第20話 導く蜜人
夕食から食事は部屋に運ばれ毒が入っていない事を確認したら二人で黙って食べ持ち込んだ本を読む。他の百香がどうやって過ごしているのかは知らないけど俺の部屋に来るのは指導者の仙香だけ。
今日も〝コンコン〟とドアがノックされ悪戯っ子みたいな黒く丸い眼をした仙香が開いたドアから顔を出す。ふふ。
気香を這わせ監視カメラと盗聴器をフリーズさせる。
「本を読んでいても息が詰まりますねぇ。ほほほ。君の特質は便利ですから私の部屋に置かれている機器も壊して頂けませんか?」
「壊したら新しいのを付けにくるでしょ。止めるくらいで調度いいよ」
「そうですねぇ、全く面倒です。ほほほ。最終日ですから一緒に庭でも歩きませんか?」
仙香に誘われ庭に出ても銃を持った警備兵がこれでもかと立っていた。宮廷に落ち着く所なんかない。バラ園の中央なら落ち着くかも?
風もなくジリジリと照りつける太陽とコンクリートの照り返しで暑さマックス。
「犬!」
いつものように襟にぶら下がっていた犬が飛び降りるとシオンが叫んで走り出した。全く……離れるなって言ったでしょ。
シオンは犬を追いかけ俺と仙香はシオンを追って走る。
犬は子犬とは思えぬほどのスピードで宮廷建物前を走り抜け白樺林を抜けると立派な神殿の真ん中で立止った。
ここは……神殿に入ろうとしたシオンを仙香が掴まえた。
「気軽に入ってはいけませんねぇ。ここは聖域ですよ」
確かに神殿の中から伝わってくる空気が重い。でも前に立つと嬉しくて意味も分からず胸が高鳴る。
「仙香、俺はここに来た事があるの?」
「いいえ、無いと思いますよ。ここは伝説の百香・香子一世様が建てた香神様の神殿です。私が宮廷の別館に住んでいた頃はこの神殿に時々お参りしていましたねぇ。ほほ。ここは今も給仕長が管理しているのでしょう、信仰心の篤い……」
仙香の言葉が頭の中を通り過ぎて行く。
石造りの床に彫刻装飾を施した円柱を何本も立てた神殿は射し込む光の描写が美しい。
これは俺のだ。人を寄せ付けない重い空気も心地いい。
中に入れば遠い遠い彼方に引き込まれ目の前が揺れて脳が揺れた。
俺を見つめる子犬は見る見る成長し体高一二〇cmはある超大型犬に変った。
人のざわめきと笑い声が聞こえる。
「父上の神殿だ、皆のお蔭で立派に仕上がった。傑作だよ。は・は・は」
「香子様、香神様もお喜びになりますね。ほほほ」
「香守と蜜守も喜ぶよ」
「陽が傾いて浮かび上がる胡蝶蘭と百合が美しいですねぇ。夜には膳の用意を致しますから少しお休みになって下さい。立寝は勘弁して頂きたい」
「寝てる心算は無かったけどなぁー。ははは」
漆黒の翼を持つ大きな男が大勢の家臣を従えて楽し気に笑う。
あれは俺だ。香守と蜜守に会いたい。オッドアイじゃないか!
