序章 ~12~

「金で動く平民の集団だ。だが中には、トリッパーを捕まえるのを主目的にしている連中もいる」

 それは聞いた。なんという名前の集団だったのだろうか、思い出せないが。

 亜子は深くうなずき、わかりましたと言った。

「じゃあ西区だけにします。ありがとうございます。わからないことが多いので……あの、色々訊いろいろきいても大丈夫ですか?」

 女が戸惑ったように夫を見るが、夫は無表情で言い放つ。

「俺たちじゃ、こたえられない」

 そう言って、ドアをぴしゃんと閉められる。残された亜子は大きく息を吐いた。

 つまり……他人を頼れないということだ。ここには亜子を守ってくれる人はいないのだ。

(いきなり独立かぁ……)

 無茶苦茶だ。

 泣きそうになってしまう。故郷を懐かしいと思う気分は薄く、亜子はなにに対して戸惑っているのかもわからなかった。

 6日だ。それで何かをつかめなければ……。

 そう考えると緊張とおびえで体がぶるりと震えた。



 簡素な衣服は亜子の年齢に合わせた娘用の衣服だ。スカートはくたびれ、ボタンも貧相。その上からローブを羽織る。ローブだけは頑丈にできていて、フードもついている。顔を隠すためだろう。

 亜子は階段を降りて、カウンターで食事の用意をしている夫婦を見遣った。彼らは地図を持っている亜子を一瞥いちべつし、裏口を指差す。亜子は小さく会釈えしゃくして、そちらから店外に出た。

(さて、と。夕方には戻ってこなくちゃ)

 治安がいいとは聞いているが、夜になると亜子の姿は変わってしまう。用心したほうがいいだろう。

 町中は閑散かんさんとしており、道もむき出しの土だけだ。舗装されてはいないし、馬車が通ったあともない。足跡だけだ。

 地図を見ながら歩きまわり、色々な店をのぞく。日本では見かけない店も多い。それもそうだ。ここは異世界なのだから。

 大きな宿舎もある。ぼんやりと見上げていると、通りかかった人がいたので尋ねてみた。

「ここはなんの宿ですか?」

「あんた旅人かい? そこは宿屋じゃないよ。

 弾丸ライナーの乗務員たちの宿舎さ」

「弾丸ライナーって……えっと、列車の?」

「そうそう」

 頷きながらその人は去っていったが、亜子は列車に興味がいた。

(そういえば宿の旦那さんが駅があるって言ってた。列車に乗って、色んなところの遺跡を回るんだ……)

 そうしなければ地学者などなれない。亜子はきびすを返して歩き出す。

 どんっ、と誰かにぶつかった。

「す、すみません!」

 慌てて謝って頭をさげる。

 見遣ると、相手は無表情でこちらを見下ろしていた。長身の若い男だ。年齢はマーテットより下、シャルルよりは上、という印象だ。

 彼はしなやかで鍛えられた体躯たいくをしており、褐色かっしょくの肌をしていた。長い白い髪に、片目を覆うように眼帯をしている。身体からだ全体をおおうようなローブ姿の青年は、亜子をちらりとだけ見てさっさと歩き出した。

 むっとする亜子は、それでも気になる。

 ここには白人しかいないはずだ。なぜ……?

(でも顔立ちは西洋人に近かった。肌の色だけ違うっていうか……)

 しかも……またそこそこ美形だった。ここにはごろごろしているのだろうか……。

 町を見て回るのは楽しかった。地学者になるなら、旅装が必要だということも服屋の店主から聞きだした。

「おやあ? もう13歳になってると思うが……登録がまだなのかね?」

「え? ええ」

 慌てて誤魔化すが、店主は抜けた歯のある口で豪快に笑う。

「なるほど。かなり遠くから来たのか、タイミングを逃したのかね。そういう人もたまにいるから安心おしよ」

「は、はい」

「お嬢ちゃんは、なにになるつもりなのかね?」

「地学者……が、いいかなと」

「遺跡探索者か! でも調査団がやってるのに、そこまで遺跡に行きたいものかね?」

「この目で確かめたいというか……」

 もごもご言っていると、店主は亜子の顔をのぞき込んでこようとする。慌てて亜子は身を引いた。顔を見られたらトリッパーだと気づかれてしまう!

