1-3 二度目の目覚め
「……ここ、は?」
アルバトロスが目を覚ましたのは、壁も天井も床も、全てが白い部屋。
それが現代における病室だという事は、なぜだか知識として知ってはいたが、それでも実際に目にするのは初めての眺めにしばし思考が固まる。
「あ……その、目を覚まされましたか?」
そんなアルバトロスの視界をわずか、ほんのわずかに銀色の髪が掠めた。
「妖精族、か」
「ぁ、あぅ……」
髪を追ったアルバトロスの視線が捉えたのは、小柄な妖精族の少女の姿。透き通るような白い肌に輝く銀色の髪、そして尖った耳はアルバトロスの知る妖精族の姿に相違ない。「ああ、怖がらなくていい。我の、いや、俺の時代では妖精族への差別意識どころか、そもそもまともな繋がりすら無かっ……」
妖精族の少女の頭を撫でようとアルバは手を伸ばすが、胸部に感じた違和感にその動きが止まる。
「あぁっ! その、大丈夫、ですか?」
「大丈夫だ、もうほとんど傷口は塞がってる。後は時間の問題だろうな」
近づいて来た妖精族の少女、その頭にアルバトロスは今度こそ手を乗せる。
「ありがとう、この傷の治療も君がやってくれたんだろう?」
「えっ、と、それが私のお仕事なので……」
褒められる事に慣れていないのか、真っ赤になった顔を背ける少女の頭を撫で続ける。
「ところで、君の年齢を聞いてもいいか? 何分妖精族の年はわかり辛い」
アルバトロスのかつて生きた時代と比べて、現代では人間の寿命も大分伸びてはいるらしい。だが、それでも妖精族の長寿には及ぶべくもない。少女に見える目の前の妖精族が齢にして百を超えていたとしても何も不思議ではなかった。
「え、と、人族の数え年では百と十六、になります」
そして、アルバトロスの懸念は全くもって的を射ていた。
「それは……やはり、長寿の種族の外見は当てにならないな」
告げられた少女の年齢に驚きを見せながらも、頭を撫でる手は止まらない。
「もっとも、今の俺はある意味では人間の数え年で千を超えている事になるわけだ。今更年齢など気にするものでもないか」
口元だけで笑うアルバトロスに、少女は戸惑ったように視線を彷徨わせる。
「何か気になるか?」
「ぇ、い、いえ、そんな! 何も、無いです……」
言葉と裏腹に落ち着きの無い少女の様子に、アルバトロスはすぐに一つの答えを出す。
「ああ、転生された時と印象が違う事か? 当然だがあれは芝居で、これが本来の俺の口調だ。普段から『我』なんて一人称の奴がいるわけもないだろう?」
「ぃ、いえ、そうじゃ、なくって、ひゃっ、ぁ」
しかし、アルバトロスの話が終わると同時、妖精族の少女は体を小刻みに震わせ、膝から崩れ落ちてしまった。
「ぅ、うう、すいません……」
「……いや、俺の方こそ悪かった。耳を触るのを止めろと知人の妖精族から言われた事はあったが、つい、な」
アルバトロスの知識が正しければ、妖精族の耳は特に敏感な箇所というわけではない。とは言え、やはりそこは個人差というものか、目の前の妖精族の少女は耳を撫でられる事にまったく耐性が無かったらしい。
「ところで、俺はどのくらいの間寝てた?」
立ち上がり、そのまま無言で視線を送ってくる少女へとアルバトロスは問いかける。
「えっと、アルバトロス卿が転生なされたのが一昨日の深夜二時ちょうどでしたので、およそ一日と更に半日ほどになります」
「そうか、ありがとう。それと、俺の呼び名だが、アルバでいい」
問いの答えを受け取った後、落ち着かない様子でその場に佇む妖精族の少女へと優しく言い聞かせるように言葉を続ける。
「様、卿、さん、その他敬称は好きにしていいが、公の場以外でアルバトロスとまで呼ばれるのは好かない。略称のアルバで呼んでくれ」
「えっ、その、でも……」
慌てたように口籠る少女を横目に、アルバトロスは片足ずつベッドから降りる。
「それと、肝心の君の名前を聞いてなかったな。良ければ教えてほしい」
「メ、メサです……けど、どこに行かれる、のですか?」
包帯と薄い布だけを身に纏った姿で寝かせられていたアルバトロスは、病衣の上から壁に掛けられたローブを羽織ると、杖を手にして病室の扉へと向かっていく。
「メサ、か。何、少しこの時代を見て回るのも悪くないかと思っただけだ」
「ま、待ってください、アルバトロス卿」
しかし、控え目に目の前に立ち塞がったメサを見て、その足が止まった。
「だからアルバと呼んでくれと」
「す、すいません、アルバ、様? その、できればまだここに居て頂けると……」
