第9話

うとうとしてたら目が覚めて。

寝なくちゃって思って目をつぶったら少し眠って。

また少ししたら目が覚めて。

そんな感じで練習の時間になった。


でも、わたしとお向かいにはまだお呼びがかからない。

わたしたちは今日レースだから。

みんなが練習に行くのを見送りしてるだけ。

仕方ない。これがレースに行くってことだもの。

みんなはみんな。わたしはわたし。

そう思って部屋から外を見てた。


そうしてるうちに、厩務員さんがやって来て、わたしに支度をしてくれる。

脚にヒラヒラの布を巻いてくれて、顔にもメンコをかぶせてくれる。

そして、頭絡をつけてハミも噛ませてくれる。

ここに来てから、わたしも自分でつける道具のことは勉強したんだ。

自分でつけられないけどね。


全部つけたら、厩務員さんが外に出してくれる。

「そろそろ行くのかい?頑張っといで」

猫さんが声をかけてくれる。

「はい。頑張って来ます」

厩舎にいた馬たちも、口々に「頑張ってねー」とか「本場の連中に負けんなよー」って言ってくれる。

「ありがとう。頑張って来るね」

そう言って、厩舎を出た。


栗毛の仔の後ろについて歩いてると、乗って行く車が見えた。

少しだけ緊張するなぁ。

最初に栗毛の仔が車に乗って、次にわたし。

「あれー?ファニーもこの車で行くの?」

車の前の方からブライトくんの声がした。

「なぁに?わたしが行っちゃダメなの?」

わざと軽く威嚇してみる。

「ファニーとおんなじレースに出るから、ち、違う車で行くのかと思ってたんだよ」

ブライトくん、声が震えてる。

たぶん、わたしのせいじゃないよね。

そこまで威嚇してないもん。

「ボクは出るレース違うから関係ないもんねー。でもみんなお腹空かないの?」

栗毛の仔が緊張感のまるでない声で言う。一度でもレース経験してると違うのかなぁ。

「早くレース終わっておいしいご飯お腹いっぱい食べたいよー」

……たぶん、レースよりご飯の方が大事なんだろうな。

そういうのも悪くないのかも。


そのうちに車が走り出した。

小さな窓から外が見える。

あまり天気は良くないみたい。

お天気の下で走りたいけど、こればっかりは仕方ない。

この間の試験のときみたいな泥んこじゃなきゃいいかな。

そう言えば、アナモリちゃんどうしてるかな。

川崎ってとこで頑張ってるのかな。

わたしより小さい仔だからなぁ……。

他の連中も、もうレースに出てるのかなぁ。

あいつらうるさいだけの連中には負けたくないな。

どこで走っても、わたしが一番速いんだって見せてかないと。

そう思ったら、天気の悪いのは気にならなくなってた。


車が停まって、扉が開いた。

大井の競馬場に着いたみたい。

車から降ろされて部屋をもらう。

周りを見れば知らない顔ばかり。きっと本場の馬たちなんだろう。

こいつらには絶対負けてやんねぇ……。

気合が入ってきた。


厩務員さんと先生がやってきた。

一緒にいるのは、試験のときに背中に乗ってた人だ。

何か話をして、わたしの背中に鞍を乗せる。

そうして腹帯を締めてくれる。

これでいつでも走れるね。

早く走らせてほしいなあ。

でも、その前にやることがあるんだって。

この間の試験でもやったから覚えてる。

パドックってとこでしばらく歩くんだよね。

で、そろそろそのパドックに出る時間。

装備はバッチリ決まってるし、気合は十分。

厩務員さんが「さあ行こうか」って言って、外に出してくれた。


出てみたらびっくり。

試験のときには誰もいなかったのに、今日はパドックの周りにたくさんの人がいる。

そして、歩いてると「ファニー頑張れー」って声が聞こえる。

なんだか嬉しい。

でも、他の馬がたくさんの人間を見て怖がりだした。

「イヤー!無理無理!怖いよー!」

そう言って一頭が騒ぐ。すぐに人間に止められるけど、それを見た周りの馬も騒ぎ出す。

