14枚目 貴方は私の

 一華の家に向かっている途中、用があるからと一旦別れた。

 待ち合わせ場所は、桜の大樹がある公園にしようと約束して。

 準備が出来たらゆっくり来るから、とも言っていた。


 (一華もできた子よねぇ……。流石さすがは私の幼馴染み)


 などと考えつつ、公園までの道筋を歩く。

 さわさわと緩やかな風が気持ちいい。

 ブレザーを着ているから寒さはそれほどでもないが、まだまだ春は始まったばかりだ。


 (この時間は居るのかな)


 小学校の入学式は昼頃に終わる。

 終わってから、ずっと待っているとは考えにくい。

 しかも、つい最近まで幼稚園児だったのだ。きっと新しい友達と遊んでいるのかもしれない。


 葵はいつも、それこそ物心ついた頃からあの公園に来ていた。和則かずのり──れいと出会えるかも、とどこかしらで思っていたのだろう。

 それこそ葵の心は、無意識のうちに和則を求めていたのかもしれない。


 「あ……」


 やがて公園の入口が見えてきた。

 ここからでも大樹が見えるため、しばらくそこに立ち尽くす。

 葵がこの場所を後にしてから数時間しか経っていない。なのに遠目から見ても、桜の樹は大分花びらを散らしていた。

 はらはらと舞い落ちては、桜の絨毯じゅうたんをそこかしこに作っている。


 春は夏よりもずっと短い。

 四月が終われば蒸し暑い日が続く。

 その頃にはこの樹も葉桜になって、秋になれば落ち葉が色とりどりの花を咲かせる。冬にはすべて枯れ落ち、また春になり桜が咲く。

 そうして季節は巡っていくのだ。

 葵が年を取っても、そらへ逝っても。


 当たり前の事が、こんなにも尊くて。

 精一杯今を頑張っているのは、この世界に生まれたすべてが同じなのだ。

 少しでも欠けてしまえば成り立たない。


 さわさわと風が吹き、また桜の花びらが散るなか葵は大樹のそばへ近寄る。

 そこには誰もいなかった。


 「……和さま」


 ぽそりと小さく呟く。

 きっと風に吹かれて消えてしまっただろう。


 「わっ!」

 「ひょえ!?」


 突然ドン、と背中に衝撃が走った。その拍子で女子高生らしからぬ悲鳴が出たのは仕方ない。


 「ちょっと……びっくりす、る」


 じゃない、と続けようとしたところで言葉は止まった。

 後ろを振り返ると、そこには今朝出会った少年──麗がいた。


 「へへっ、悪戯いたずら成功〜」


 高く甘いその声は、しっかりと葵に届いた。

 ニコニコと頬を紅潮させ、おまけにVサインまでしてくるから、不思議と本気で怒る気にはなれなかった。

 ふぅ、とうつむいて溜め息をひとつ吐く。

 次に顔をあげた時には、葵の顔に笑みが広がっていた。


 「本当に……貴方はっ!」

 「おっ、と」


 小枝のように細い手を掴もうとするも、すんでのところで避けられる。


 「こら、待ちなさーい!」

 「やーだよっ」


 麗が逃げると葵も追う。

 一定の距離を保って捕まえようとするも、小さな隙を突いて麗がその脇をすり抜ける。

 そんな攻防を数分続けて、どちらからともなく笑いだした。


 「はっ、はぁっ……、早くなったなぁ」


 ぜぇぜぇと膝に手をついて、麗が息を切らす。丸い頬に汗がにじんでいた。


 「だって……はぁ、昔みたいに早い、じゃないですかっ」


 長い髪を一旦ひとまとめにして、手で風を送る。少し走り回っただけなのに、身体がポカポカと温かい。


 何故だか自然と前世での名前で呼んでしまったが、そんなものはもう二人の間に関係なかった。

 やっぱりこの少年は、前世の夫だ。華山かやま和則なのだ。


 「ははっ……楽しいなぁ。なぁ、美和」


 屈託のない笑顔を向ける麗に、葵も自然と微笑む。


 「本当にっ。また貴方と走れるなんて、思ってませんでした」


 自然と目尻ににじんだ涙を指先で拭う。


 「美和──気付いていたのか」


 すっと声音が低いものへと変わった。今までが演技だったとでもいうように、唐突に。

 その目はこちらがひるむほど鋭い。


 「……私が貴方を間違えるはずありませんから」


 ひと呼吸をおいて、ささやくように言葉を紡ぐ。

 最近記憶を思い出したばかりだが、無意識のうちに探し出すほど求めていたのは事実で。

 むしろ今まで出会わなかったのが、不思議なほどだった。


 「そうか」


 そう言ってにこりと優しく笑う麗は、やはり愛しい夫の顔をしていた。


 「今朝はあんまり話せなくてすまない。俺も俺でまぁ……その」


 もごもごと言い淀む姿は、容姿も相まってか子供らしくて。


 「ふ、ふふっ」


 クスクスと笑ってしまうのも無理はない。


 「あ、笑ったな!」

 「す、すみませ、でも……ふふっ」


 今の容姿が恥ずかしいのか、驚かせた時よりも頬が赤い。

 目の前にいる少年が、葵は愛しかった。前世もだが、今世の姿も難なく愛せる。そんな予感がする。


 「ったく。俺だって、望んでこんな子供になったわけじゃないんだぞ。叶うならお前と同じような……」


 突然無言になった。

 今、麗が見ているのは葵ではなく、その向こう──誰かが来たのだろうか。

 先程よりも、いっそう強い風が吹いた。

 花びらがハラハラと散っていき、視界が桃色に染まる。


 麗が見ている方を振り返る。

 一華がこちらに向かって、歩いてくるところだった。

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