序章 ~02~

 反応しない亜子あこながめ、少年は少しねたような仕草をする。

「気に入らぬか。しかし、おまえの名前をもじったのだぞ? ひねりもない名前をつけられるよりマシと思わぬか?」

「あの……私、そんな名前をつけられても……」

 小さくそう言うと、彼は本気で驚いたようだ。

「声が小さいな。なにをそんなに萎縮いしゅくしておる? の前だからとて、遠慮はいらん。今は許す」

「…………あなたは誰、ですか?」

 丁寧に問いかけると、少年は今さら気づいたのか意地悪く笑う。

「……なるほど。何者かわからぬゆえの恐怖か。

 余はシャルル・アウィス=ロードキング。皇帝の第二子だ」

 こうてい?

(よくわからないけど、コウテイって人の二番目の子供……次男てこと?)

 名前はシャル……。

(シャルル・アウィス=ロードキング? すごい名前。苗字が特に)

 堂々と王様だと言っているようなものだが……。

 亜子は怪訝けげんそうに彼を眺めていたが、楽しそうにしている少年の態度に徐々に不安になってくる。

(……いつ、目を覚ますのかな……)

 夢とは、もっとふわふわとして、でも現実感がある時もあって、確かに見たこともないことすら、想像できる。

 けれど……なんだか違う。

 足がしっかりと地についているし、ここが『夢』だという確証がない。もっとも、その逆もだが。

「しゃ、シャルル、さん、です?」

「ふふっ。シャルルさん、か。そう呼ばれたのは初めてだなぁ」

 わざととげのある言い方をしているのは、なぜなのだろう? 不機嫌そうにはみえない。

 むしろ亜子の様子を見て彼は楽しんでいる。娯楽の一つとでもいうように。

 ばたばたと外であわただしい足音がして、シャルルはそこで初めて不愉快そうに眉をひそめた。

「チッ。来るのが早いな。『ヤト』どもか」

 やと?

 聞いたこともない言葉に困惑していると、両開きのドアが開くなり、

「『束縛』!」

 りんとした声が響いた。

 30代の白い服……まるで軍服のようなそれを着た男が人差し指を亜子に向けた。ちょうど振り向いた直後だった亜子は、その場でまるで固まったように動けなくなり、転倒しそうになる。

(なっ!? か、身体からだが動かない!)

 こんな夢があっていいのか?

 これが金縛りってやつなのだろうか?

 両腕をぴったりと身体からだにつけるような姿勢で、直立不動をいられた亜子は、視線だけ男に向ける。

「殿下! トリッパーが侵入したとの報告で参りましたが、ご無事ですか!?」

「デライエ、うるさい」

 断ち切るように言い放ち、長椅子に座っているシャルルは眉をひそめた。

「面白いものが手に入ったのに、また取り上げるというのか、おまえたちは」

「で、殿下……トリッパーはまず素性を……」

「わかっておる」

 うるさい、とでも言うように、羽虫を追い払う仕草をし、シャルルはデライエと呼ばれた男を冷たく見遣る。

「では連れて行け。説明と登録が済んだら、余はまたこやつに会いたい。異界の話を聞きたいのでな」

「それはできかねます、殿下」

「登録が済み次第、すぐに放り出すのであろ? では、余の持ち物にしばらくしても良いであろうが。

 こやつが職を決めるまでの、短い猶予ゆうよで構わん」

「……ですから殿下」

「首をねるぞ、デライエ」

 ヒヤッとするような声音で言い放ったシャルルの目は笑っている。

 デライエはしぶしぶと言うように、「便宜べんぎをはかってみます」と小さく言い、亜子を連行してその場を去った。



 パジャマ姿のままで、続きの間と言うらしい部屋を通され、それから表に出ると廊下が広がっていた。

 ここも豪奢ごうしゃで、無駄にきらびやかだ。あまりうまく説明できないが、どこかの城や、宮殿のような住まいに近い。

(なんかさっきの人も、見た感じは王子様みたいだったし……)

