2-10 妖精族
すでに半分ほど地平線に隠れた太陽が、立ち並ぶ人々の横顔を紅く照らす。
とにかく、人の数が多い。人前に立つ事には慣れていたはずのアルバトロスですらその程度にしか推し量れないくらいの人数が所狭しと立ち並び、二段ほど積み重ねられた舞台の上に目的の人物が姿を現すのを、今か今かと待ち望んでいた。
「これほど人が集まるとは。正直少し驚いたな」
白髪に純白のローブ、巨大な樫の木の杖を携えた大魔術師の姿のアルバトロスが、しかし張りのない素の声で小さく呟く。
「普段はこういう式典みたいなのにはあんまり集まんないんだけどね。アルバを生で見たいって人が多いんじゃない? いいなー、人気者で」
隣に立つアンナもまた、皺一つない黒の背広に白の手袋の護衛姿ではあるが、取り繕うでもない素の口調で言葉を返す。
舞台裏は民衆から完全に死角であり、周囲の護衛も話の内容が聞こえるほどの距離にはいない。念を入れて式の開始よりも大分早めに会場に足を運んだ二人にとって、暇を潰すための会話に気を遣わなくていい事は大きな利点だった。
「時に、この式典で俺は何をすればいい? 演説の一つも用意してはいないが」
「あれ、言ってなかったっけ? スケジュール通りだと、軽く挨拶してくれれば、後は座ってるだけで大丈夫みたいだけど。台本もこっちで作ったから、アルバはわざわざ考えなくてもそれを読むだけでいいってさ」
胸、脇腹、腰、尻、とポケットを片っ端からまさぐったアンナは、最終的に背広の内ポケットから一枚の折り畳まれた紙片を取り出すと、アルバトロスへと手渡す。
「……随分と簡潔だな。これくらいならば覚える手間もいらない」
「まぁ、転生されたばっかりでペラペラ喋っても逆に不自然だし。アルバも堂々としてればそれだけで結構凄そうに見えるから、心配しなくても平気じゃない?」
楽観的に笑いながら、裏返ったポケットと背広の皺を戻すのに四苦八苦。
「俺としても楽なのに越した事はないが、しかしそうなると一層退屈だな」
「うーん、まぁね。式が始まったら始まったでまた終わるの待ってるだけだし、あと二時間半くらいは耐える事になるんだよねー」
時計を眺め、二人共に小さく溜息。
それが境目かのように、会話は自然と途切れてしまう。
「……ん、あれは」
やがて、何の気無く視線をさまよわせていたアルバトロスが小さく呟いた声に、アンナもその視線の先へと目を向ける。
「なになに? ……ああ、あれね」
好奇心を前面に出したアンナの声のトーンが、しかし対象を発見した途端に一段下がる。
「何もこんな式典にまで連れ出して来る事ないのに。アルバ自身の事も相当脚色してるんだから、その辺だっていくらでも取り繕えるでしょ」
「メサを知っているのか? いや、嫌っているのか、と聞くべきか」
アンナの印象からはほど遠い、どこか昏い感情の籠った声は、視線の先にいる黒装束を身に纏った妖精族の少女に向けて吐き捨てられたものだった。
「メサ? ああ、そんな名前だったっけ。一々名前なんて覚えてないけど、あれの事は好きじゃないね」
「それは、何故だ?」
「それは言わせないでよ。アルバだって、大体はわかるでしょ?」
「まぁ、答えたくないなら無理強いはしない」
棘のあるアンナの言葉に、アルバトロスはただ無表情に頷くのみ。
「ただ、メサが式典に連れ出された理由とやらについては聞かせてもらおう」
「そんなの、それこそ……いや、アルバは知らないんだっけ」
早口でまくし立てようとしたアンナは、だがその途中で言葉を止める。
「あれは、アルバを転生させた転生術の術者なの。正確には転生術は準備とか含めると結構な人数が関わったんだけど、その中でも直接の術者はあれ一人」
「……なるほど。それなら、たしかにこの場には相応しいだろうな」
アルバトロスと初めて顔を合わせた時、メサは治療係を自称していた。それも嘘というわけではないのだろうが、結果としてアルバトロスはメサが自身を転生した張本人である事を今になってようやく知る事となっていた。
「別に、馬鹿正直に術者を公表する必要もないんだけどね。転生術を成功させたのが妖精族だなんて事、知られない方がいいと思うんだけど」
「差別意識、か」
この時代において、妖精族という種族はいわゆる迫害を受けている。
アルバトロスの生きた時代ではむしろその逆であり、強力で独自の魔術を有していた妖精族は、直接の繋がりこそ希薄なものの、人族よりも上位の存在として扱われるような種族だった。
ただ、その関係は人族の魔術の発展と共に完全に逆転したらしい。今でも種族独自の魔術を持つ妖精族は、だが数に勝る人族と争い勝てるわけでもなく、むしろその魔術を危険視され、主に隔離されていた。
「あー、一応言っておくと、私は妖精族が嫌いなわけじゃないよ。私はあれが個人的に嫌いなだけで、今のは単なる一般論」
「だろうな」
「だろうな……って」
アンナが軽く視線を尖らせるも、アルバトロスにそれを気に留める様子はない。
「やっぱり、気になる?」
「そうだな。メサ個人もそうだが、少し聞きたい事はある」
「だよね。まぁ、仕方ないか。じゃあ――」
「だが、今は声をかけるのはやめておこう」
妖精族の少女へと一歩を踏み出しかけたアンナは、アルバトロスの言葉で止まる。
「いや、私に気なんて使わなくていいよ。直接話すわけでもないし、ただ後ろで護衛してるだけだから」
「お前のためではない。ただ、今は機が悪いというだけの事だ」
「……そう? それならいいけど」
努めて気にしない素振りを見せながらも、アンナの声には安堵の色があった。
「もしかして、アルバ、あの子を口説こうとか思ってた? だから、私が一緒だと邪魔だとか」
「まさか。俺はメサに対して特別な感情があるわけではない。人間として、妖精として個人的な印象を覚えるほど接しているわけでもないからな」
「えー、嘘だーっ。私の事は『お前』で、あの子の事は名前で呼んでるくせに」
先程とは一転して、アンナは常の調子に戻り、からかうような笑みを浮かべていた。
「それはメサがこの場において第三者だからだろう。難癖をつけるな」
「じゃあ、他の人と話す時は『うちのアンナがかわいくってさー、もう毎晩毎晩困っちゃうよ』とか言うわけ?」
「護衛として四六時中傍にいる以上、そんな機会は無いだろうな」
「やっぱり、結局名前で呼んでくれないんじゃん!」
うぅ、と唸るアンナを真正面に見て、アルバトロスは口元を緩める。
「ところで、式が始まる前に用を足しておきたいんだが」
「あー、トイレ? それじゃあ、一緒に行こっか。あの子と話してるの見てるより、アルバが出してるの後ろで見てる方がマシだし」
「……冗談なのかどうかわからない発言は、こっちも返しに困るな」
笑いながら歩き出したアンナに並び、アルバトロスはゆっくりと歩を進めていった。
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