていたのだ。


 散歩の時もそうだった。

 明るく学校や家であった事を教えてくれ、時には千秋に質問してくれたりもした。

 それに答えつつ、やはり郁の言動に違和感が残ったのも事実だった。


 葵から紹介される前の表情が嘘のように、郁はただの「子供」なのだ。

 その事に普通はなんとも思わなが、あまりにも出来すぎている。

 郁がその都度出す言葉が、行動が、取るべき仕草が。


 ──まるで昔の自分を見ているようでならなかった。


 きっと、いや確実に、郁は生まれた時から前世の記憶を持ちながらこの世に生を受けたのだ。


(けど、お前が誰なのかは知らないわけで)


 千秋はそっと目を伏せる。

 すべては千秋の予想でしかないが、こう考える時の自分の勘は間違いなく当たっていた。


 葵は勿論のこと、麗だって気付いていないだろう。

 この郁という少年が、少なくとも全員前世で何かしらの関わりがあり、今世に転生しているという事を。

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