彼女と私のシグニファイア

真江紗奈

±0 全くのナンセンス

「知っている? 秒速25メートルなんですって。人間の落下する速度」

 彼女のことを考えるとき、私はおおむねこの言葉を最初に思い出す。

 私たちの初対面で、私が初めて彼女からかけられた言葉だった。

 今にして思えばもう少し何か言いようがあったのではないかと思わないこともない。だけどそれが彼女の彼女たる所以であり、私が彼女に惹かれた理由だった。もしも彼女が「こんにちは」や「今時間大丈夫ですか?」なんてありきたりな言葉で話しかけてきていたのなら、私はそれまでずっとそうしてきたように、きっと曖昧な返事を残してその場から逃げ去っていただろう。生まれてから十七年間、私はそうやって他人を避け、他人の自意識に己を穢されないよう、自分を大切にして生きてきた。私の自我は脆く、繊細で、清潔で、他人の汚れた手に触れてしまえば、心の弱い私はきっとすぐに元来の清廉な透明性を失ってしまうだろうと推測されていた。

 嘘。そこまで真面目に考えてはいない。ただ単に人間のことが嫌いだったというだけ。喫煙のできる喫茶店で髪や衣服にタバコの煙が張り付くみたいに、嫌いなものに少しでも触れていると自分まで嫌いなものに染まってしまいそうだった。だからできるだけ距離を取っていたかった。

 例えば添加物入りの食品を食べると身体が穢れてしまうと考える人がいるけれど、私はその人の気持ちがすごくよく分かる。私の場合はそれの精神版だったのだ。

 子どもが淡い理由で野菜を嫌がるのと同じように、私にも人間を嫌う明確な理由があったわけではない。例えば私が逮捕されてワイドショーに流されたとしたら、生育環境が悪かったからだとか、十分な愛情を受けずに育ったからだとか、物知り顔のコメンテーターたちに精神分析じみたことを言われるだろう。しかし、人間の行動すべてに明確な理由があるわけではなく、私の感情が過去の出来事と一対一対応になっているわけでも当然ない。なのに多くの人間にはどうやらそれらを一摘みにして、ハンバーグとレタスをバンズに挟んで齧りつくみたいに、全てをまとめて自分に理解できる安易な形式で咀嚼したいという「癖」みたいなものがあるらしい。強いていうのなら、私はそういう人間たちの非人道的な「癖」みたいなものが嫌いだった。彼女ならきっとこういうとき、「でもハンバーガーに挟まっているお肉は、単体で見るとあんまりハンバーグって感じしないわよね」なんて言いそうだけど。

 私が人間に対して「嫌い」という感情を持っているとしたら、「かなりどうでもいい」という感情を持っているのが彼女だった(正確には何の感情も抱いていなかった)。

 人間を街路樹の根元に生えた雑草くらいにしか思っていないのが彼女だった。だから彼女は何事にも自分本位で、私ほどニヒリスティックではなく、pysrhfsliだった。

 「pysrhfsli」とは、彼女のことを書き記そうと思ったときに、私がキーボードをぐちゃぐちゃに叩いて作った造語である。意味は「彼女は〈彼女的〉だった」。この文字列になにか暗号的な意味があるわけではない。単に物事を単一の言葉で括られるのが嫌いな私が彼女のことを既存の言葉で形容するのは違うなと思っただけの話だ。高校を卒業して、日が経つにつれて摩耗し、丸くなった私が思い出した本性的な牙として捉えられたい。

 一方で、このように他者への説明を放棄するのであれば、私と彼女の思い出はすべて「hytecguid」という一単語に集約できるのではないかという疑問もある(もちろんこれも今造った意味のない造語だ)。そうなれば私がここに彼女との日々を書き残そうとしていること自体が全くのナンセンスであるようにも思えてくる。

 彼女ならなんと言うだろうか。たぶん「貴女って変なところで律儀よね」くらいかな。あるいは「ナンセンスだっていいじゃない。支離滅裂じゃないよりは支離滅裂な方が私は好きよ」かもしれない。

 他にも言いそうな応答を十七通り思いついたが、こうして考えてみると、私は彼女の型にはまっていなさ、即ち次になんというか想像ができないところが好きだったようにも思える。だけどよく分からない一方、ある種の信頼もあって、彼女ならきっと私がなにをやろうとも、「人間的しょうもなさ」の範疇としてそれを愛してくれただろう、という確信もある。彼女にはそういう性質があった。彼女は総体としての「人類」には興味がないけれど、支離滅裂で愚かな個々としての「人間」に対しては、おおむね好意的だった。もっとも、愚かさに対して好意的でいられるのは「興味がないから」という見方もできるだろうから、実際のところはよく分からない。だけど人々の「しょうもなさ」のことだけは積極的に愛していたような気もする。

 だから私は、彼女と私とのしょうもない日々を以下に書き記そうと思う。

 難しい話もなければ山場もない、平坦な、ただ女と女が生きていたというだけの記録である。

 かつて、拳銃を手に入れた際に彼女が言っていたことを思い出す。

「『物語に出てきた拳銃は必ず使用されなければならない』って言説があるじゃない? 私はあれがあまり好きじゃないのよね。だってそれってそこには拳銃が使用される方向に物語を進めようとする『神の手』があるわけじゃない? だけど人間が生きているっていうのはそういうことじゃなくて、仮に拳銃を使用せずに終わる人がいたとしても、その人にだってその日まで積み重ねてきた列記とした歴史があるのよね。その人生を、劇作家の配置した拳銃一つによってぶち壊してしまうのは、なんというかあまりに救いがなさすぎると思わない?」

 だから私は、〈私〉としての視点から、誰の目に触れないフォトアルバムを一生懸命まとめるみたいに、ただの事実を淡々と記していこうと思う。

 できる限りあの日の私の感性に忠実に、彼女へのhgvdsyuを込めながら……。

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