エモーショナル・リボルバー

水沢 士道

――


 ある日、一丁の銃を見つけた。


 道の真中を塞ぐように捨てられていたそれは、映画やドラマでよく見かける角ばった近代的なものではなく。子供の頃に買ってもらった玩具の銃と同じ、弾丸を一発一発込めていくタイプの古いものだ。

 当然、最初は玩具であると私は思った。近年は玩具の進化も素晴らしく、捨てられたそれがまるで金属のような光沢を放っていたとしても可笑しくない。

 以前知人に自慢されたモデルガン……というやつだろうか。少々値が張るらしく、私には見せるだけ見せてすぐに鞄の中にしまっていた記憶がある。だとするならば、捨てられているのではなく落としているだけなのかもしれない。


 普段であれば見向きもしなかっただろう。

 私は特に周囲の環境に対して鈍感であり、よく後輩に『もう少し現実に生きてください』などと叱られていた。

 だが、その日は妙に気になって、私は落ちていた銃を拾い上げてしまった。


 感触としては金属というよりプラスチックのほうが近い。鉄で出来ているとは思えない軽さや、そこはかとなくチープさを演出する光沢など。まるで玩具の銃のようである。

 けれども、私にはそれがどうしても玩具には見えなかった。全体的な構造が妙に精工で、まるで本物をそっくりそのままコピーしたかのような外見をしていたからである。

 本来、玩具の銃は本物の銃と間違われないようにだったか、なるべく構造や外見などをチープに。言ってしまえば銃ではあるが銃ではない。あくまで玩具としてすぐに分かるように造られている。

 知人の話なので恐らくは嘘だろうが、玩具売り場に置いてあった銃は確かに作りが荒い。いかにもプラスチック然とした風体は、自身が子供にのみ使われるべきであるとしっかりと主張してくる。


 となるとやはり、モデルガンというやつなのだろうか。落としてしまった人には悪いが、少しばかり興味が湧いてきたこともある。私はそのまま銃を保持して歩みを再開し始め、そういえば帰宅中であったことを思い出す。

 一度家に持ち帰って見て、後から警察に落とし物として届けに行くとしよう。そんな言い訳を頭の中でぼんやりと考えながら、私は一丁の銃との邂逅を果たしたのだった。


 して、この銃はどれほどの精度で造られているものなのだろうか。知人が見せてくれたものは近代的な、一般にいう自動銃というものらしく、私が今持っているそれとは作りからしておそらく違うということはわかる。


「で……私を呼んだってわけですか」


 濁った視線。およそ少女がしてもいい領域を僅かに超えているであろうそれを見て、私は小さく身を捩る。

 彼女は先程から話を出していた『知人』というやつで、私と同じ高校の一つ年下。つまりは後輩に当たる少女だ。

 肩甲骨のあたりまで伸ばした黒髪。全体的に凹凸の少ないプロポーションと、後輩と言うにはやや小さすぎるほどの等身――これは、私が平均よりやや大きいというのも関係しており、平均で見れば其処まで小さいということもない――らしい。

 私と話すとき以外はニコニコとした表情を常に崩さないにもかかわらず、一度私の方を向けば呆れたように溜息ばかりを吐きかけてくる。

 180センチを超える長身で、人付き合いを道端に放り投げているような私に話しかけてくる人間など彼女くらいなものだ。だからこそ、私は何の躊躇いもなく彼女へと連絡し。やや荒々しいインターホンの音にドアを開ければ、異性の部屋だと言うのにずかずかと部屋の中心にまで入り込み腕を組んで仁王立ちをしていた。


「いや、私だったからよかったものの。普通『銃拾ったから来てくれ』なんて言われたらドン引きしますよ?」

「ついに殺っちゃったか……と思いましたもん。私」


「それは少しばかり無礼が過ぎるんじゃないか?」


 続く言葉に思わず言い返してしまったが、返す刃で「先輩にはこれくらいがちょうどいいんです」と斬り捨てられてしまっては仕方ない。

 兎に角、私はこの銃の正体が知りたかった。だからこそ、私に自慢するだけして触れさせてもくれなかったモデルガンを持っているほどの所詮オタクである彼女に、その知識を貸してもらおうと思った次第である。


 見目麗しい彼女と、長身痩躯な私。何処で出会ったのかといえば勿論学校と答えるほかはないが、私が偶々彼女の秘密を知ってしまったから。というのが最も正解に近いだろう。

 普段は笑顔を絶やさない美少女だが、実は銃器に関して並々ならぬ情熱を持っている。それを私が偶々見てしまい、以降なし崩し的に趣味を見せるための掃き溜めとして付き合いが発生していた。