「そうか、ならそうしよう。わざわざ君に迷惑を掛けたくはない」
今にも泣き出しそうな表情を浮かべるメサを見て、アルバトロスはすんなりとベッドへと戻る。
「すいません……今、人を呼んで来ますので、それまで待っていて頂けますか?」
「そうしろと言うならばそれもやぶさかでは無いが。しかし、いささか退屈ではあるな」
「い、急ぎますので。少しお待ちくださいっ」
ベッドから投げ出した足を揺らすアルバトロス、そして病室の扉を何度か見比べた後、メサは一度だけ頭を下げて駆け足で病室を後にした。
「さて、と」
メサの足音が遠ざかっていったのを確認すると、アルバトロスはローブを傍の椅子の上に脱ぎ捨てベッドに転がる。
「千年、か……」
体を包む布の感触、部屋を照らす照明の明るさ、空を映す窓の透明度、その全てが既知のそれとは明確に違う。そして、なぜだかアルバトロスはそれを驚きもなく受け入れてもいた。その理由を思案しかけるも、すぐに耳に入った扉の叩かれる音に中断される。
「失礼します、アルバトロス卿」
扉の影から現れたのは、先程出ていったばかりの妖精族の少女。その後ろに長身の人影を連れている事から、忘れ物を取りに戻ってきたというわけでもないらしい。
「お初にお目に掛かります、アルバトロス卿。お体の具合はいかがですか?」
「良くはないが別段悪くもない。それより、汝は何だ」
メサの背後から一歩を踏み出した黒髪の男の問いに、アルバトロスは問いを返す。
「これは失礼いたしました。王国騎士団、国王直属の護衛隊隊長を務めさせていただいております、ニグル・フーリア・ケッペルと申します。以後、お見知り置きを」
「護衛隊、か。その長が我に何の用だ? まさか護衛長とやらが直々に我の警護に当たるわけでもあるまい」
深く一礼したままのニグルへと、アルバトロスは続けて問いを投げる。
「たしかに私自ら、というわけにはいきませんが、アルバトロス卿の警護には私などよりもずっと適任な人材を用意しておりますので、ご容赦頂ければと」
「我は用を申せ、と言ったのだが?」
切って捨てるようなアルバトロスの声に、ニグルの横に立つメサが一歩後ずさる。
「これは失礼。私はただ、貴方の現在置かれた状況について説明に来ただけです」
一方のニグルは怯えるでもなく、笑みにすら見える表情で頭を下げた。
「とは言え、転生の術式が十全に機能していれば、私から説明するに足る事などほんのわずかにすぎないと思いますが」
「この頭蓋の中にある記憶の事を言っているのなら、あまり気分のいいものではないな」
「それは、真に申し訳ありません。しかし、一般常識を逐一学習される手間を考えれば、この時代の人間の記憶を継承して頂くのが最も効率が良いかと考えまして」
「……構わない。続けろ」
転生されてから常に、アルバトロスの頭の中にあった違和感。身に覚えのない既視感と手に入れた覚えのない知識は、転生術の副産物であるとニグルは口にしていた。
「私からは此度の転生術の目的、そしてアルバトロス卿の今後について簡単に告げさせて頂くつもりですが、他に何か気になる事などはございますでしょうか?」
「無論、いくらでも。だが、まずは汝の話を聞くとしよう」
急かすように顎で催促の意を示すアルバトロスに、一呼吸置いて話を始める。
「では。すでにお察しかもしれませんが、此度の転生術は簡潔に言えば戦を主目的としたものであり、アルバトロス卿の立ち位置は戦力、そして抑止力ということになります」
特に反応を見せないアルバトロスに、しかし言葉は続いていく。
「アルバトロス卿転生の儀についてはここまで極秘で行ってきましたが、転生術が成功した今では一転してその旨を国内外へと流布する方向へと転換しております。現在交戦している隣国、ウルマへと伝わるのも時間の問題でしょう」
「それをもって抑止力とする、か。隣国とやらが馬鹿正直に信じてくれれば良いがな」
「ええ。ですから今後、アルバトロス卿にはそのために動いて頂こうと考えております」
嘲るような笑みを浮かべていたアルバトロスの口元が、一度大きく歪み、戻る。
「この我が汝らの道具に成り下がるとでも?」
「いえ、ですからここからは交渉です。何もそれほど手間をおかけするつもりもありませんし、それなりの見返り、待遇も用意しております。ただ、私共の提示した行動を取っていただければ、後は常識の範囲で何をしてくださっても構いません」
