2枚目 波乱の前の……

 (いくらなんでも暢気すぎない!?)


 思わず心の中で突っ込む。

 朝食を作るのは兄妹二人で分担しよう、と葵が高校に入学してから千秋が決めた事だった。

 しかし、当の本人は今日が朝食当番だという事を忘れていたようだ。


 冷蔵庫にほとんど何も無いのも、前日に買い物に行っていなかったから。

 普段なら食材が無いと気付いたら補充するが、生憎あいにくと買い物に行く人間は誰もいなかった。


 仮に百合が夜勤明けに買い物へ行っていたとしても、子供たちを信頼しきっている。自分が食べる分を買うだけで大丈夫だ、と思っている節があった。


 (……今度から気付いたらスーパーに寄らなきゃ)


 千秋が買い物に行ってくれている、と思い込んでいた葵にも責任があった。


 そうこう考えているうちに、千秋は自分の珈琲コーヒーを入れようとしている。最近発表された、ロックバンドの曲を口ずさみながら。

 暢気でマイペースな兄を持つと苦労する、とは本当の事らしい。こんなに自由な兄を持っているのは、きっと葵だけかもしれないが。


 「ちょっと兄さん!」


 バン、と手近にあったテーブルを叩く。


 「うぉ、なんだよ。んなにデカい声出さなくても聞こえてるって」


 葵の声で、千秋がびくりと肩をすくめる。

 こちらを鬱陶しそうに振り向き、ジト目で睨まれる。雰囲気こそぼんやりとしているが、その瞳はもう覚醒しきっているようだった。


 「はぁ〜……」


 思わず大声を出してしまったが、今は早朝だ。太陽がそろそろ本格的に出てくる時間になりつつあった。

 それに、あまり声を張り上げるものではないと思い直す。キッチンから百合の部屋は近く、もう少し大きな音を立ててしまえば起きてしまうだろう。

 葵は深呼吸とも言える長い溜め息を吐いて、心を落ち着かせた。


 「これ、見えないの?」


 冷蔵庫に貼ってある、ホワイトボードを指さした。

 月水金は青のマーカーで千秋、火木土を赤のマーカーで葵、とそれぞれの名前が書かれている。

 日曜日だけは各自早起きした人間が朝食を作るルールなため、空白だ。


 「あれ、俺だった? ごめん、すぐ作るな」


 言うが早いか、千秋は今気付いたとでもいうようにホワイトボードを一瞥いちべつする。

 そして冷蔵庫から卵とマヨネーズを取り出し、どこへ隠し持っていたのかサンドイッチ用の食パンをレジ袋から取り出した。


 「え、ちょっと。食パンなんかどこにあったのよ」

 「昨日買ってきた」

 「は……?」


 千秋がキッチンへ入ってきた時には、手に何も提げていなかった。

 葵の見間違いだったのか、はたまた見落としか。それとも、既にキッチンのどこかに置いていたのか。

 どちらにしろ、千秋の作る朝食を食べられると思うだけで、葵の心は少し弾んでいた。

 もしも千秋が後もう少し来るのが遅かったら、サッと手軽に済ませてしまおうと思ったのだ。


 千秋は昔から料理が得意で、大学がない時は暇さえあればキッチンに立っているような人間だ。

 その腕前は、普通の男子大学生よりも上手いといえるだろう。


 「可愛い妹の飯を作らないくらい性格悪くないよ、俺は」


 千秋がバター、マヨネーズの順で手際よくパンに塗り広げながら言う。


 「え、もしかして最初から聞いてた……?」

 「んー? どうだろうなぁ」


 葵の問いに、千秋は半分鼻歌混じりの声で返す。


 「もう、はぐらかさない!」


 思わずぷくりと頬を膨らませる。我ながら子供っぽいが、あまりにも葵の心の中を知っているようで怖かった。


 「ははっ、ごめんごめん」

 「ちょっと、その手で触らないでよ」


 頭を撫でようとしてくる千秋の手を、さっと避ける。

 流石に少しパン粉が付いた、その手で触らないでほしかった。


 「卵は……お、あったあった」


 ふざけ合ったり他愛ない話をしているうちに、千秋はてきぱきと工程に移っていく。

 冷蔵庫から卵を三つ取り出し、片手でボウルに割り入れる。

 カシャカシャと菜箸で空気を含ませるように混ぜ、味付けの塩コショウと少しの砂糖を入れる。


 満遍なく混ざったら、卵焼き用のフライパンを取り出して卵液を流し入れる。バターを少し引き、強火で何度か分けて巻いていくとふわふわ食感になるのだ。


 (本当……こうしてると絵になるんだから)


 葵と違ってサラサラとした艶のある髪は、今年の春から金色に染めている。

 涼やかな目元が相まってか、初めて千秋を見た者には儚い印象を与えるだろう。

 黙っていれば儚さ漂うイケメンなのだ。ただ生活態度が本当に致命的なだけで。


 「はい、お待ちどう」


 テーブルで頬杖をつきつつ千秋を見ているうちに、サンドイッチが出来上がったようだった。


 「わ、美味しそう……!」


 葵の目の前に出されたそれは、出来たて特有の湯気がほこほこと立ち上っている。

 ふわふわとした、少し厚めの卵焼きが入ったサンドイッチ。少し前にテレビで関西特集が組まれていた時から、葵が食べたいと思っていたものだ。


 「我ながら良い出来だな」


 ひと仕事終えたかのように、千秋は一度深呼吸をする。

 誰しも料理が出来るわけではないのは百も承知だが、千秋の作る料理全般──特にこのサンドイッチは早く食べてしまいたかった。

 うずうずとはやる気持ちを落ち着かせ、千秋が席に着くのを待つ。


 「って葵、まだ居たのか。後は俺がやっとくから、お前は着替えてきな」


 葵がまだキッチンに居ることが分かると、一度テーブルに置いたサンドイッチをひょいと取り上げた。

 シッシッと手で追い払う仕草をしたかと思えば、「早く行け」と無言の圧を掛けられる。


 「……言われなくてもわかってるわよ」


 不貞腐れた声音になってしまったが、早く行動しなかった葵にも非があるから反論出来ない。

 ギィと椅子から立ち上がり、早歩きで自分の部屋に向かった。

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