 何処かで聞いたような話である。だから別に深く説明する気もない。今必要なのは、彼女がこの銃に対しての知識を持っているかどうかである。


「で! 肝心の銃は何処にあるんですか?」


 問われたので、私は押入れの中に乱雑に入れられたダンボールの中から一つを取り出すと、その中から件の銃を抜き取り、彼女の前に差し出した。

 しっとりとした仕草で畳の上に座る彼女は、黙っていれば十分に美少女と言えるだけの美貌を感じさせる。だが次の瞬間には銃を見て目を剣呑に光らせるのだから、これでは見惚れようもない。


 「確かに……玩具にしてはちょっと出来すぎてますね。これ」


 およそ十分ほど食い入るように銃を見つめ、猫もかくやというほど様々な部位を撫で回した彼女が吐き出したのは、おおおよそ私が推測した答えと同じものであった。


 「私も実銃は流石に触れてないのでこれは完全に勘ですけど、本物ではないと思います」

 「でも、玩具にしては作り込みが深すぎる」

 「普通こういう銃には何かしら名前……この銃の名前はこれですよ~っていう奴が刻まれてたりするんですけど、見たところそれもありませんし」

 「どこぞのマニアがモデルガンを改造した。ってのが落としどころじゃないですか?」


 知識のない私とは違い、素人とはいえ彼女には一定量の知識がある。その上で私と同じ考えを話すのだから、きっとこの考えは正解なのだろう。


 もし間違っていたとしても、本物という答えだけはありえまい。

 なぜなら、私が適当に弄り回していた時につい引いてしまった引き鉄が、正常に作動したからである。


 「一応、許可とか取れば実銃を持つことも出来なくはないらしいんですけど」

 「それには銃口を埋めたちとか引き鉄……トリガーを引けないようにしたりだとか、『銃として』機能しないようにする必要があったはずなので」

 「引き鉄が引けて、銃口も特に埋められたりしていない以上、本物ではないと思います」


 「――――てか、銃口を見ながら引き金を引くなんて馬鹿なんですか!?」

 「見てて一瞬気を失いそうでしたよ! 私! もし銃弾が入ってたら脳みそドバドバですよね! 可愛い後輩を血まみれにして嬉しいんですか!? この変態!!!!」


 普段通りに騒ぎ立てる彼女の言葉を半分ほど聞き流しながら、私はポケットの中の小さな重りにズボンの上から手を当てる。

 それに人の親指ほどの大きさはなく、小指よりは太く短い。丁度、この銃の弾倉にすっぽりと収まりそうなほどの形状をした一発の弾丸を、私は持っていた。

 どうして彼女にそれを話さなかったのか、自分でも理由はわからなかった。だが、話してしまったらなにか取り返しの付かないことになるだろう。という確信染みた考えだけがあった。


 少し経って後輩が私の家から嵐のように過ぎ去った後、ポケットから取り出した銃弾を見やる。

 銃の中には撃ちきった薬莢の一つも入っておらず(自動銃とは違い、このタイプは撃った後の薬莢が中に残るらしい)、これはいつの間にかポケットの中に入っていたものだ。

 以前彼女に見せてきたどこぞの基地から貰ってきたという空薬莢にそっくりで、違う部分とすれば弾頭と呼ばれる実際に弾丸が発射される部分が残っている所くらいだ。

 即ち、この弾丸を装填して引き金を引けば、弾丸は容易く人の命を奪うということである。


 気が付けば、手が震えていた。いや、震えていたのは全身かもしれない。足は小刻みにまるで貧乏ゆすりかのように畳に擦れた音を立て、指は机の上をとんとんと踊るようにステップを刻んでいる。

 恐怖か。否。恐ろしいとは感じなかった。寧ろ、もし私がこの銃を使って誰かを殺したりしたのなら、という。漠然とした想像が頭の中を駆け巡っていた。

 嫌いな人間が居るわけではない。人と関わることを放棄してきた私にとって、後輩である彼女以外の存在は特段気にするほどの重要度ではなく、必然的に何を言われようと怒りの感情が湧き出ることはない。

 感情がないというわけではないが、限りなく自身が認識できる段階に浮かんでくることはない。両親が事故で死んだときも、一滴の涙も流れなかったのにはさすがの私も動揺した。


 だからだろうか、体の中を走り抜けるかのようなこの情動が『歓喜』であることを理解したのは、既に銃を持って外に出た後のことだった。


 汚れても構わない無地のシャツに、後輩の趣味として押し付けられた迷彩柄のカーゴパンツ。そして、一々変えるのが面倒だという理由で買った黒色のコートを羽織れば、立派な不審者が出来上がる。

