0-2 決意込めて、舞う

「……行くわよ、みんな」

 踏み出した一歩。数多の屍を、悲哀を越えて、彼女たちはここに立つ。

 次に封じるのは無邪気なる戦神ゼウデラ。この神は自身の心を満たすためだけに人間たちの心に争いを植え付け、国全体を戦禍に包みこんだ。この神のせいでたくさんの人が死に、涙を流したのだ。その悲しみの輪廻は、断ち切らねばならない。

「戦神、ゼウデラ」

 小さく呟き、彼女は神殿の奥に進む。

 むっとするような血の臭いが彼女の鼻を刺す。この戦神への供物として、人間の血が捧げられるようになったのはここ最近の風習らしい。

 たん、たん、とサンダルの音。その後を追うように、エルステッドの靴音、ヴィンセントの鉄のブーツの音が鳴り響く。シルークは足音を一切立てず、不気味な蝶を纏わりつかせながらも歩く。その姿はまるで死神のよう。

 やがて。

 辿り着いたのは神殿の最奥部。そこにあった祭壇には、いまだ脈打つ人間の心臓が捧げられていた。そして、

「……相当悪趣味な神様だな」

 エルステッドの感想も最もだろう。

 その祭壇は、人間の骨と皮で作られていたのだから。

 この神殿は、人間の血と悲鳴を吸ってここに在る。そして祀られている神は戦を起こす。

――何としてでも封じなければならない。

 そう、フィラ・フィアが強い決意を固めた時。

「何の用だ、人の子よ」

 天上の高きところから、投げかけられた、声。

 フィラ・フィアは頭上を見る。大きな神殿の高い天井付近に、赤い男が浮いていた。

 頭から血を被ったような、赤いボサボサの髪。血のように赤い瞳。漆黒のマントに、幾重にも交差する漆黒のベルト。深紅のマフラーが、風もないのに揺れる。その男の傍では、翼の生えた純白の獅子が羽ばたいていた。

 彼はフィラ・フィアらを見て口の端に薄い笑みを浮かべた。

「我こそゼウデラ、戦乱の鷲、争乱を好み、命を弄ぶ者。人よ、人の子よ。我に何の用があってこの地に来たか」

「お前が、ゼウデラ……!」

 フィラ・フィアは喉の奥から押し殺した声を漏らした。

 彼女は大きく息を吸い込み、手にした錫杖を地に突いた。しゃん、と涼やかで清浄な音が、血まみれの神殿に鳴り響く。

 彼女は名乗った。

「わたしはフィラ・フィア、『希望の子』。戦神ゼウデラ、あなたの度を過ぎた放埒に、人間たちは苦しんでる! わたしはね、あなたを封じに来たのよ。神は神で生きて、違う種族に関わらないで!」

 彼女の名乗りに、ほぅと戦神は眉を上げた。

 その口元に、面白がるような笑みが浮かぶ。

「人間が、人間が! この我を封じようと? この、神たる我を! 封じようというのか!」

 彼の周囲で風が渦巻く。それは争いの気配のこもった荒々しい風だった。

 彼は笑った。抗う人間たちを、哄笑した。その笑い声に神殿が揺れる。

「愚かな! ああ、なんと、愚かな! 人間が神に逆らおうなどと、おこがましいにもほどがある!」

「……でも、逆らうわ」

 フィラ・フィアは強い瞳で相手を睨んだ。

「わたしたちは確かに無謀な戦いをしようとしているのかも知れないけれど」

 けれど、それが使命だから、やるしかないのよ。

 言葉が放たれた、刹那。

 フィラ・フィアの赤い瞳と、シルークの白の瞳が交差した。

 頷いたシルークの周囲で風が鳴り、彼の纏う純白の蝶が飛び立って、戦神の視界を覆う。それを戦いの合図として、フィラ・フィアはステップを踏み始めた。彼女の周囲で濃密な魔力が膨れ上がっていき、虹色に輝く鎖が出現する。最初はただの光で出来ただけのようにも見えたそれは、フィラ・フィアが舞うたびに少しずつ実体を得ていく。これが完成するまでの間、他のメンバーは全身全霊で彼女を守らなければならない。彼女こそ最後の希望、彼女の代わりは他の誰にも出来ないのだから。

「小賢しい真似をッ!」

 自分の視界を覆った純白の死神蝶を、戦神は腕のひと振りで蹴散らした。しかしその瞬間、隙ができたことは確かで。

「悪いが消えろッ!」

「その首、もらったッ!」

 右にエルステッド、左にヴィンセント。

 二人の戦士が戦神の両脇から跳躍し、肉薄し、その刃を掲げる。その瞬間、フィラ・フィアの虹色の鎖が燦然と強い光を放った。

「わたしは作るのよ。神様になんか干渉されない、人間だけの世界をッ!」

 その瞳の奥で、痛いほどに燃えた意思。

 仲間たちの死を越えてもなお揺るがなかった思い、強い使命感と燃える心が、彼女の瞳の奥で渦巻いた。

「そう簡単にはいかせぬッ! 神を甘く見るな人間ッ!」

 が、その瞬間、弾かれた刃。

 戦神自身は動いていない。ならば一体誰が二人の刃を防いだのかと見れば、戦神の前に純白の獅子が立ち塞がり、その両手の爪で相手の攻撃を受け止めているのが分かった。時間稼ぎは、失敗したようだ。

 だが、フィラ・フィアの舞の魔法もあと少しで完成する。敵が速いかこちらが速いか、それだけの勝負になった。

 舞い踊りながらもフィラ・フィアは叫ぶ。その額から汗がこぼれ落ちた。

「わたしこそ、言わせてもらうわ。――人間を甘く見るな神様ッ!」

 そしてついに実体化した虹色の鎖。

「――封じられよ、戦神ゼウデ、」

 彼女は勝利を確信した、のに。

 何故、戦神は勝ち誇ったような笑みを浮かべたのか。

 何故、シルークの白の瞳に、覚悟と諦めのようなものが浮かんだのか。

 鋭い音を立てて鎖は弾かれる。神封じの舞の魔法のこもった、虹色の鎖は弾かれる。

 立ち塞がった純白の獅子。その爪に鎖が巻きついた。しかしそれは封じる対象ではなくて。

 戦神の勝ち誇った笑み。背筋を這いあがった悪寒と嫌な予感。

『フィラ・フィアッ!』

 人工音声のような、どこか不自然な声。

「……ラ?」

 彼女の目の前で、誰かが倒れる。

 赤い血飛沫が彼女の顔に掛かった。

 白い姿が赤く染まる。血に濡れた蝶が飛び立った。

 フィラ・フィアは固まった。目の前で起きた現実を、信じたくはなかった。

 戦神の哄笑が響き渡る。

「ハ、ハハ、ハッハハハッ! 愉快、実に愉快! これが人間種族の自己犠牲という奴か? 踊り子を狙って攻撃したのに、白の死神が庇ったか! 実に面白い! 面白いものを我は見たぞ!」

 その言葉の、意味。

 戦神の右腕には、いつの間にか鋭い長槍が握られており、その先端は血に染まって赤く濡れていた。

 フィラ・フィアの喉から絶叫が洩れる。

「シルーク――――ッ!」

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