35枚目 妻(仮)と父の邂逅
麗が聞いた言葉は空耳だろうか。
将英が一緒に何処かへ行こうと言い出すなど、この一ヶ月の間にただの一度も無かったのだ。
いきなりどうして、と思う。だからか、先ほどまでの頬の痛みも忘れていた。
(行く、って公園にだよな……?)
麗は将英をじっと凝視する。
にこにこと満面の笑みを浮かべ、今にも家を飛び出していきそうなほど上機嫌だ。
これは何を言っても意味がないだろうと予想できた。
けれど、公園には麗一人で行く理由があった。
(葵に……俺の葵に何を言うか分からないんだぞ!)
ギリリと奥歯を噛み締める。欲を言えばこのまま叫びだしたいが、ぐっと我慢した。
さもないと普通の子供は言わないであろう、罵詈雑言が出てしまうのだ。
将英は人──特に早希以外の女性──とあまり話すことがない。
早希と結婚する前に取り決めた約束を、和解した今となっても律儀に守っているからだった。
その「約束」がなんなのか麗は知らないが、将英が自主的にやっていることとも予想できる。
我が父ながら、一途で真面目な男だと思う。一人の女性を想う強さだけは、下手をしたら麗以上にあるだろう。
そもそも、麗は将英が女性と話している所を見たことがなかった。
ひとたび将英が外に出ると、たとえ麗や早希がいる前でも女性の方から言い寄られる事が多々ある。
それもこれも、将英の顔が整っているからの
(……仮に一緒に公園へ行ったとして、葵が居るかって言われたら分からない訳だ。けど父さんの場合、きっと葵のことを根掘り葉掘り聞いてくるかもしれない)
麗はそれが嫌だった。
葵にも聞かれたくない事の一つや二つあるはずだ。勿論、麗にも言えない何かが。
(最初から葵の負担になるくらいなら、一人で行った方がマシだ)
小学生になったばかりの息子にもう好きな女の子が居るなど、繊細を具現化した将英には酷だろう、というのも半分ある。
けれど、それはそれとして葵本人が嫌だと思うかどうかにかかっていた。
「えっと、友達と遊ぶ約束してるんだ。一人で行けるから……」
友達というのは半分本当で、残りの半分は嘘だ。前世夫婦だった麗と葵にとっては、この関係をどう言えばいいのか形容し難かった。
(嘘は言ってない。そう、嘘は……)
言っていない、はずだ。葵が麗に向ける感情がどの「好き」かにもよるが。
将英は一瞬目を
「そうか、そうだよな……麗にも友達は居るもんな」
ワシャワシャと撫でてくる大きな手がくすぐったい。
けれど、どうしてだろう。将英の態度には違和感がある。
(どうしてそんな顔をするんだ)
将英の持つ
撫でてくる手と合わさって、そんな表情で言わないでほしかった。
麗は前世の父にいい思いはしていないが、将英は普通の親よりも心が弱く、
少し息子に友達ができたくらいで、麗自身が毎回罪悪感に
それくらいなら、一度でも一緒に出掛ける事があってもいいだろう。
おずおずとながら、上目遣いで将英を見上げる。
「父さん……も、来る?」
「いいのか!?」
その言葉を待っていたかのように、将英はぱっと笑顔になった。
◆◆◆
さわさわとぬるい風が吹き付けている。
五月も半ばになると、桜は散り落ちて葉桜へと姿を変えていた。
何度も来ているが、改めてそのさまを寂しく思う。季節の移ろいは仕方ないにしても、もう少し長く咲いていて欲しいとも思った。
公園の入口付近から、見覚えのある後ろ姿があった。紺色のブレザーを着ていて、少し癖のある黒髪を一つにまとめている女子高生。
(葵だ)
やはり今日は部活だったのだろうか。いつもは髪を下ろしているが、ほっそりとした白い
今すぐにでも駆け出していきたいが、少し後ろに将英がいるため堪える。
「久々に来たけど変わってないなぁ」
そんな将英はキョロキョロと忙しなく視線を動かし、時折「懐かしい」などと呟く。
「……ずっと来てなかったのか」
「仕事が忙しくてなぁ。麗が生まれる前から、何度も母さんとデートしてたんだぞ〜」
小声で言ったつもりが、しっかりと聞こえていたらしい。
およそ子供らしくない口調だったが、将英は気にも留めていないようだった。
その事に胸を撫で下ろし、将英の方を振り向いた。
「母さんと?」
「あぁ、十年は前になるかな。今も綺麗だけど昔も綺麗でな、あの時は必死になって───」
優しい笑みを浮かべて話して聞かせてくれることは、当たり前だが麗が現世に生まれ落ちる前の話だ。
自分が知らない両親の話を聞くのは
「麗が生まれた時は病院に行けなかったんだ。けど、はじめてお前と会った時は泣いたよ。麗は父さんと母さんの子供なんだ、って実感した」
ぽつりぽつりと会話を重ねていく。聞いてもいないことを聞かされている気もするが、こうして男二人で話すのはあまり無いから新鮮だった。
「父さんと母さんは……仲良いんだね」
時折、早希と将英は息子が居るにも関わらずじゃれ合う事がある。それをやめて欲しいとは思わないが、前世の自分たちを見ているかのように仲が良くて、少し羨ましくなった事は一度や二度ではない。
「まぁ、な──それで? 麗の友達はどこにいるんだ?」
一瞬遠くを見るように、将英は目を
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