香神の御子 ー守る者ー
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第1話 あきらが虎を野に放つ
ここは国立香人協会ミーティングルーム。新人理事右近あきらが要望した臨時理事会が開かれている真っ最中。薄暗い部屋の中は香人協会理事の渋い顔と白い壁に浮かぶ荒れ果てた街の映像が交差し重苦しい空気に包まれる。
どんなに街が汚れようが犯罪が増えようがこの建物に九年も軟禁されている俺には特段なんの感慨も無い。
臨時理事会なんか迷惑なだけぇ。早く終われ。
俺は或る日突然に監禁され気が付いたら薄暗い部屋で頭から毛布を被り『わぁー、わぁー』泣き喚いていた。
椅子も絨毯もない部屋で泣き寝入りし起きたらまた泣いた。
今から思えば親すら覚えていなかったのに、そこに一人居るのが堪らなく嫌でひたすら泣いていたんだ。
それが数時間なのか数日なのかも分からずやっと部屋の一部が開き、隙間から顔を出したのは白髪で長い白髭を蓄えたサンタクロースだった。
『おーほほほほほ、泣き虫ですねぇ。おほほほ。ちょっと寒い所ですが私と一緒に行きますか?』
『ん……うん……』
抱き上げて優しく頭を撫でてくれたサンタクロースが薄茶色の作務衣を着ていたから仙人だったと思い直し白髭を握りしめた。
仙人に連れて行かれた北連峰は空と雪の境目に茶色い山小屋がちょこんと建っているだけでちょっと寒いとかゆうレベルじゃ無かった。
騙されたぁぁぁ。とは思ったけど一人で何も無い部屋に閉じ込められるよりは百万倍マシだった。
晴れた日の夕刻には白が発つ雪原に俺が気香でドームを作ると仙人が中で火を焚いた。
シュラフに包まり満天の星を数えて仙人が星を語ると俺は直ぐに寝てしまう。
翌朝、朝陽で雪原はオレンジ色に染まり掌から湧く気香玉を流すと凍った雪面を色取り取りのシャボン玉がコロコロと転がる。それが二歳の俺には楽しかった。
仙人はメロッテ家頭首・仙香で特質を用い人の記憶や意識を操る百香だと後から聞いた。
泣きながら無意識に気香を有形化し監視カメラや食事を送るエアーシューターを壊し隔離施設まで破壊しそうな俺の指導をする為に迎えに来たのだった。
半月ほどして家族はおろか自分の名前さえ覚えていなかった俺に仙香は虹彩京と名を付け『数えきれぬ程の虹色香を操る百香に相応しい名です。おーほほほほ……』と笑った。
香国北の最果て北連峰の山頂で仙香と四年過ごす間に自分の気香を操る術を学んだ俺は六歳から国の粗中央に位置する国立香人協会本部に一人部屋を与えられ外出禁止令を出された。
プロジェクターのスイッチを切り部屋の明かりを点けたのは俺の世話係兼協会職員の山根真。厳しい表情でマイクの前に立つ。
「ご覧いただいたのは荒れ方が顕著な西ブロックの映像です。約一年前、香師善久君がキングに就任して以来、未成年者による窃盗、強盗、恐喝、暴行と犯罪は激増し国民は外出を控えおびえて暮らす日々が続いています。国家警察からの強い改善要請もございますのでキングの対応をお伺いしたいと思います」
温和で働き者の山根を怒らせるキングの香種はオゾン、気香量は二六〇。
嫌な奴だけどオゾンの香りは悪くない。
革張りのキング特製チェアに踏ん反り返ってオゾン二六〇は山根を睨む。
「山根さん、未成年者社会のトップは俺だよ。皆、楽しくやってるんだから警察からの要請なんか無視しろよ。へっ」
「無論、キングの施行された政策が最優先されておりますが未成年者を統括する香人協会と国家警察とは密接な関わりがありますので何らかの対応が必要かと存じます」
四十路の山根が苦々しい表情を浮かべ苦言を呈する姿はお気の毒。
元々香人協会は特質を持つ香国民族の香蜜人互助会だった。香蜜人の登録を義務化し未成年者の統治に利用しようとした国王トリカブト一八〇が国立香人協会と改め配下のグルマン一五〇を理事長に据えた。
蜜人を守る勇者を讃える為に行われていた調香戦は未成年者の香人キングを選出するイベントに変り、蜜人とペアを組み優勝した者には絶大な権限を与えたのが混乱の始まり……だそうだ。
お蔭で公務員の山根より未成年者で学生のオゾン二六〇が偉い。はっはー!。
オゾン二六〇は山根を一瞥すると「スズラン、帰るぞ」とハーブ六十を連れ〝ジャラジャラ……〟とチェーンの音を残しミーティングルームから出て行った。
オゾン二六〇とペアを組むハーブ六〇はツインテールに濃い化粧でハーブ蜜香を台無しにしてる。夜な夜なヌンチャクを振り回してたら怖い。
あきらとペアを組む緑修一が部屋のドアをロックすると話し始める。
「キングは勝手に出て行ったので本題に入りまーす。あきらがキングをしていた頃には考えられない程街が荒れていますが、虹彩京君は現状をどう思いますか?」
うぇー。なぜ俺に訊く?