「恥ずかしがり屋さんだねえ。田舎の村の出身なのかな」

「は、はい……」

「でも地学者か……うーん。じゃあ旅が大変なのは覚悟しなくちゃな。列車があるとはいっても、駅のない村や町までは徒歩や馬車で行くことになる。

 間違っても荒野に徒歩で行こうなんて、馬鹿なことは考えないようにな!」

 そういえばこの世界の陸土は、ほぼ荒野にまれたと説明された。

(荒野って……あたしのイメージと違うのかな……)

 荒れ果てた大地をぼんやりと思い浮かべていたが、なんだか違うような気もしてきた。

(知らないことが多すぎる。もっと勉強しなく……)

 ちゃ、と続けようとして吐き気がこみ上げてきたのを感じた。

 そういえば昔も、同じようにこうしてなにかを必死に学んでいた。受験のためだったのだろうか?

 だがここには受験はない。亜子の前にある試練は、ひとまず『職業登録』だけだ。



 疲れて宿屋に戻って夕食を部屋でとり、亜子は眠っていた。

 一つだけある窓から月光が室内に入ってくる。と、その窓が開いた。

 ぬっ、とあらわれた長い手が何かを握っている。それが寝台にいる亜子目掛けて素早く投げられた。

 反射的に『音』で飛び起きた亜子は、寝台を蹴って天井にはりついた。

 窓から外を見る。そこには褐色の腕が見えている。

「だ、誰!」

 騒ぎを起こすわけにはいかない。階下ではまだざわついている。客がたくさんいるのだろう。

 亜子は腕がすっと引かれるのに怪訝けげんに思って、窓に近づく。と、引っ込んでいた手がまた伸びてきた。のどつかみ、小さな窓から亜子の身体からだを引きずり出そうとしている。

「う、あ、あ……!」

 痛い!

 喉も痛いが、窓から無理やり引っ張り出されて亜子は地面に落ちた。

(まずい!)

 瞳と髪の色が瞬時に変わり、彼女はくるくると空中で回転し、猫のように見事に着地した。

 ぜはっ、と息を吐き出すが、危機は去っていなかった。誰かが亜子を背後から羽交はがめにして持ち上げたのだ。

「ぐ、ぅ……っ!」

 あまりにも力が強いので抜け出せない!

 意識が飛びそうになるのをこらえていたが、ふいに声が聞こえた。

「アスラーダ!」

 その声が合図になったように、亜子の身体からだを縛り付けていた手が離れた。素早く背後の気配が距離をとる。

 ローブを羽織った二人組が亜子の前に、立ち塞がるように躍り出てきた。

 一人は純白と金糸のローブ。もう一人は黒い非対称の変わったものだった。

 街灯のない夜道は暗く、見通せない。けれど金色の輝く亜子の瞳には見えていた。黒いローブに身をつつんでいる長身の男の姿がある。

(あれは……!)

 昼過ぎに町で見かけた褐色の肌の青年だった。ローブの下から見える肌といい……夜目よめがよくなっている亜子には彼の顔がよく

(なんで……)

 視線を目の前へと移動させながら、今さらながらに喉を締め上げられていたことを思い出してせきをする。すると、白い外套がいとうのほうがかがんでみてきた。

「大丈夫か、アガット」

「その声……殿下?」

「おれっちもいるぜぇ?」

「じゃあ……そっちはマーテットさん?」

 顔を隠しているシャルルとは違い、マーテットは隠れていない。隠す必要がないのだろう。

 たたずんでいる襲撃者をにらみつけ、シャルルが叫ぶ。

「逃がすな、アスラーダ!」

「んなむちゃなぁ!」

 マーテットがシャルルの声に半泣きのような声をあげていたが、キッと前を睨むやぐっ、とこぶしを握った。

 次の瞬間、開いたてのひらの指と指の間にはメスがずらりとはさまれている。

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