第12話 いい景色だ

 一〇分程でジェットハイヤーは南二区営公園の駐車場に着いた。シオンがカードで支払いを済ませ入場ゲートで香人協会の登録カードを見せて入園した。

 おぉ、キング特権で国公立施設は無料なのか。


 広大な敷地を有した公園は汚れた街とは違い緑と花の香りに満ちていた。パターゴルフコースの脇道を通りシオンは黙ってずんずん歩く。

 クラブハウスにはガラス張りのレストラン、その横に小さな木造カフェ。カフェからコーヒーと甘いクリームの香りがする……それでもシオンはずんずん歩く。


 水のステージには噴水があり緑や紫の水が躍る。木立の中にも整備された道があり赤松林の中にベンチが置かれ老夫婦が仲良くお喋り。ふふ。

 あぁ、目の前が開けた!


「見ろ。南二区はもうリューリップとネモフィラが満開だ」


 ネモフィラの丘は一面の青。小道を登る人で賑わう。丘の下には黄色のチューリップ園と赤と白のチューリップ園……ふふ。子供も大人も花に負けない大輪の笑顔。柔らかな花の香が心地いい。


「おい。返事は?」

「綺麗だ。いい気持ち。ふふ」


 シオンが笑った。いい景色だ。ふふ。

 小花が風に揺れる青い丘を登ると眼下には湖が広がった。


「俺はずっと香らないと思ってたからここが好きだった。ここに居れば何かしらの花が咲いてるから自分が香りを纏ってるような気がしたんだ。蜜人登録誤訂正の通知が家に届いて嬉しかったよ」


「ふふ。名称と実質は相伴わなくてはいけない。誤りを正しただけだよ」


「ホントは……本当の俺は頑張っても頑張ってもCクラスで悔しいって思ってた。なんで蜜人の家に、しかも旧家に生まれてしまったんだろうって……Sクラスの兄さんや友達を羨ましがる嫌な奴なんだ」


 遠くを見るシオンの赤い髪が風に靡いてさらさらと揺れた。

 なんて答えれば正解? 

「根暗か!」って笑う? 「苦しかったね」って慰める?


「この先の草原エリアにもう一人、確かめてほしい奴がいるんだけどいいか?」


 そっちか! 緊張して損した。やっぱりいい人じゃないか!


「いいかって合わせる気満々でしょ。ふふふ……」


 丘を下りて小川の橋を渡ると一〇haはありそうな大草原が広がっていた。気持ちいい。一面の緑に小さな東屋と数本の大樹。人は多いけどまだまだ空きがある。

 あっ。オリエンタルにレンゲ、カモミール。


「あきらには草原が似合わない」

「なんだとぉー! 昼飯も食わせないし帰りも送ってやらないぞ」


 厳つい革ジャンを着たあきらが指差した先には木陰にレジャーマットが敷かれランチボックスとペットボトル、菓子が置かれていた。

 マットに座り渡されたラップサンドを食す。野菜とローストビーフが薄いパンみたいなものに巻かれガブッと齧ってもこぼれたりしない。


「美味いだろ。京が食べやすいようにって修一が朝からトルティーヤを焼いてローストビーフも作ったんだぞ」

「うん、美味しい。修一は?」

「新店舗の内装打合せ」

「店ってあきらのクラブでしょ?」

「あぁ。親父が修一の方がセンスがいいから俺は要らないとさ」

「そりゃ、妥当な判断」

「まぁなぁー。蜜人だしなぁ。なんか臭くねーか?」


 あ、犬。俺の上着の中で大人しくしてるから忘れてた。犬にラップサンドを分け与えるとモリモリ食べて前片足を上げた。モフモフの尻尾をぶんぶん振ると小さな体も揺れる。ふふ。変。見ていたあきらが言う。


「もっとくれって言ってるぞ」

「違う。有難うって言ってる」

「なんで分かるんだよ?」

「何となく。それより俺に用があるのはレンゲ一六八なの? それともカモミール一〇五?」


 退いたぁー。


「お前、言い方! 蓮だよ。カモミールの方」


 シオンが言うと体格のいい男子がポリポリと襟足を掻いて口を開いた。


「いいって言ったのにシオンがどうしてもって……俺はシオンと同級生の立花蓮。コントロールが出来ないんだ。だから何度も誘拐されそうになっていつもシオンに助けて貰ってる」


 ぷっ! シオンに助けて貰う。ふふふふ。


「京は俺の事を馬鹿にしてるだろ?」

「いいえ。それは大変だね、シオン。蓮は練習したの?」


 蓮は黙って頷き視線を外すとまた襟足を掻いた。レンゲが身を乗り出す。


「したに決まってるでしょ! 僕と違って蓮は真面目なんだ! でも出来なくて……人に迷惑かけないようにって料理も掃除も手袋してやってるのに! 馬鹿にするなんて酷いよ!」


 蓮を笑ったんじゃないけどこの可愛いクリクリ眼の子は何を言ってる? フリフリのシャツに幅広サスペンダー付のワイドパンツがスカートに見えて女子かと思ったら男子。

 シオンを見やる。


「蓮は指先に香穴があって移り香がひどいんだ。でも俺は蓮が努力してるのを知ってるからコントロールできないのは他に何か理由があるんじゃないかと思ってる」


 この人達は何を言ってる?