「別に」
俺は理事でも幹部でもないしぃー。曲がりなりにも調香戦で勝利し香人キングになった者に歯向う必要はないから笑ってやり過ごすで正解でしょ。
修一は口をへの字に曲げ両手を上げてからあきらの横に座った。
「京はなんでカップリングしないんだ? 来年度は高等部に進学する年齢で調香戦に出場資格があるのにペア登録しないと出られないだろ?」
「あきら、俺は調香戦なんて見た事もないよ」
あら、怒った。彫の深い精悍な面立ちは怒ると鬼。恐っ! 趣味は筋トレで恰幅も鬼。
あきらがグルマン一五〇に向かう。
「大御所理事長、京を何年も軟禁状態に置くのは犯罪紛いだよなぁ?」
あきらは俺を普通の子供として扱ってくれる数少ない大人の一人。でも常に俺を管理下に置くトリカブト一八〇の真意を知らない。
最年長のグルマン一五〇が片眉を上げた。
「右近君は辛辣ですねぇ、勘違いをして頂いてはこまりますよ。百香様である虹彩君を保護教育することは協会の務めです。それに天涯孤独の虎を易々と千里の野に放つ訳にはねぇ」
災いの元か? 甚だ心外。俺は大人しくていい子なのに酷いな。トリカブト一八〇と親密なグルマン一五〇は俺の監視役だから……辛辣ですねぇー。
あらら、ビャクダンとシダーウッドの香りが漂う。
「理事長、協会の保護・育成は中等部までだろ? 京の教育は終わりだな!」
怒鳴ったぁーーー。質問じゃなくてもはや恫喝。
あきらが怒鳴ると同時にバケツで撒いたほどのオリエンタル調の妖艶な香りが部屋中に充満した。
怒ると香木割合が多くなるらしい、煙い……気がする。ふふふ。
可愛そうに酔った職員が床に座り込んだじゃないか。香人理事はちゃっかりペアの蜜人を庇って防御気香を張る。
周囲の混乱が全く目に入っていないあきらは正義感が強くて強情でキレると文字どおり面倒臭い。
適度に使えばいい香りなのに台無しだよ。
グルマン一五〇が両手を上下にピョコピョコ振ってあきらを宥める。
「まぁまぁ右近君、落ち着いて。百香様はポイズ国王様の指揮下にあるのは知ってるでしょ。それに協会内はなんでも揃って……」
「緊急動議だ! 虹彩京の人格形成・英才教育と銘打った不当な拘束を香人キング就任と同時に解除する。誰もいないとは思うが……反対の者は挙手しろ」
前置きしてそんな顔で睨んだら誰も挙手できないでしょ。
高等部、大等部の合わせて六年間、調香戦で連続優勝したあきらの気香量は三四〇。修一の蜜香が一五五でペア気香量は四九五。際立つ強さで他者を圧倒する。
「いねーよな!」
だから……恫喝だって。
協会理事の香人九名とペアの蜜人九名、今にも吐きそうな協会事務局長を含めた常人の職員八名が竦み上がった。シングルのグルマン一五〇も硬直。ぷっ!
香りには感覚のすべてを支配してしまうほどのポテンシャルがある。人は肉の焼ける香りだけで涎を流し覚えのある香りで古い記憶を呼び覚ます。
あきらの発するビャクダンの香りで理事達は葬送を連想してるのかも? 自分も〝雲霧にされるぅーーー〟とかね。
「満場一致で可決だな。諸手続き及び調整は山根さんが対処してくれ。京は午後のカップリングテストを受けるぞ」
「承りました」
口元を押さえて山根が返答するとご満悦のあきらが俺を見る。うぇー。
「分かったよ」
あきらが臨時理事会を要望するなんて珍しい事があるものだと思ったら狙いは俺。ごり押しで事務職員に迷惑をかけるなんて二二歳のする事かと咎めたくなる。
俺はこのままでいいのに。
修一が慌てて窓やドアを開けて回るのを見ると成人してもなぜあきらとペアを組むのか合点がいかない。
椅子に踏ん反り返ってまたこっち見たぁーーー。
「京、絶対に勝ってキングになって貰うからな。調香戦のエントリー終了まで十日足らずだぞ。ルーム見学で目星は付けてあるんだろうな」
「……まぁ」
「あきら君、京君は蜜人ルームの見学をしていません」
山根の余計な一言。折角室内にいる皆さまの為にお茶を濁そうと思ったのに生真面目な山根の発言で再度加減の無いオリエンタル香に酔うのは自業自得でしょ。
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