そういう事で、とニグルは続ける。
「受け入れていただけますね?」
「さもなくば土くれに帰れ、という事か」
呟くような問いに、ニグルはただ薄い笑みを浮かべたまま。
「元より、今の我には自由など持て余す。指図してもらえるというならばむしろ願うところだが、御託よりも当座の行動を示してもらおうか」
「なるほど、仰る通り。しかし、私はあくまで概要のみを伝えに参った身、それは専属の警護の者に任せる事にしてもよろしいでしょうか」
「構わない。が、それならば早々に寄こせ。ここで寝ているのは退屈にすぎる」
「御意に。それでは、私はこれで失礼させていただきます」
深く頭を下げ、ゆっくりと踵を返したニグルが歩み去っていく。
「――この転生術、汝の発案によるものか?」
その背を、低く、だが妙によく通る声が追っていた。
「国の総意、とだけ」
律義に体ごと振り返ったニグルがもう一度一礼して背を返したのと同時、アルバトロスは黄色の瞳を不機嫌そうに薄く細めた。
「……ぃ、っ」
数秒の後、怯えたような短い声が上がったのを耳にして、アルバトロスは顔を上げる。
「ああ、怯えさせたなら悪……」
だが、謝罪の言葉はその中程で不自然に途切れた。
「誰だ?」
代わりに口から出た問いは、見上げるようなメサの視線の先、つい先程までそこにいたニグルと入れ替わるように立っていた、長身の女へ投げられたもの。
「お初にお目に掛かります。本日より貴方様の護衛と身の回りの世話を仰せつかった、国王直属護衛団が一人、アンナ・ホールギスと申します」
完璧な、しかしそれゆえにどこか窮屈そうな印象の一礼をしてみせた女は、そのままの体勢で固まってしまった。
「……いつまで頭を下げている?」
「それは、頭を上げろ、という意味で取ってよろしいでしょうか」
「そうだな、好きにするがいい」
呆れ混じりのアルバトロスの返事を受け、アンナと名乗った女はゆっくりと頭を上げる。
顔にわずか掛かった深紅の前髪をさりげなく払った下、現れた面貌は端的に言って美人と呼ぶにふさわしい女の顔。髪と同じく赤みがかった瞳はやや猫目気味に縦に長く、まっすぐに引き結ばれた、これも鮮やかな赤の唇が生真面目さを形作っていた。
「先の護衛長といい、汝といい、随分と早いものだな」
「アルバトロス卿の処遇は、現在のこの国における最重要案件ですので」
感情の無い、というよりは押し殺したような平坦な声に、アルバトロスはさして興味も無さそうに頷く。
「それで、汝が来た以上、我はこの部屋から出ても構わないな?」
「はい、お体の方に異常が無ければ、当方で用意させて頂いた住居の方へと向かわせて頂こうかと考えております」
「なら、そうさせてもらおう。完治してはいないが、差し当たって問題があるというほどでもない。何より、ここの風景には飽きた」
緩やかに体を起こしたアルバトロスは、続けて病衣の上を脱ごうとするも、すんでのところでその手を止める。
「この時代では、女が男の着替えを眺めるのが常なのか?」
問いというより命令に近い言葉に、アンナが弾かれたように体の向きを変える。アンナから三歩ほど離れたところに立つメサは、すでに背を向けていた。
「さて、それでは仮住まいとやらに向かうとしようか」
ほどなく終わった衣擦れの音、そしてそれを裏付けるアルバトロスの言葉に、赤髪の女と妖精族の少女が同時に振り返る。
「案内させて頂きます。私の横に並ぶように着いて来て下さい」
緩やかな歩調で部屋の外へと向かうアンナ。しかしアルバトロスの足は彼女へと追い付くよりも前で、その動きを止めていた。
「汝は着いては来ないのか?」
「わ、私は……あくまでアルバ、トロス卿の一治療係ですので」
両手を体の前で重ね、二人を見送る体勢を取っていたメサは、予想外の問いにたどたどしく言葉を返す。
「まだお体にどこか問題が?」
「いや、そういうわけではない」
ほんの少し上擦った声で割り込んできたアンナを軽くあしらうと、アルバトロスはもう一度メサへと向き直る。
「では、この場は別れとしよう。またいずれ会う事にはなろうが」
「は、はいっ」
口元と目元に浮かべた笑み、そして別れの言葉に、メサは深く頭を下げて返した。
「待たせた。これより案内を頼む」
「いえ、では向かいましょう」
去っていく後ろ姿が見えなくなるまで、メサは頭を垂れたまま二人を見送っていた。
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