 顔を隠す代わりに首に巻いたマフラーを口元まで引き上げ、籠もった湿気を花から吸い込む。少し、後輩がしていた柑橘系の香水の香りを見つけて、少しだけ呼吸が止まった。

 今からするのは只の犯罪だ。実験と言う名前をした人を害する行為であり、成功すれど失敗すれど、結果はどうであれ私は遠からず警察のお世話になるだろう。

 然し、そんなことはもはやどうでも良かった。手に持った銃から伝わる冷たさが、私の煮え滾るような心をゆっくりと冷ましていく。衝動的な殺意から、まるで機械のボタンを押すような気軽さのある殺意へ。まるで導かれるように変化していくそれが、妙に心地よかった。


 そうやって浮き上がるような気持ちで歩いていると。悪酔いでもしたのだろう、住宅街の電柱に手をついてえづいている一人の男を見つけた。

 少しでも特定されることを避けるために、自身の家から少しだけ離れた場所で事を起こすつもりだったが、月が出て既に数時間は経過している今始めて出会った『的』に、私の引き絞られた弓のような意識はふいにぷつん、と切れてしまったようだ。


 破裂音。


 昔見た映画で俳優がしていたのと同じように構え、弾丸を発射するための着火装置――撃鉄を起こす。「かちり」と鳴る金属音は予想外に響き渡り、明らかな異音に振り返った男が見たのは、自身に向く銃口の悍ましいほどの黒色。

 何処までも軽薄なそれは、乾いた音を立てながら一人の人間に穴を開けた。


 ――――


 「ほら先輩。起きてくださいよ」

 「せっかく私が起こしに来てあげたんですから、嬉しさのあまり跳ね起きるくらいしたらどうですか?」


 朝。乾いた音で目が覚める。それは奇しくも私があの男を殺した時に聞いた音と同じもので、見上げれば彼女が―――勿論後輩である彼女以外に女性の知り合いなどいないので同一人物である――――明らかに玩具であろう銃の玩具をかちりかちりと鳴らしていた。

 そういえば、合鍵の場所を教えていたのだとぼんやりとした思考で思い出し。変なことを呟いている彼女を無視して、布団からのっそりと起き上がった。


 「早く着替えてくださいね」なんて言いながらドアの向こうに消えた彼女に急かされるように、着替えようと制服のシャツに手をかけようとして。カレンダーに記された日付が土曜日である事に気付く。

 そういえば、今日は彼女と出かける約束をしていたのか。だから態々私のところまで迎えに来たのだな、と得心がいった。

 普段は私が遅れようが寝坊しようが我関せずを貫いており、今日に限って起こしに来るなどなにかあるに違いないとは思っていたが、もうそんな日だったか。


 「はやく行きましょう。先輩」

 「――――お墓参り、着いて行ってあげますから」


 三年前の今日、私の両親は死んでいた。


 ――――


 電車に揺られている。私の両親の墓は今の自宅よりも少し離れたところにあるため、電車で近くの駅まで行ってから歩いて向かうことになる。

 両親の墓参りに何故彼女がついてくるのかといえば、私が墓参りという存在を失念していたからに他ならない。

 死んだことはたしかに悲しい。涙こそ出なかったものの、自身の将来についての不安やこの先の生活についての思考は止まることを知らなかったし、葬儀の時には親類に随分と世話になった。

 然し、それだけである。死んだものを振り返ることに意味はない。それがたとえ自分を生んでくれた両親であるとしても、それは変わらなかった。


 彼女が強引にでも「お墓参りに行かないなんて血も涙もない鬼ですか!」なんて怒ってくれなければ、私は一生両親の遺骨に挨拶をすることはなかっただろう。

 未だに涙こそ出ないものの、去年の墓参りで後輩が横に立ち、その端正な顔に二筋の跡を残してくれたことを、私はきっと忘れない。


 ――――


 墓前に線香を上げ、用意しておいた花をいける。細かいことがあまり特異ではない私の代わりに、彼女がそれを代行してくれた。

 私はといえば墓の周りを掃除したりだとか、墓石を磨いたりなど主に肉体労働を受け持ち、およそ二時間ほどで諸々のことを終わらせ、帰ることにした。


 その時だ。

 ふいに、彼女が一つの問いを投げかけてきた。


 「そういえばあの時の玩具……どうしたんですか?」


 言われて初めて私は、あの時の銃をいつの間にか失くしていた事を思い出す。

 元々弾丸はポケットにいつの間にか入っていた一発しか持っていなかったため、それ以上私が罪を重ねることも。あの心が煮え滾るような情動に突き動かされることもなく、あの後は比較的平穏な日常を送れている。

