第25話 文才と時間が無い私が、本を出版できる?

 安西さんの体験に基づくアドバイスに、自信が湧いてきた私は、ビールを一気に飲みほして、安西さんが私へ頼みごとがある、という話を思いだした。


「安西さんのアドバイスで、私の悩みはほぼ解決しました。今度は私が安西さんのお役に立てれば、と思います。頼みごとって何ですか?」


「ぶしつけな頼みごとだから、言いにくいんだけど、結論から言うと、俺と共著で本を出版しよう、というお願いです」


「えー、私が本を出版するですって? 私なんかに本は書けないですよ。

 だって、本を書く実績も無いし、文才も無いし。もし、実績と文才があるとしても、今の私は子育てカフェの立ち上げに集中したいから、申し訳ないですけど、本を書く時間も無いです」


「うん、予想どおりの返事だから、大丈夫な理由を即答できるよ。山口さんは本を書くのに、実績・文才・時間の3つが無い、と言ったね。

 実績は子育てカフェが来月のグランドオープン以降うまく立ち上がるか、ってことだよね。マスコミ報道や山口さんから今日きいた話から判断すると、うまく立ち上がるはずだよ。私も微力ながら、ヤッホーのネットニュースによる情報発信や日本イクメン協会との協働でサポートさせてもらうよ。

 次に、文才と時間は無くても、本は出版できます」


「えー、文才と時間が無い私が、本を書くことができるんですか?」


「本を書く、ということと、本を出版する、ということは意味が微妙に違います。今回の本は、書く、のではなく、出版です。だから、文才と時間が無くても、本を出版できるよ。

 今回の本は、私との対談をもう何回か重ねて、対談内容を編集者が纏める形を予定しています。だから、山口さんは文章を書く必要が無い。つまり、文才は全く不要です。次に、出版までに要する時間は、全部で15時間くらいかな。

 時間の内訳は、対談が今日も含めて3~4回、あとは編集者が纏めた文章の校正だけ。校正って、編集者が書いた内容を修正する作業のことだけど、もし校正を俺に任せてくれるなら、山口さんはあと2~3回、私と対談してくれるだけで本は完成します」


「言われてみれば、最近の本って、対談を編集者が纏めただけの手抜き本が多くて、その理由が今わかりました」


「そう。対談を纏めただけの手抜き本は、著者と編集者は本を作るのが楽チン。読者は深く考えずに本を読み流せばいいだけだから楽チン。

 手抜き本が増えた理由は、作り手側が楽をしたいというよりも、実は読者側の変化が大きいんだ。今は昔と違って、考えないと分からない難しい内容の教科書的な本は売れない。今、最も売れる本は今、話題の渦中にいる有名人による対談本なんだ」


「確かに、そうですね。私はこの半年ほど、子育てカフェの立ち上げにヒントが欲しくて、本屋へ毎週のように通いました。本屋の目立つ棚には、話題の渦中にいる有名人による対談本ばかりで、がっかりしました。だって、起業と働き方改革の実践に役立つ本が、本屋にほとんど無かったんですよ。だから、しかたなく経営の教科書本を読み漁りました」


「今回、私と山口さんが出す本は、まさにそこを狙っています。つまり、起業と働き方改革を実践する渦中にいる山口さんの体験や理念を、私が聞き出して、昔との違いを浮き彫りにする」


「私の体験や理念で、本が売れますかね? 安西さんが私を評価してくれるのは嬉しいのですが、出版社が私なんかの対談本を出版する気にならないのではないですか?」


「いや、ある出版社は既に山口さんの本を出版する気でいます。実は先日、ある出版社の編集者と私が雑談したとき、その編集者から、山口さんの起業が成功確実になったら、起業と働き方改革の実践に役立つ本を山口さんに書いてもらいたい、という話を聞いた。そこで私は今日の話を編集者に提案して、了承を得ています。つまり、山口さんのような若い起業家は、たぶん文才と時間が無い。私との対談を纏める手抜き本という形で、起業と働き方改革の実践に役立つ本を半年後の9月に出版する、という予定で了承を得ています」


「えー、子育てカフェのグランドオープン前から、本を出す出版社とスケジュールまで内定しているんですか?」


「優秀な人は、このように先を読んで企画を立案します。

一方、普通の凡人は、山口さんがグランドオープンから数カ月後に起業の成功が確実になった段階で企画を立案します。私の予想では、グランドオープンから数カ月後の6月あたりに、複数の凡人な編集者が、山口さんへ本を出しましょう、というオファーを出すと思います。もし私が6月に企画して、この複数の中の一人にすぎなかったら、私は山口さんから選んでもらえないでしょう。でも、今なら競争相手がいないから、本を協働で出版するパートナーとして、私は選んでもらえる可能性が高い」