 まるで連行される罪人みたいな気分だ。手錠がついていないだけで、護送されているのは同じだ。

 長い長い廊下は広く、そして豪華絢爛ごうかけんらん

(……変な世界に迷い込んじゃったみたいな気分だよ)

 気分がヘコみそうになる。いくら夢とはいえ、これはないだろう、これは。


 気づいたら馬車に乗せられて、あれよあれよという間に別の場所に連れて来られていた。

 四角い建物。まるで亜子の世界にある役所のようだ。

 飾り気もないその建物は、けれど亜子の世界の建物とは違っていた。

 そんな建物がたくさん並んでいる場所で降ろされ、そのまままるで隠されるように裏口へと連れて行かれる。

 亜子の常に近くにいたのはデライエという男だ。隙もまったく見当たらないし……もしや警察かなにかなのだろうか?

 しかしこんな派手な衣服の警察が?

 わけがわからない。ますます混乱を極める亜子は、通された部屋がまるで裁判所のようになっているのに驚いた。

 傍聴席はないものの、本当にシンプルな作りで、ずらりと並ぶ裁判官たちやその他の人たち。

 そんなイメージが近い。全員、ゆったりとしたポンチョのような衣服を羽織っており、そこに紋章のようなものが小さくつけられている。

「トリッパーを一名、捕獲しました」

(捕獲って……ほかに言い方がないの?)

 そもそも亜子はトリッパーとやらではない。勘違いだ。

(あたしは日本人よ、ただの……。あれ? でも、ど、どこに住んでたっけ……?)

 まるで頭にもやがかかったように鮮明にならない。

 自分がどこに住んでいて、家族の顔や人数など……。呆然とする亜子は被告人が立つような、部屋の真ん中にある異様に孤立させられた席に座らされる。

 目の前にはずらりと並ぶ、様々な顔の男たち。女性もいる。だが若い者は見当たらない。

 中央に座る男がドアが閉まったのを確認し、亜子を見てきた。

「では始める。名前は言えるか?」

 なまえ?

 亜子は嫌な気分になりながらも、渋々答える。答えないでいれば、きっとずっとここに拘束され続けるだろう。

「長野亜子です」

「アコが名前でよいかな?」

「はい」

 うなずく亜子に、男は右端に座っているわりと若めの中肉中背の男性に何かを書き記すように指示を出している。……もしかして、書記か何かなのかもしれない。

 カリカリと羽ペンを動かす音だけが部屋に響いた。

 質問は座っている様々な者からされた。家族や、今までの生活のこと。

 一日は様子を見るということが規定とされていることを説明され、亜子はまたどこかへ移されるのだと覚悟した。

「信じがたいかもしれないが」

 中央の男は散々亜子に質問してきた後、そう切り出した。

「そなたは『トリッパー』と、この世界では呼ばれている」

「トリッパーとはなんですか?」

「別の世界から来た者たちの総称だ」

 ベツのセカイ?

 にわかには信じがたい言葉に亜子が顔を引きつらせているが、誰も真顔で、冗談だと笑ったりしない。

 …………うそ、だ。本当に?

「そなたたちトリッパーは、伝承によれば黒髪黒目、もしくは茶髪に茶色の目をした黄色の肌の人種だという」

 ……それは日本人の特徴ではないのか?

 微かに震える亜子は畏怖の目で、中央の男を見据える。

 初老の男の髪には白髪が混じっている。いかつい顔に、こちらをじっくりと観察するような目…………怖い。

「少し赤みがかかっておるが茶色の髪と瞳の外見。見たところ、外見にそれほど影響は出ておらぬ」

「?」

 亜子の姿が変わっているとでもいうのだろうか? そんな馬鹿な。

「トリッパーはこちらの世界に来る際に、大きく二つの影響を受ける」

「…………」

「一つは肉体影響。一つは精神障害」

 どちらもあまりいいものではない。いや、良くない、はっきり言って。

 目を見開く亜子は何も言えないで、完全にその場に固まっていた。

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