 直ぐに警察の手が伸びてくるだろうと思っていたのだが、一向にその気配は現れず。いつの間にか失くしていた銃と一緒に、何時の間にやらニュースにすら報道されることはなくなっていた。

 それは奇しくも私の両親が死んだときの事象を焼き増しにしたような展開で、殺人者の私は当たり前のように生きている。

 だからだろうか、妙に気分の晴れやかだった私はつい。頭の片隅が押し留めていたはずの言葉を吐き出してしまった。


 「実を言うと、失くしたんだ」


 そう答えると、彼女は「そう……です、か」とだけ返して俯いた。わずかに震えている体は何かを耐えているようで、大丈夫なのかと声をかけようとしたその瞬間に顔を上げて此方を見やる。

 瞳が赤い。白い部分が充血しているのではない。確かに充血こそしているものの、肝心な瞳の部分までもが赤の色彩を得て。虚ろな―――――まるで鏡の中の私のように無感動な目で。彼女には到底似合わぬはずの、遍く全てに対して心を動かさなくなった生きる屍のような目で、私を見た。


 「先輩。私に隠していることないですか?」


 心臓が鳴る。血液の脈動は徐々に速度を上げ、私は答えるすべを失った。


 「例えば、あの銃は実は本物だった……とか」


 「例えば――――」

 「あの銃で人を殺してしまった……とか」


 ここに来てようやく私は「ああ、もう逃げられないんだな」と理解した。

 彼女はすべてを知っている。何処かで私の跡を付けたのか、それとも私の普段の動作からそれを察したのかはわからない。けれど、確かに彼女は私が一人の人間を殺した事実を理解していた。


 「半年前の事件を先輩は覚えていますか?」

 「深夜に一人の男性が銃によって殺された事件です」

 「殺害方法こそ銃によるものだと分かったものの犯人は見つからず、何時の間にかテレビのニュースでも流れなくなっていました」


 「あれ、私のお父さんだったんです」


 「……確か、君の両親は既に離婚していると聞いたが」


 「三年前に蒸発して、その後はほとんど会っていません」


 三年前。頭の片隅で何かが囁く。


 「先輩のご両親を殺したのは、私のお父さんなんです」


 淡々とした口調は普段の彼女のものではない。何処か機械的で、聞き馴染みのあるトーン。何度も何度も、それこそ生まれたときから耳にしてきたもの。


 ああそうか。私はようやく理解する。

 。と

 

 「昔から、人に暴力を振るうことが生きがいのような人間でした」

 「私にも、母にも。当然のように見知らぬ他人もその対象で、けれども警察には手を出されないギリギリを歩くのが上手い。そんな人でした」


 「三年前のあの日。あの銃を持ってくるまでは」


 そこからの話は、私にも経験がある話だった。

 あの銃を拾った彼女の父親は、持ち前の暴力衝動を抑えることが出来ずにそれを使い。人を殺したという事実に耐えられずに逃走した。そして、私のときのように何時の間にかニュースにすら表示されることはなくなった後、ほとぼりが冷めたと見て彼女の家に向かっていたところで、私と出会い。そして死んだ。


 「でも、それでも彼は私の父親だったんです」

 「かけがえのない、たった一人の。家族だったんです」


 私の家族を殺したものを、私が殺した。因果だが、そういうことらしい。


 「そして、何時の間にか私の手の中には――――この銃がありました」


 懐から取り出す。いや、彼女の服装では銃が隠せるような隙間などなかった。まるで虚空から瞬時に呼び寄せたとでも言うように、当たり前の表情で彼女の右手の中に収まっているそれは、私が彼女の父親を殺したのと同じもの。

 玩具にしては精工に過ぎるが、本物にしてはあまりに軽い。まるで殺人の責任を宙に浮かせてしまうような高揚感と、心の中の情動を爆発的に増幅させる能力を秘めた。魔性の銃。


 「先輩。この銃が一体何なのか、ようやくわかったような気がします」

 「多分、この銃は元来なんですよ」


 右手がピクリと動く。私の腕と、彼女の腕が、同じように伸ばされて、指先――――銃口がお互いの方へと突きつけられる。

 疑問はない。何故私の右手にあの時の銃が握られているのか。何故同じものであるはずの銃が二丁も存在しているのか。

 そんなことはもはや、どうでも良かった。

 今はただ、この銃の弾倉に弾丸が込められていることさえ理解できていればそれでいい。


 怨嗟を望み、怒りを喰らい。巡り巡って自分を殺す。一発の弾丸。

 それこそがこの銃の存在意義。殺されるために存在し、殺すために顕現する情動の魔弾。


 「お願いです――――――死んでください。先輩」


 銃声が、響く。

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エモーショナル・リボルバー 水沢 士道 @sido_mizusawa

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