ブライトくんも「ボクも怖くなってきたぁ」って言ってる。

「……ったくもう、うっさいなぁ!」

そう言ってその場で蹴り飛ばしてやろうかって思ったけど、厩務員さんに止められた。

なんでー。もー。

だいぶ腹が立ってるのが自分でもわかる。

そんな中でも、一頭だけすましてるのがいる。

騒いでるのを横目にフフンと鼻で笑ってる。

それを見たら、余計に腹が立ってきた。

こいつにだけは負けたくない。


そうしてるうちに、試験と同じように背中に人間が乗った。

先生もやってきて、背中の人と何かお話してる。

そのうち、パドックからコースに出る時間になったみたいで、厩務員さんがわたしを薄暗い方に連れて行く。

もちろん、わたしだけじゃなくて他の馬もみんな一緒に。


コースに出たら、外側にたくさんの人。

でも、練習と同じように厩務員さんはすぐ引き綱を離してくれた。

同時に、背中の人が行くよって合図をくれたから、わたしは走り出した。

そうして、コース脇の屋根のあるところに行ってって言われる。


中に入ってしばらくすると、他の馬たちも集まって来て、みんなで歩く。

歩いてるうちに、みんな落ち着いたみたい。

わたしはパドックで澄ましてた馬を歩きながらずっと見てた。

威嚇してやろうかと思ったけど、やったら怒られそうだし。

おとなしくしてた。


合図があったみたいで、みんなゲートの前まで歩く。

そうして、一頭ずつ順番にゲートに入ってく。

わたしも入った。狭くて嫌だけど、開いたらすぐに出たらいい。

澄ましてた馬はわたしの隣の隣にいるみたい。

あいつより先に出てやる……。


ガシャン。

大きな音がしてゲートが開いた。

思い切って飛び出したら、前に澄ましてたのがいる。

てめぇ、さっきからうぜえんだ。

ぶっちぎってやっから覚悟しろ!

カーブの入り口で仕掛けた。


でも、なかなか先に出られない。

差が詰まらない。

負けてやんねえってんだろこらぁ!

思いっきりスパートしたのに、前に出られない。

だんだん苦しくなってきた。

なのに前のはスピードが下がらない。

そうしてるうちに後ろから別なのにも交わされた。

背中の人がもういいよって合図をくれたときには、前に二頭いた。

わたし、負けちゃった……。


コースの出口まで来たら、厩務員さんが待っててくれた。

「よく頑張ったな」って言いながら引き綱をつけてくれる。

そうして、洗い場で身体を洗ってくれた。

洗ってもらいながら、さっきのレースを思い出す。

誰にも負けないって思ってたのに。

ちくしょう……。

悔しくて何度も頭を振った。

そのたびに厩務員さんはよしよしってなだめてくれる。

でも、いくらなだめてもらっても悔しいのは消えない。

あー、あの時威嚇しときゃ良かった……。


部屋に戻されて一息ついたら、帰りの車に乗る時間がやってきた。

帰りもブライトくんや栗毛の仔たちと一緒。

栗毛の仔もレースじゃさんざんだったみたい。

負けて悔しいのとお腹が空いたので、帰りはみんな無言。

すっかり暗くなってから厩舎に戻った。


「ただいま。負けちゃいました」

そう言いながら戻ると、グレイシーさんが「お疲れさん。次勝てるように練習しなきゃだな」って言ってくれる。

栗毛の仔は部屋に戻るなり「ボクのご飯まだー?」って言ってる。

あまり悔しいとかないのかなぁ。

わたしが悔しがってるだけなのかなぁ。

なんか不思議。


ご飯が運ばれてきた。

まだ悔しいけどお腹も空いた。

少しずつ口に運ぶ。

あんまりおいしくないのは、きっと悔しいから。

明日からまた練習頑張らなくちゃ。

今度こそ、あの澄ました奴をぶっちぎるために。


うん。頑張らなくちゃ。

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