65枚目 二人よりも三人で

 日も高く上りきった昼前、葵の姿は太陽の下にあった。

 その両手は塞がっており、片方はしっかりと繋がれ、もう片方はブンブンと揺れている。


「葵ちゃんっていうんだぁ! ね、いくって呼んで?」


 葵よりほんの少し柔らかく癖のある茶髪を揺らめかせ、まるく大きなアメジストの瞳を瞬かせる。


「えっと、郁くん?」

「うん! へへっ、嬉しいなぁ」


 葵が郁の名を呼ぶと、ふんわりと花開くような笑みを浮かべた。

 ころころとよく動く表情も、手を繋いでいないとどこかへ行ってしまいそうな元気の良さも、葵の知らなかったものだ。


(弟が居たらこんな感じなのかな)


 などと無神経な事を考えているのが、葵の手の平から伝わったのか。


「……チッ」


 葵を挟んだ右手側──郁から聞こえない声音で、麗が小さく舌打ちをした。

 新品のワンピースを着て麗の家へ行くと、そこには郁が遊びに来ていたのだ。


 出迎えてくれたのは、麗の母親である早希さきだった。

 葵が遊びに来たと早希が麗に伝えにいくと、玄関からわずかに見える階段から、転げ落ちるように降りてきたのは記憶に新しい。

 麗に怪我がなくて何よりだが、郁まで一緒に来るとは思わなかったのだろう。


(拗ねてるところも可愛い)


 無意識のうちに口角が上がる。

 顔を背けているから、葵から麗の表情は見えない。

 けれど、限りなく不満気な顔をしているのはわかった。


「和さま」


 だから葵も麗にだけ聞こえる小さな声で、そっと前世で何度も呼んだ名を囁く。


「っ」


 案の定、麗はほんのりと頬を染めたまま葵を振り仰いだ。

 その顔が可愛らしくて、反対に郁が居るのに小さく忍び笑う。


(可愛くて可愛くて……格好良い、私の大好きな人)


 まさかこの少年と葵が前世で夫婦だったなどと、誰も想像できないだろう。

 これは葵と麗、信頼できる関係者だけが知っていればいい。それ以外の人間には、麗を可愛がる「年上のお姉さん」でいたかった。


(だって独り占めしたいもの)


 ただの遊び相手であれば、麗と居ても怪しまれない。

 勿論、もう少し時が経ってから麗と触れ合いたいのも事実だ。


「ねぇねぇ、葵ちゃん」


 そんな事をいると、郁と繋いでいた手の方が軽く引っ張られた。


「なぁに」


 葵は頭を切り替え、郁の方に視線を向ける。

 きらきらと好奇心に満ちた瞳が、じっと葵を見上げていた。


「今からどこに行くの?」


 葵はあてもなく歩いているわけではない。

 昨日は少し遠出をしようと思っていたが、麗に加えて郁が居るのなら話は別だ。


「それはね、着いてからのお楽しみ」


 まるで秘密を教え合うように、葵は柔らかくはにかんだ。



 ◆◆◆



「わぁ〜〜〜!」


 ソレの姿が見えると郁は感嘆の声を上げ、すぐさま葵に駆け寄ってワンピースの裾を引っ張った。


「葵ちゃん葵ちゃん、あれ一緒に乗ろ!」


 郁が小さな手で懸命に指し示すものは、ポップなデザインの施されたコーヒーカップだ。

 遠目から見ると花畑の中に居るように見えるらしく、コーヒーカップのある場所から離れた所では、若者を中心とした家族連れがスマホを構えている。


 着くまで内緒にした場所とは、一般で無料開放されている小さな遊園地。

 といっても昔ながらの遊園地ではなく、比較的新しく出来た公園の一角にそれはあった。


 つい先日、一華と共に公園の近くへ遊びに行った時に見つけたのだ。

 なんでも昨今のインスタ映えを意識したらしく、遊園地のそこかしこに撮影スポットが点在していた。


 小さな子を連れた家族連れだけでなく、葵のような学生が多く居たのもあって麗を連れて行きたいと思ったのだ。

 そして、一緒に遊べるのならどんなにいいだろう、という淡い期待も抱いて。


「いいよ、乗ろうか」


 にこりと郁に笑い掛け、隣りにいる麗を見る。


「麗くんも」

「や、俺は大丈夫。二人で行ってきて」


 葵が言う言葉をやんわりと遮り、麗はにこりと笑った。

 傍目から見るとなんら変わらないが、葵には分かる。


(そう、だ)


 再会して二ヶ月と少ししか経っていない。

 けれど、前世でも和則は疲れ始めた時、無意識に一度二度と小さく右足を動かす癖があった。

 晩年が関係している可能性は十分にある。

 ただ、麗から直接聞いたわけではないから、すべては葵の予想でしかない。


 少しの不安にさいなまれつつも、葵は努めて明るく声を出す。


「じゃあ行ってくるね。……あそこ、見える? まっすぐ歩いた右手側に、水色のベンチがあるから座ってて」


 過保護だと思うが麗の歩き回る負担を減らしたくて、近くのベンチの場所を教えておく。

 大人が優に三人ほど座れるベンチが続けて二つあるから、座れないことはないだろう。


「ありがとう、葵ちゃん。郁も……また後でな」


 にっこりと花開いた笑顔を浮かべ、今度こそ麗はベンチのある場所へ向けて踵を返した。


「郁くん、私たちも行こうか。早くしないとコーヒーカップがいっぱいになっちゃうよ」


 そうして、今まで大人しく黙っていた郁に声を掛ける。


「うん!」


 麗に負けず劣らず、可愛らしい笑顔で郁は元気いっぱいに頷いた。

 空はどこまでも青く、太陽は眩しいほど高い。

 これから本格的な夏を迎えようとしていた。

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