7. 私と兄とあの人と

43枚目 過去との確執

 「っは〜……今日だけで色々あり過ぎじゃないの」


 自分の部屋に入った途端、ばふんとベッドにダイブする。しばらくの間ゴロゴロと転がり、落ち着いた頃に今日一日の事を指折り数える。


 「和さまが言った事は意識したら出来る、けど。なんでいきなりそんな事言ったんだろ……今まで普通だったのに」


 年の差があるにしても、傍目から見ると仲のいい姉と弟にしか見えないと思うのだ。

 あと数年もしたら麗の身長も伸びるし、声だって低くなる。それまで待つのは駄目なのだろうか。


 「考えても駄目なものは駄目よね。慣れなくちゃどうにもできないし」


 ぼうっと天井の木目を見つめ、呟く。

 今は麗の条件を聞き入れ、明日から少しずつ慣れていくしかなさそうだった。

 バレーの大会は一週間後にある。それが終われば部活の練習は穏やかになるはずだ。


 「それはそれとして兄さんの事よ。金曜になったら話してくれるみたいだけど」


 あの千秋のことだ。きっと忘れた頃に不意打ちで「部屋においで」とでも言ってくるのだろう。

 心の準備ができた時ならまだしも、何の前触れもなく千秋の前世を話されるのは少し怖い。


 「……もし緋龍だったら」


 私はどうしたらいいの、と声にもならない問い掛けをする。

 緋龍──本名を鷹司たかつかさかおるという──は、前世の葵を妻にしようとした男だった。



 ◆◆◆



 その日、美和は街に出ていた。和則と祝言を挙げてから数日が経っており、「息抜きに出掛けておいで」と言われたため、それならばと新しく着物を仕立てようとしていた。

 結果的に買った着物は、店先に出ていた質素なものだが。


 「なんとか買えて良かった」


 鼻歌交じりの声で小さく呟く。

 赤い風呂敷に包まれた着物を大事に抱え持ち、カラコロと草履を鳴らす。

 もしも両親が居たらはしたないと怒られてしまうだろうが、それほど嬉しいのだ。


 買ったものは濃い浅葱色あさぎいろの布地に大輪の花が咲いた、今の娘らしい色合い。

 蝶よ花よと育てられ、あまり外に出る事がなかった美和にとって初めての買い物だ。

 それもあってか、知らずのうちに浮き足立っているのかもしれなかった。


 周りからはもう少し落ち着いた色にしろ、と言われるだろう。

 しかし、そこは和則のことだ。きっと「似合っている」と照れながらも褒めてくれると予想している。


 口下手だが心優しい、和則のことを想うと自然と頬が緩んでしまう。

 呉服屋の主人はそれよりも高価なものを勧めようとしていたが、丁重に断った。


 一人で街に出る事があまりないため所持金は少なく、とてもではないが買えなかったのだ。


 「それにしても賑やかね。……少し見て行こうかしら」


 丁度この日は祭りがあるからか、街には沢山の屋台が並んでいた。

 美和は人の波にもまれつつも、様々な屋台が並ぶ街道へと歩を進めた。


 (あ、可愛い)


 とある屋台の前で足を止める。そこには「緋ノ龍ひのりゅう」と書かれたのぼりがはためいていた。

 店先に並んでいるものは、どれも色鮮いろあざやかなかんざしばかりだ。


 他と比べるとこぢんまりとした屋台だが、扱っている品は上等なものだと分かる。

 美和は吸い込まれるように椿の花が二輪咲いた、可愛らしい簪を手に取った。


 「お嬢さん、それが気になるのか?」

 「え」


 声がした方へゆっくりと視線を向ける。

 そこには大胆なまでに着物を着崩した、いかにも傾奇者かぶきものという出で立ちをした若い男が座っていた。

 手には豪奢な煙管きせるを持ち、時折吸っては紫煙しえんをくゆらせている。


 この場所には客がおらず、美和だけが一人ぽつねんと立っていた。


 (おかしな人……)


 人前で肌を見せる事ははしたない、と教えられた美和にとっては話してはならない相手だ。

 ああいう人間は全員が全員、頭がおかしい。そう、両親に教えられて育った。


 「あ、はい……。お幾らですか?」


 けれど、値段を聞くだけはいいだろう。何も悪い事はしていないのだから。


 「五せんだよ」


 無造作に下ろした黒髪を掻き上げ、艶っぽい声でその男が言う。


 (少し足りない、かしら)


 着物のたもとに入れているがま口を開けると、四銭と七しかない。

 わかってはいたが、着物を買った時にほとんどを使い切ってしまったようだ。


 (仕方ないわ。またの機会に……)


 幟に書かれた屋号が店名だろうか。次に街へ出た時に運が良ければ覗いてみよう、と思い直す。


 「すみません、今は持ち合わせが無いので」


 失礼します、と踵を返そうとした時だ。


 「あぁ、なら持っていきな」


 そう言って男は美和を呼び止めた。

 そしてあろう事か、先程まで眺めていた簪をこちらに差し出してきたのだ。

 しゃらりと椿の飾りが揺れ、涼やかな音を奏でる。


 「そんな、大丈夫ですから!」


 ブンブンと顔の前で両手を振り、やんわりと断ろうとする。

 美和をじっと見つめてくる瞳に嘘はない。けれど、ただで貰う訳にはいかなかった。


 男の言う通りにしてしまえば金銭泥棒と同然になってしまう。見る限り、簪は少しも売れてなさそうだった。

 このままでは食い扶持ぶちに事欠くことになってしまう、とも予想できた。


 「いいや、きっとお嬢さんに似合うものだ。それに、こいつもあんたにしてもらえたら喜ぶだろうよ」


 だから持っていけ、と尚も食い下がろうとする。


 「いえ、後日お代を持ってくるので……」


 けれど美和も負けてはいなかった。

 ただのいち庶民に何を、と以前の美和なら一蹴していたことだろう。それも和則と出会ってから変わった事だった。

 すべては和則が美和の感性を変えてくれた、と言っても等しい。


 あまり自分の事を話さなかった和則が、あの日言ってくれた言葉が何よりも嬉しかった。

 生活に困窮こんきゅうしている者の足しになれば、と慈善活動に参加した事も少なくはない。


 「そうだなぁ……こうするのはどうだ。お嬢さんが俺の店に来てくれること。そしたらいいだろう? お嬢さんの言う通り金を貰うから」


 美和の粘り強さに根負けしたのか、男は両手を顔の前であげた。

 よく見れば美しい顔立ちをしている。少し伏せているまつ毛は長く、浅黒く焼けた肌も、着崩された襟から覗く胸元も、普通にしていれば世の女たちが離さないだろう。


 (って、私は何を考えているの!)


 ふるふると頭を振り、よこしまな考えを打ち消す。

 美和には夫となった人がいるのだ。祝言から少しが経っているとはいえ、他の男に心を奪われるなどあってはならない。


 「で、では後日伺います」


 いたたまれない気持ちになり、早くこの場から逃げ出したかった。


 「そうだ、言い忘れてた。ここから店まですぐだから。──饅頭まんじゅう屋があるだろう? あそこを右に曲がってまっすぐ行けば俺の店だ」


 男は椅子から立ち上がったかと思うと、美和のそばまで近付いてきた。


 (な、なに……?)


 反射的に思わず身構える。そんな美和の行動が面白かったのだろうか。苦笑した声音が頭上から降ってきた。


 「そんなにおびえないでくれ。……お嬢さんが来るのを待ってる」


 にこりと微笑びしょうし、男は妖艶な声で言った。

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