「ピューゥーーー」と空でワシが鳴いた。
気香が溢れて意識が遠のいてゆく。
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何かが咽喉に沁み噎せ返って眼が覚めたら宮廷の部屋だった。
白もじゃもじゃが顔を覗きこんで喋った……仙香……。
「京君、大丈夫ですか? 神殿で倒れたのですよ」
「うん、大丈夫。オッドアイは?」
「犬ですか? オジロワシを追いかけて行ってしまいましたよ。ほほ。北連峰ではオジロワシを時々見かけますが真夏の西ブロックに現れるのは珍しいですねぇ」
コロコロキャンディーがシオンの頬を伝いベッドや床で跳ねて遊ぶ。これはこれで綺麗な光景なんだがシオンの顔が不細工で残念。ふふ。
「シオン、有難う」
起上ってシオンを慰めようと手を伸ばしたら先にギュッと抱きしめられた。
コロコロが緩められたシャツの襟から侵入し背中を転がってこそばゆい。
あらら。背中がムズムズする。シオンをそっと離し気香を這わせ監視カメラと盗聴器をフリーズさせる。服の下で小翼がパタパタした。
「仙香、また生えた。俺はここに戻らなければいけない」
仙香は相変わらずのニコニコ顔で穏やかに笑う。
「ほほ、そうですか。ですが今日はこのまま黙ってお帰りなさい。お話はまたお会いした時にしましょう」
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協会の屋上で山根に迎えられ元気に『ただ今』と言ったシオンが部屋に入ると渡されたケーキの箱をテーブルに置いてぐったりした。
「無理に行って余計な負担を掛けた。ゴメン」
「俺のハニーは手が掛かるのはなんでだろうね。ふふ。酷い顔。少し寝たら?」
質問攻めにあうかと思えばシオンは頷いて部屋に入った。心底疲れたか流石に俺と居る事に嫌気が差したのかもしれない。
二八〇蜜香を体に閉じ込めて来た蜜人の導きは最強だった。やっと俺は仙香に封印された記憶を取り戻した。
俺は香国創造の神である香神の子。香国を大事変から救い国を統治する為に下界に転生した。
「オッドアイ!」
名を呼べばホワイト&シルバーの被毛を持った超大型犬が現れる。オオカミみたいな長いマズルにふさふさの立ち耳。額のマーキングラインが可愛い。ふふ。
抱きしめて撫でたら幸せホルモンが分泌される……潰された。
「無事だったんだね」
俺に圧し掛かりモフモフの尻尾をブンブンと盛大に揺らしたオッドアイは香子一世として転生した時に母君にプレゼントされた犬だ。
姉弟みたいに育ったのに五歳の時に倒れ痙攣を起こし見ているのが辛かった。
獣医師が『手の施しようがありません』と発した瞬間に俺はピキッと切れた。
どうせ死んでしまうなら神界に送る! 良案!
指を気香剣で切り香子の血を飲ませ神界に送った。
『死にかけた獣を全て拾へば神界が動物大国じゃ、戯け! 二度と血を分けては成らん!』
父上にこっ酷く叱られ会う事も許されず消されたものだと思い込んでいた。
愛おしい。オッドアイ……ライトブラウンとブルーの瞳でケーキを見つめ食べたいと催促か?
「退け」
箱からケーキを一つ出し顔の前に出すとパクッと食べて前片足を上げた。
有難うのサイン。ふふふ。
小翼がパタパタする。
俺を見つめてまだ何か言いたいの?
ん? ケーキの箱を銜えて消えた……まぁ、いいか。事務局に行かねば。
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事務局に駆け込み山根じゃなくてセダムを呼んだ。
「服を用意してくれる?」
「帰る早々珍しい事をおっしゃいますねぇ。どんな物をご希望ですか?」
「山根が縫った作務衣みたいなやつ。報酬は俺の預金から好きなだけどうぞ」
「コ……承りました。準備ができ次第お部屋にお持ちします」
早口で言うセダムの瞳がうるうると揺れる。この人はどこまで知っているのか?
部屋に戻ってシャワールームに入り大翼を広げゆっさゆっさと羽ばたく。気持ちいい、飛びたい。有り余る気香の出口でもあるこの翼は飛びたがっている。
その証拠に下界で大翼を縮めて生活すると抑制された小翼は嬉し楽しでなぜかパタパタ動く。服……早く、服。
そして俺は重大な事に気が付いてしまった。
ここには背中を流してくれる風呂係が居ない。
背中が洗えないのは俺が不器用なせいじゃないんだ。
上手く拭けないのも俺が不器用なせいじゃないんだ。
クリーニング済の服を着ても湿っぽい……そのうちに乾く。
リビングのソファーに座り部屋を眺めれば家具も内装も変わらない室内も昨日までとは違って見える。苦しい日々でも現世を学べた。
香国の国土は大昔から変わらないし地形も……
「これは何だ?」
ドッキリさせるのは趣味か! 気配なし蜜人。
「シオンに誕生日プレゼント」
「俺の誕生日は十月だよ」
知らなかったぁ。はは。
俺が戻れなくても少しは役に立つだろうと検査に出かける前に袋にマジックで大きくシオンと書いて中にはマスカット粒位の玉を沢山入れておいた。
「俺は手袋でもないと触れないけど、どうするんだ?」
弱い。光り玉を作ったのに宝の持ち腐れだ。
窓を開けて向かいのビルに投げつけると玉はパンと弾けて昼光色の光を放ち辺りを照らした。向かいのビルの人が騒ぎ始めたから慌てて窓もカーテンも閉めて振返って言う。
「ふふ、光るだけー」
うぁ! 泣いた。そして部屋に引き籠った……忙しいな。
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