そして…風呂と宇宙と空飛ぶクジラ。
なんだ…屋内の風呂と言っても大きな窓があって、ここから見える景色も素晴らしいじゃないか。
夕日は逆側なので見えないにしても、ゆっくりと山々や雲の影が伸びながら下界を少しずつ侵食していく様は、古い映画のエンドロールでも見ている感覚に陥り軽いノスタルジーに浸らせてくれる。
こんな壮大な景色をもっと前で!と思って窓から顔を出すと…その下は断崖絶壁であった為、今は少しずつ夜の帷に包まれていくのを膝を震わせながら湯船に浸かって眺めている。
元の世界での漫画やアニメでの異世界の風呂事情が多少気になっていた。
もちろん小さな風呂なら薪で沸かすのが基本だろうが…個人でこの規模だと温泉や魔法で、というのが簡単な設定だろうか。
俺がこの世界に来て、今まで入ってきたのは全てそうだ。
今現在、反対側で開放的な露天風呂を堪能しながら沈みゆく夕日を眺めながら盛り上がっている二人と、如何わしい衝動を抑えているであろう一人の竜人が入っているのは紛うことなき天然温泉。
俺が入っているのは、景色は素晴らしいが…その湯を引き込んで温め直した物だ。
それはいい。別に温泉マニアでもないのだから湯であれば問題ない。
問題が有るとすれば…湯船に片手を突っ込んだ状態で明かりの魔法の下で本を読みながら、たまに「湯加減はどうだい?」とか訪ねてくるメス熊の存在だ。一人では有るが、プラス一匹…しかも意思疎通のできる相手とあってはくつろげない。
時折、器用に片手でページを捲ったり戻ったりしながら、水路を伝って流れ込んでくる冷めた温泉を温めなおしてくれているのは感謝しかないが…せめて居るなら会話でも…と思っていると、
クマ「…落ち着かないかい?
でもぼくが照らしていないと、流石に真っ暗になっちゃうからね…。
それでも良ければ出ていくけど…。」
うわ、それは困る。
俺「いやいや、居てください。お願いします!
…てか、ずっと気になってたんだけど…心…読めるのか?」
クマは少し間を置いた後、そっと本を閉じて窓の外に目をやり答える。
クマ「そうだね。今は何となくわかる…くらいまで魔力も減ってるんだけどね。
…人間だった頃はね、もっとハッキリいろんな声が聞こえてね、
この森に入り浸るようになったのもそれが原因なんだよ。
…そんな中で…あの人に遭ったんだ…。」
ロミオの方だろう。
俺「…そんなに心の中まで清らかな人だったのか?」
すると突然本を放り出して大きな声で笑い出すクマ…そこから暫く顔を背けたままで語りだす。
クマ「…ははは!逆だよ、逆!
煩悩の固まりさ!
『いい女がこんな危険な山奥に一人で?俺はツイてるぜ!』とか、
『あっちの村の女っぽいから後始末に困るかも…』とか…
正真正銘本物のクズだったよ。
でもね…それが口に出したのと心で思ってた事と全く同じでね…。
良くも悪くも正直な人だって…ぼくの方から興味を持ったんだよ。
人の汚さなんて存分に知っていたから、こちらから誘惑してやってね…。
あの日々は本当に楽しかったなぁ…。
駆け落ちの夜にね…嘘が付けないあの人が初めて嘘をついたんだ…。
『いつまでも一緒に居てやるぜ!』ってね…。
…誰も悪くない。足を滑らせての滑落死。滑稽だよね…。」
…居た堪れないな。もちろんサクッと語ってくれたが、もっともっと多くのことがあって、行き着いた今であろう。日中に聞いた中にもヒントは大いに有る。
ただ…このクマは基本的に人間の事は好きなのだろう。
いや、好きでいたいのだろうか?
自分をこのような状況に追いやった二つの村を見守り続ける妖精。
人の心が読めたりしなければ、それぞれの事情を鑑みることなく破壊衝動に身を預けていてもおかしくはない程度には悲劇のヒロインの資格をしっかりと持っている。
少なく見積もって500年以上。
ちなみに、以前疑問に思ってから旅の中で知り得た情報としては、月や年の概念もあちらからの影響で定着しているのだが、この辺の地方では1年が18ヶ月との事だ。
この辺の地方だと言った。すなわち別の地方では違うということだ。年齢なんてものもあてにはならず、見た目で判断するしかない。
もはやこの世界の形すら謎である。まさか象や亀に支えられたアレでは無いとは思うが…。
日が昇り、沈む。それすら精霊たちが様々な世界を模倣して作り上げたものだ。
この世界は、そういう世界だ。
クマが持ってしまった人の心が聞こえる能力も…たまたま精霊が落とした小石に躓いた程度の事で身についてしまったのだろう。
クマ「まあ、そんな感じだね。いい線ついているとは思うよ。君はよく考えるね…。
とても興味深い♪」
俺「…だから勝手に心を読むなよ…。
とてつもなく卑猥な想像を繰り広げてやろうか?
お前が人の姿に戻って俺達全員に弄ばれるのだ!」
…まんざらでもなさそうにするんじゃない…。
クマ「まあ、君はまだこちらに来て日も浅いようだから困ることもあるだろうね。
とにかくデタラメな世界だと思っておくことを進めるよ。
いつか出会う事が有るかも無いかもだけど、違う大陸もあってね…。
それぞれの場所で精霊の好みも違うのさ。
もちろん言語も文化も変わってくる。
君達の世界だっていろいろあったんだろう?
この大陸は君達みたいなのが好きな精霊のテリトリーだから言葉も通じる。」
ああ…なるほど…。俺達みたいなのばかりだから技術の発展も無く、いわゆるテンプレな異世界で大冒険な世界を留めている訳か…。
それでも、この世界に生み出された人々は営みを続ける。
この雰囲気を壊さない為のバランサーがどこかに存在するのか?
クマ「するよ。」
読むな!
クマ「でもね…いつかわかるよ。きっと。
多分それは、君の元の世界にも存在していたはずさ。
進めたり留めたり…たまには巻き戻したり。
世界も時間も、くるくるくるくる回るのさ♪」
くるくる回る…そうだな…。回る、回っている…俺の目も…。
クマ「…あれ?ちょっと!大丈夫かい?!」
長く湯につかり過ぎた…いつの間にかのぼせたようだ。意識はハッキリしているが…身体が重い。
湯船から引き上げられ、ひんやりとした床に横たえられた俺はクマの膝を枕にして窓の外の月を見上げている。
俺「…なあクマ、あの月も精霊が作った飾りなのか?」
クマ「…どうなんだろうね…。
空の先に行ったことのある冒険者に聞かないとわからないよ。
でも…君達の世界の宇宙や天体の概念には興味を惹かれるね。
しかも、そこまで観測していても、その先が未知だなんて…。」
そうだ…自分が元いた世界の成り立ちすらも俺は知らない。
壮大な宇宙の果てに思いを馳せながらも、自分の足元すらも見えて居なかった。
この世界の事はもう少し興味を持って知っていこう。
みんなと一緒に知っていこう。
エイナに沢山の景色を見せる。それが俺に与えられたクルセイト王からの依頼だ。
立派に成長したエイナを連れて帰り、あの腐ったメイドさん達をガッカリさせてやるのだ!
そして…大きく輝く満月の前を、大きなクジラが悠々と横切っていく。
…全く…宇宙や天体の概念どころじゃないだろう…。
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