今日のファニー
@nozeki
第1話
育成牧場の一角。
厩舎では調教を終えた2歳馬たちがご飯の真っ最中。
男の子たちはがっついて食べてるだけなんだけど、女の子たちはご飯中もおしゃべりに余念がない。
毎日練習してるだけなのに、よく話の種が尽きないなあと思う。
もちろん、人間には聞こえないのだけれど、賑やかなのは変わりない。
わたしも女の子だけど、どちらかと言えば静かに食べたいかなぁ。
「そういえば、みんな行き先は決まった?」
大柄な鹿毛の仔がこんな事を言いだした。
「わたしは中央の栗東ってとこなんだって。車に乗る時間が長いって聞いて今からがっかりよ」
そんな事を言いながら、彼女はため息をひとつついた。
「あたしも中央だけど美浦ってとこなんだってー。ここから近いって聞いたよー」
黒鹿毛に大きな流星のある仔はそう言って嬉しそうに笑う。
どこに行っても走る事には変わりないのになぁ。
わたしはそう思いながらご飯を食べてた。
「ねぇねぇ、ファニーちゃんはどこに行くか決まったの?」
芦毛の小柄な仔が声を掛けてきた。この仔はわたしと一緒にセリというところに行ってて、それ以来何度か話をしたことがある。
「アナモリちゃんやめなよ。あの仔おっかないんだからさぁ」
大柄な鹿毛が言う。黒鹿毛の仔も「あたしも走ってたらあの仔に『どけよ!』って脅かされたもん」と同調する。
ったく、あんた達がフラフラ走ってて危ないから注意しただけじゃん……。
それでも、アナモリちゃんは「ファニーちゃんはおっかなくないよ。ねー」と言ってくれる。
しょうがないなぁ……。
「……大井だって。ここからも遠くないみたいだよ」
そう答えると、彼女は「わたしは川崎だって聞いたよ。川崎と大井はすぐ近くなんだって。いつか一緒のレースに出られたらいいねー」と嬉しそうだ。
そうだねぇ……。
仲良しこよしで走るつもりはないけどさ。
でも、それで彼女が喜んでくれるならそれでもいいかなって思った。
行き先の決まった馬は、受け入れ先の支度が出来たら迎えが来る。
鹿毛の仔も黒鹿毛の仔も中央とやらに行っちゃったし、アナモリちゃんも川崎へと旅立った。
そうして、わたしにも迎えの車がやってきた。
見送りは練習に付き合ってくれた人間達だけ。
でも、それでいいと思った。
どこに行ってもわたしは走るだけだもの。
走るのは大好き。
走ってる時はなんだか自由でいられる気がする。
背中の人間の言うことは聞かなきゃいけないけど、走ってる時だけが自分らしくいられる気もする。
他の仔と違って口下手だし、愛想もいい方じゃない。
だから、わたしは走るだけでいい。
車に揺られて、ようやく降ろされた。
着いたところは自然がいっぱいあって、なんだか今までいた育成牧場にも似てる気がする。
とりあえず人間に連れられて部屋に入る。
でも、ここが大井の競馬場なのかな?
「ここは競馬場じゃないよー。ボクらの生活する場所で、練習する場所なんだよー」
向かいの部屋にいた栗毛の馬が声を掛けてきた。
もしかして聞かれてたのかな。失敗したなぁ……。
「ここは小林のトレセンって呼ばれてる。競馬場にはここから車に乗って行くんだ」
ここじゃないのかぁ。少しだけがっかりした。
「競馬場はもっと広くて大きくて、馬も人間もいっぱいいてね。すごく興奮するところなんだよー。もうね、思い出しただけでもすごーく興奮してき……」
お向かいさんはひとりでテンション上がって来たところで、人間に「こらっ!」と怒られてる。
「まったくあいつはいつまで経ってもやんちゃ坊主だなあ」
隣の部屋から声がした。ずいぶんと落ち着いた感じがする。
「ボクはグレイシー。向かいにいるやんちゃ坊主はヤンチャって呼ばれてるよ」
隣の声が教えてくれる。グレイシーさんありがとう。
「ヤンチャは見てて飽きないくらいだけど、お向かいだと大変かもしれないよ?」
うるさい馬は育成牧場にもいたし、元気が有り余ってる男の子も何頭も見てきてる。
「大丈夫。たぶん慣れると思う」と答えた。
「そうか。ところで先生にはもう会ったかな?」
先生?
「そこで見てる人間が先生だよー。ボクたちが勝てるように色々考えてくれるえらい人なんだよー」
そう言いながらヤンチャさんが顔を向けた先に、先生と呼ばれる人間がいる。
ずいぶんと真剣な顔してこっちを見てる。
育成牧場で先生って呼ばれてた人間たちよりはずいぶんと若そうに見えるんだけどな。
「キミの部屋の壁をね、先生が昨日色を塗ってくれてたんだよー。ボクたちの部屋とは大違いさ」
壁の色なんかどうだって良かったんだけど。でもありがたいなあって思った。
「ところでキミの名前はファニーって言うの?先生たちがそう呼んでたよー」
ヤンチャさんに言われてあっと思った。まだわたし自己紹介してないや。
「ファニーフラッシュです。よろしく」
そう言ったら、お向かいからも隣からも、厩舎じゅうから「よろしくねー」って声がした。
部屋は入り口から近くて、風がよく通る。
まだ見たことのない大井の競馬場。
どんなところなんだろう。
ここのこともまだよくわからないけど、競馬場もここも、少なくとも悪いところじゃなさそうだ。
そんなことを思いながら、少し横になった。
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