第11話 予兆

 シオンの胸で静かにヘーベが眼を開いた……シオンと異なる円らな瞳。

 あきらに腕を引っ張られて父親と母親に場所を譲る。邪魔か? 恨めしくあきらを見やるとニッと笑った。


「シオン?」

「兄さん、良かった」


 あらら、皆で泣くからベッドや床でコロコロキャンディーが躍る。うーん? 後ろからもコロコロがコロコロ。

 俺が振返るとあきらが慌てて修一の顔を胸に抱いた。なるほどぉ、成人しても修一があきらと一緒にいる事に納得でぇす。


 家族四人が抱き合って喜ぶ姿を見ていたら胸がモヤモヤして気が滅入った。

 シオンが見た事もない顔で笑っているからやっぱり家に帰すが正解。俺に気を使った『多分……』だったか。モヤモヤに支配される前に邪魔者は帰ろぅ。


「調香戦が終わったから帰っていいよ。それからシオンは蜜種が五八六もあるから香らないだけで蜜香量は二八〇で誰よりも多い。測定器より俺が正しい」


「えっ?」と顔を上げたシオンの腕を両親がしっかり掴まえた。


「君は虹彩京君?」


 部屋を出ようとした俺はシオンより少し高いヘーベの声に呼び止められた。


「そう」

「慈愛さんに伝言を頼まれてる。君が起こしてくれるから伝えてと言われた」

「何?」

「蛟竜雲雨を得、翼を広げて大空を舞へ」

「ふーん」



 消灯時間を過ぎ灯りを落とした病院の廊下を抜けて地下駐車場に止めた車の後部座席に乗り込むと修一が助手席に座りあきらが車を発進させた。

 繁華街は夜も多くのヘッドライトとネオンで明るくあきらに見せたくない俺の顔を照らす。運転を自動操縦に切り替えてあきらが振り返った。


「慈愛さんの伝言はどうゆう意味なんだ?」

「さぁ?」

「お前でも分からないことがあるのか? まぁいいけど、まだ春休みなのに慌ててシオンを帰さなくても良かったんじゃないか?」

「家に帰った方が幸せでしょ。俺に関わらない方がいい」

「へぇーーー。京が人の幸せを語るのか? シオンのお蔭でよく喋るようになったし少し変わったか?」

「別に。一ヵ月世話になった返礼にシオンの最善を勘案してみただけ」

「シオンの最善に京はいなかったのか?」


 胸の奥を突くのは止めてよ。そりゃ、泣き虫で怖がりのシオンを守りたい……出来もしない事を考えるのは無駄。胸がざわざわする。

 親しいヘーベが目覚め興奮気味の修一が助手席から振返った。


「京、秘薬持ちは一生攫われるかもしれない不安を抱えてる。強い香人と一緒に居る事で安心出来るのは子供のうちだけじゃないんだ。シオンの事を分ってあげて」

「修一、俺はあきらの希望どおりにキングになった。蜜人が危険に晒されないように未成年者を統括する。それだけだ」

「怖いよ。京が時々人を威圧するのは百香だからなの? 無理に人を遠ざけなくてもいいんじゃないの?」


 車は香人協会駐車場に止まり、あきらがシートベルトを外して振り返った。


「なぁ、京……」

「じゃ。今日は有難う」


 聞こえない! あきらの言葉を遮りさっさと車を降りドアを閉めたら手を振る。 蜜人の言魂でざわざわは暴風に変り胸の中を吹き荒れる。早く静まれ。


 昼間の騒ぎが嘘のように静まり返った協会……また一人だ。


「京君、早速夜遊びですか? シオン君は?」


 十階でエレベーターを降りると山根が待っていた。この人の声は俺を落ち着かせる。雑な報告書も誘拐未遂事件を握り潰したのも俺の為なんだと思う。

 山根が少し屈み俺の顔を覗き込んだ。


「どうしました?」

「どうもしないよ。シオンは家に帰した」

「そうですか? 高等部の件ですがどちらか入学希望がありますか?」

「いいえ」


 希望なんかない。歩き出すと山根も歩き出す。


「じゃあ、シオン君と同じ学校に入学予定ですがいいですね。京君は全教育課程を終えていますから行っても行かなくても問題ありません。それから庶務についてシオン君に説明が必要ですがいついらっしゃいます?」