「無毛被の指先に香穴は無いよ」


 なんだこの反応は? 四人でキョトンとするな!

 隣に座るシオンをどかしてクンクンと蓮の香りを嗅ぐ。イテッ。肩に鼻がぶつかった。身体じゃない、腕でもない、首も違う。

 蓮の頭を横に傾けて襟足に香穴発見!


「お前は場所を考えろ!」


 シオンに怒鳴られ蓮の首に回した腕をグイッと剥がされた。この場所を選んだのはあんたでしょ。転がって空を見ながら言う。


「蓮の香穴は右襟足にある。手を洗って襟足を掻く癖を止めて」


 うぉ! 立ち上がって走った。シオンも泰斗も追って走る。手洗いに血相変えて走り込むとか……漏れるとか……ふふふ。


「あきらぁ、ダメだった?」

「いいや、ダメじゃねーよ。ダメなのは香人協会だ」


 そう言ってあきらも寝転んで空を仰いだ。


「この国はどーなってるのかねぇー。子供にランク付けて苦しめた挙句に間違いってなんだ?」

「さぁ?」

「我関せずか? そういゃ、香師が行方不明らしいぞ。住んでたアパートも蛻の殻だとさ。矢田が大騒ぎしてるよ」

「ふーん」


 頭痛がする。「クッシュン!」山根に渡されたハンカチは上着のポケット。横を向いたら犬が鼻水を舐めた……まぁ、いいか。


 


 「クション!」寝室から出るなと学校から帰ったシオンに命じられシャンプーの匂いがする子犬がベッドから起き出さないようにジッと枕元で睨みをきかせる。

 シオンが家に連れ帰っても戻って来る子犬は賢過ぎる。


「クション!」モフモフの尻尾で鼻を擽るのは止めろ。

 ドアが開きキッチンで何かしていたシオンが入って来た。


「ちゃんとベッドで寝てないから治らないんだよ」

「うん」

「俺が知る限り一度も……いいや」


 シオンが持っていたトレーをサイドテーブルに置きスプーンを差出す。


「今日の昼は米だったんだな。熱があっても食べやすいように雑炊にしたから食べろ」


 雑炊とは? 

 トレー上の深皿にはスープの中に米と野菜と黄色いものが浮いていた。

 スプーンで掬って口に入れたら黄色いのはふわふわの卵だと分かった。米も野菜も柔かく噛まなくてもスープと共にすっと咽喉を通っていった。


「ふふ、食べられる。美味しい」

「俺が熱を出した時は和風の雑炊か参鶏湯がうちのお決まりだ。今日は泊まって行くから食べたら寝ろよ」


 食器を片づけシオンは毛布を抱えて寝室に戻って来た。電気を消すとスタンドライトを点け黙ってベッドの横に座り本を読み始める。


 九日前、区営公園から帰り何年か振りに熱を出した。医師が往診し風邪と診断されたが山根は心配しながらも出張に旅立った。入学式にも出席できずリビングで寝起きしていたらまた熱が出て学校から帰ったシオンがキレた。


 このベッドで寝たのは協会生活一日目で山根が側に居てくれた日と熱を出して山根が泊まってくれた日の二回だけなんですよって言ったらきっとシオンは呆れる。

 北連峰の山小屋で仙香と一緒に寝ていたから夜一人でベッドに寝るのが寂しくて怖くて勉強部屋で本を読んでいつの間にか寝るのが習慣になった。


 手を伸ばしシオンの髪を指で梳かせば眠れそうな気がする。

 朝顔、ブルーデージー、インパチェンス、ガザニア、スクテラリア、カタナンケ、マツバボタン、バビアナ、クレオメ、セアノサス、スイートピー、イベリス……暗い中で何度か眼が覚めたけど犬とシオンに挟まれ温かくまた眠れた。



「悪い、起こしたか?」

 額に冷たいものが触れて眼を開けたらシオンが顔を覗き込んでいた。

「うん。大丈夫」

「熱は下がったみたいだから食事しろよ。俺は一度家に帰って学校に行くからな」

「……」

「なんだ?」

「区営公園は俺も好きだよ。行ってらっしゃい」

「良かった。行ってきます」


 慌てて起上りシオンに手を振った。

 もう少し居て欲しいと言いそうになるなんてどうかしてる。きっと熱のせいだ。 犬をギュッと抱きしめれば寂しくなんかない。センチメンタリストか、俺。


 シオンといると調子が狂うから近づき過ぎてはいけない。感情を揺らすな、安全な街どころか破壊してしまう。燥がず、落ち込まず、憎まず、愛さず、心の安定を保つ事が即ちシオンや山根を守る事。


 慈愛の伝言は翼を失った俺が叶える事はない。たとえ出来ても空を飛んで何になる? 何も考えず一心不乱に勉強した時みたいにするべき事を淡々と熟せ。邪念に支配される時は本を読め、星を数えろ、一時の感情は時が過ぎれば薄れる……


「……君、京君」

「あっ。山根」

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