本編2-5 運命の言う通り
闇の中で、彼は夢を見た。自分しかいない、自分の姿しか見えない空間に彼はいた。その空間の中の彼は無傷で、ただ、翼だけがなかった。しかし痛みは感じられなかった。
その中で彼は、どこからとも知れぬ声を聞いた。
『エクセリオよ、運命に呪われし子よ』
「だ、誰ッ!?」
声に反応し、エクセリオは無明の闇を見透かさんと目をすがめるが、何も見えない、何もわからない。この不思議な世界の中では、エクセリオだけがすべてだった。エクセリオしか、目に見えるものは存在しなかった。
上からか下からか、前からか後ろからか右からか左からか。重力すらもあやふやになってくるような空間の中、不思議な声が再度響く。注意して聞けば、それは女性の声のようにも聞こえた。その声は笑うような響きを帯びていた。
『そんなに怯えるでない。我はこの世界の双子の運命神が姉、ファーテだ……と言って、そなたは信じるか?』
突飛な、あまりに突飛な話。しかしエクセリオは知っている、話として聞いている。この世界「アンダルシア」には、人間臭い神々がいるのだと。そもそもアシェラルの始祖とされるフィレグニオだって、神に空を願って翼を与えられたという逸話がある。この世界において、神とは近しい存在なのだ。
エクセリオは、その目に不信を浮かべて空間に問うた。
「……あなたが神様だというのならば、その証拠を見せてほしい」
『我が信用ならないか』
声は面白がるように言って、しばし間があってまた声がした。
『よかろう。ならば我がそなたの過去について、語っても構わないが? 運命神は全ての被造物の過去を創らぬ。されど一部の存在――そう、「神憑き」などの過去や未来は、例外なく我ら双子が創るのだよ。そしてそなたのその罪色の過去を創ったのも、この我に他ならない。だからそなたについては何もかもを知っている。話せば理解してくれるだろうか?』
「な――んだって?」
その言葉を聞いて、エクセリオは愕然とした。
身に負った罪も、メサイアの死も。すべて運命神によって創られたものだというのか。最初から決まっていた運命なのか。メサイアが、あの優しかったメサイアが破滅したのだって――運命だったと、そう、この神を名乗る女性が決めていたのか、定めていたのか。
それを思うと、エクセリオの中に怒りが湧いてきた。その怒りは、理不尽に対する怒り。彼が生まれてこの方感じたことのないような、純粋で燃えるような、まるでメサイアの炎の魔法のような、赤々とした怒り。
エクセリオは湧いてきたその怒りの大きさに戸惑いつつも、怒りを言葉にし、叫んだ。
「ならば、ならば神よ! あなたが神だというのならば、何故僕にメルジアに、こんな不幸を背負わせたんだ! 不幸なんて別にわざわざ創らなくてもいいじゃないか、あなたは万能の運命神なんだろうッ!? こんな不幸を背負うのは、何も僕じゃメルジアじゃなくてもいいじゃないか! それを――何故ッ!!」
その叫びを聞いて、運命神を名乗る声は一つ、トーンを落とした。
『それは傲慢というものだし、何より不幸は世の摂理なのだよ、少年』
声は、言うのだ。
『一つ。もしもこの世の中に幸福ばかりが満ち溢れたら、幸福というものは当たり前になり、それは価値を喪失する。その果てに残るのは怠惰と退屈のみが支配する世界だ。そんな出来損ないの世界に、我々はわざわざ住みたいとは思わない。
一つ。富める者あればその裏には必ず不幸な者、貧しい者がいる。これもまた世の摂理だ。働く者と彼らを働かせている者、主人と奴隷。それくらいの格差はあって当然。格差がない社会など、誰もが幸福な社会など、存在しないし我はそれを理想郷と呼ばぬ。不幸も幸福も同じくらいあってこそ初めて、世界は成り立つのだと我は考える。
一つ、そなたが不幸を背負わなければ、他の誰かが同じくらいの不幸を背負うことになる。そなたはそれでいいのかもしれない。自分に関係のない誰かがいくら不幸になったところで、自分の知ったことではないと考えるのかもしれない。しかしそれは傲慢、恐るべき傲慢だ。我はこの不幸を罪を、そなたがそなたであるからこそ、そなたに与えたのだ』
その声は、諭すような調子を帯びていた。
声に打ちのめされ、エクセリオはがっくりと膝をつく。
「ならば――ならば僕は、どう、すればいいの……?」
『自分の信じる道を生きよ』
声は、言う。
『そうそう、言い忘れておったが、我がわざわざここまで来た理由を話していなかったな。そなたは二十まで生きられぬ、それは我ら神々が定めた律法なり。しかし教えてやろう。これは我ではなく弟のフォルトゥーンが定めたことなのだが――』
声は、囁くように小さくなった。
『そなたに限って、**まで生きられぬ』
知った答え、儚い命。運命神が告げた命は、あまりにも短くて。
その目に絶望を浮かべる少年に、あわてたように声が言った。
『ああでも安心してほしい。我は運命神として予言しよう。近いうち、そなたには完全な贖罪の機会が与えられると、既に物語は動いていると』
エクセリオは、虚ろな瞳で宙を見つめた。
「こんなに儚い命で……贖罪なんて、僕にできるの?」
ああ、できるともさと声は力強く笑う。
『そなたがそれを贖罪ととらえるかはそなた次第だが……。さて、我はもう帰らねばならぬ。必要事項は伝えたぞ? エクセリオよ、神に呪われし子よ。我はそなたに不幸を与えたが、それでも我は信じているぞ。どんな運命も宿命も、抗う意志があれば変えられると。さぁ、我の定めた道を変えてみせよ!』
その声を、最後に。
エクセリオの意識は、現実へと戻された。
ゆっくりと瞼を開けて、彼が最初に見たのは
その瞳の持ち主は、白銀の髪を持ち、銀の鷲の刺繍の入った黒銀のマントを羽織った少年だった。その胸元では、エメラルドのペンダントが輝いていた。
その顔を見ると、エクセリオの胸の中に、どうしようもない懐かしさと耐えがたい感情が、何故だか溢れ出してきて。
初対面のはずなのに。
泣きだしそうな顔で、エクセリオは思わず呟いた。
「……ただいま」
「お帰り」
エクセリオのそんな言葉に、少年は力強く笑って応えた。
エクセリオは、感じた。
――ああ。
――ああ、僕は。
――ようやく、めぐり会えたんだ――。
会うべき人に。自分の贖罪を、捧げるべき人に。
エクセリオは、その紫水晶の瞳を見つめた。するとその瞳は、やや不器用に微笑んだ。その笑みにつられるようにして、エクセリオは笑った。笑って、笑って、笑った。喜びに、笑った。歓喜に、笑った。胸の内からこみあげてきた幸せな感情に――笑って、笑って、笑った。
メサイアを失ってからずっとぽっかりと空いたままだった心の穴が、今ようやく、満たされたかのような感覚をエクセリオは覚えた。
かくして二人は、出会う。
◇
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