「山根が確認して」

「承りました」


 部屋のドアを開け明りが点いていない事にガッカリする自分に呆れる。シオンは暗いのが苦手だったから夕方から朝までリビングの照明を点けていたんだ。


「シオンの荷物を纏めて家に送って」

「シオン君と何かありましたか?」

「いいえ、全く」

「まぁ、今日はいいでしょ。キング就任おめでとうございます。公営の交通機関及び施設等の利用は無料ですから、いえ、明日にでもご説明します」


 ニコリと笑って山根は部屋を出て行った。勘のいい山根は何か気付いたのかも知れないけど、だから何だ。


 窓を全開にしてビルの隙間から夜空を見上げれば星が流れる……夜はこんなに長かったかな? 永夜に勉強部屋に籠る。




 調香戦は一般の学校が学年編成休暇に入った最初の土曜日に行われる。編成休暇中に新態勢を整え政策を立てる為だそーだ。


 幹部専用執務室には連日会議で幹部が集まり落ち着かない。

 特に繚乱と美咲は姦しく手と一緒に口が動き「あーしろ、こーしろ」と煩くて一日でギブアップした俺は幹部が集まる前に自分の仕事を片付け指示をPCに残しさっさと自室に帰る。シオンとも会わなくて済むからこれでいい。


 〝コン!〟と取り敢えずのノックをするのは山根。指紋認証ドアを開けて入って来る。

 

「京君にもスマホを用意しましたから入学予定の南一高等部を見て来て下さい」

「えぇーーー。どうしても?」

「どうしてもです。明後日からなぜか私は出張ですから入学式で迷子に成ったら大変です」


 山根にジャケットを着せられ外に出された。

 ジャケットのポケットには現金と何枚かのカードが入った財布にスマホ、ハンカチ……持ったのはお初。ポケットにはファスナーが付いてるから開けるなと言っていたけど使えないじゃないか? 重いだけ?

 それに高等部は中等部と併設だから下見も要らないでしょ? 不器用でも迷子にはならない。


 道を歩くとビルにペンキで落書きがされていたりゴミ置き場から生ごみの香りが漂ったりと荒れた街中は鼻が曲がる。流行の服が飾られた百貨店のウィンドウを眺めても店内に入る気も起きない。


 寄り道もなく二十分ほどで到着した学校には野球やサッカー、陸上などしている多くの生徒と指導者の姿があった。休みじゃないのねぇー?

 走ったり飛んだりしている光景が面白くて閉まっている校門にぶら下がって眺める。高等部生は身体が大きい。はぁ。


 校庭の西に体育館と北側には校舎が建ち広いガラス張りの出入り口の他に(来客用)と書かれた看板の置いてある学校の玄関らしい出入口があることを確認した。


 このまま帰って幹部達に捕まると煩いから寄り道せねば……。


 学校裏の堤防に上って遊歩道を歩けば芝生の新芽が辺り一面に香る。

 河川側には運動公園も備えられ春の日差しは気持ちいいのに街が荒れているせいか学校までの道程にもここにも人が少ない。

 花が植えられているはずの花壇に雑草しか生えていないのは残念極まりない。


 橋桁の近くには場にそぐわない不法投棄の冷蔵庫や壊れたバイク、ペットボトル、段ボール箱が落ちていた。

「くぅーん」と呼ばれ堤防から駆け下り段ボール箱を覗くと中には子犬が一匹チョコンと座っていた。


「お前も一人か?」


 抱き上げて頭を撫でるとペロペロと指を舐めて擽ったい。眼の色が左右で違うのは虹彩異色症? 虹彩繋がり。はは。

 モフモフの尻尾と小さな身体のバランスが間違ってないか? 


 ゴミの中に居るからゴミ臭がする。スマホアプリで犬を調べると寿命は一五年から二〇年。俺じゃ飼えないなぁ。

 箱に戻してもその場を離れられず見つめられてまた抱いてみた。


〝ピロピロ……〟


 音と共にポケットが震えた。スマホは人を驚かせる道具だと認識を改め画面を見ると香雨シオンの文字が出ていた。

 四角い画面に〝早く出ろ!〟と言われ円をスライド。


「早く出ろ! いつまでそこに居るつもりだ?」


 やっぱり……スマホを耳に当てたままキョロキョロ辺りを見回すと橋の上にシオンが立ち手を振っていた。暇人か! 策士山根に嵌められた。


「俺を避けてるだろ?」

「いいえ」

「じゃあ、ちょっと付き合え」

「断る」

「その犬を飼ってやるから付き合え」


 ……誘惑に負けてはいけない。


「断る」

「断るな! ジェットハイヤーを待たせてるんだよ! 早く来い!」


〝プツッ〟と勝手に切った。確かにシオンの後ろに路上停車したハイヤーが交通渋滞の素。さりげなくシオンと距離を取るのは思いのほか難しい。

 上着を脱いで臭い犬を包みハイヤーに乗った。


「どこ行くの?」

「着いてからのお楽しみだ。寒くないのか?」

「大丈夫」


 機嫌がいいじゃないか。鼻歌でも出そうだな。

 ジェットハイヤーは浮き上がり交通渋滞は解消……どうやら南東に向かう。 


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