「安西さん、さすがですね。競争を避ける安西さんの戦略は、ブルーオーシャン戦略って言うんですよね? 他人が成功したことを確認した後に、みんなが他人の成功例をそっくり真似する二番煎じは競争相手が多いから価格競争になる上、顧客は二番煎じには共感しなから、売れない。

 これを、レッドオーシャン戦略と言う。成功するには、安西さんが言うように、先を読んで、まだ誰も行動していない時期・方法で挑戦してみる。前例が無い企画だから、役所や大企業では潰される場合が多い。だからこそ、個人の起業が成功する余地が大きい」


「山口さんの今の話は、経営学の教科書に書かれている通りの説明で、理論としては正しい。でも、学者が書く教科書本は理論を小難しく書いてあるだけで、実践の話が書かれていない。こういう理論だけの教科書本は今、売れない。そんな中、山口さんの昨年後半から今年前半にかけての実践は、価値が高い。新規性や話題性も高いから、本は絶対に売れるよ。同じ実践者でも、山口さんは今をときめく未来の人。一方、俺のように過去に成功した人は価値が低い、話題性も低い。でも、新旧をかけあわせると、古いものにも価値が創造されるし、新しいものの価値も更に高まる。今回の対談本は、この新旧かけあわせ論も訴求したいな」


「安西さんの話を聞いていて私は今日、多くの気づきや発見がありました。ということは、私たちの対談本は、読者にも多くの示唆を与えるのでしょうね。本の内容や校正など、安西さんにお任せします」


「今の返事で、本を共著で出版しよう、という私の頼みごとに、概ね了承してもらえた、ということで、最後に印税などお金の話をしましょう。

 お金の話は最初に決めておかないと、後で揉めるね。印税は対談本の場合、折半が一般的です。もし、校正を私が任されて全て行う場合でも、折半という比率のままで行きましょう」


「折半で結構です。校正は最後に1回だけ目を通すくらいで、それ以前は安西さんにお任せします。質問ですが、印税って、本が売れた対価のことですよね。本の定価に対して、どれくらい貰えるのですか?」


「印税が本の定価に対して、どれくらい貰えるかを、印税率と言います。印税率は、本が売れていた昔は10%が最低保障というのが一般的で、有名人の場合は12%とか、15%という例もありました。

 でも、今は出版不況で、最低保障は5~8%にまで下がっています。印税率の減少は、対談お手抜き本が増えた理由の一つです。

 例えば、半年ほど時間をかけて書いた本の定価が1500円、初版2000冊、印税率5%の場合、印税は僅か15万円です。印税という収入が15万円と安ければ、半年ほど時間をかけてでも本を書きたい、という有名人は、ほとんどいないはずです。すると、本を書きたい人は無名な人ばかり、有名人は対談お手抜き本なら出版しても良い、という風潮ができあがる。今回の私たちの本は、初版が8%、増刷以降は10%です。これは最近の標準値のようです」


「印税15万円のケースで、私の印税を計算すると、8%の折半だから、12万円ですね。対談3回と校正の最後だけ、という関わり方の出版なら、上出来です」

「いや、俺はその15倍を狙っている。つまり、3万冊。山口さんの実践を本にすれば、3万冊くらいは売れると思うんだ。その目安が明日、少しだけ明らかになる」


「明日って、どういうことですか?」

「明日の午後には今日の対談が、ヤッホー・トピックスに掲載されて、多くのネットニュースに配信される。この反響の大きさで、本が売れる目安が少しだけ予測できる。あっ、そうだ。そのヤッホー・トピックスの校正で今から会社へ戻らないといけないんだった。山口さん、今日はどうも、ありがとう。俺たちは誰にも話せない秘密を2人だけで共有する仲って、さっき言ったけど、それは社交辞令でなく、俺は本気でそう思っている。だから、何か困ったことができたら、いつでも何でも遠慮なく俺に相談してよ」


「ありがとうございます。そうさせて頂きます」

「あっ、そうそう。今日は、美味しいビールとチーズ、ごちそうさまでした。今お金を払ってもいいんだけど、今日はごちそうになることにして、次回の対談は俺がごちそうするってことで宜しいですか?」


「勿論それで結構です。次回も宜しくお願い致します」

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