Barkarole! Ⅱ

ともやいずみ

序章

序章 ~01~

 

 本命を、落とした。

 その衝撃を受けて、持っていた受験票が風に乗って飛ばされていく。手の力がゆるんでしまったからだ。

 亜子あこは呆然と、現実を完全には受け入れることができずにいた。


 そんな夢を見たせいだろうか?

 亜子の顔色は朝起きると悪く、くもっていた。

「やな夢」

 まぶたが重い。

 そう思いながら起き上がると、なんだかふわふわしている。

 あまりの気持ちよさに亜子は口元がゆるんだ。ふにゃん、と笑ってしまう。

貴様きさま寝台しんだいで何をしている?」

 若い男の声が聞こえる。亜子はハッとして閉じかけたまぶたを開けた。

 目の前に、頬杖ほおづえをついてこちらをのぞきこんでいる絶世の美少年がいた。

 輝くような金髪に、透き通った空のような青と、宝石のような緑のオッドアイ。

 おかっぱ頭と表現してもいいが、それではあまりに彼に失礼のような気がする。それほどに彼は美形だった。

 薄手の白いシャツが見える。まるで……えっと、そう、そうだ。マハラジャ?

 混乱はしたが、亜子はそのまま起き上がり、あたりを見回した。状況は最悪だ。

 見知らぬ場所に自分はいる。

 ふわふわの大きな天蓋てんがいつきのベッドの上に自分は寝転がっていたらしい。ありえない。自分の部屋はもっと狭いし、ベッドなんてかたい。

「……ん? おお、なるほど。貴様、トリッパーだな?」

「え?」

 また声がしたので亜子はそちらを見遣った。

 美しい少年……おそらく亜子とそう年齢が変わらないであろう彼がむくりと上半身を起こして亜子に顔を近づけたのだ。

 正直、亜子は『ビビった』。

 こんな美少年は映画でもお目にかかったことがない。明らかに西洋人だし、外国人だし、日本人じゃないし。

 綺麗に整った色白の顔に、少し意地悪そうな笑みが浮かんでいる。オモチャを見つけた子供のような眼差しだ。

「と、とりっぱー?」

 英語? なにかにトリップする……意味は……なんだっけ?

「見た目は少しやや赤みのかかった茶髪だが、瞳が茶色だ。トリッパーに違いあるまい。

 しかし余の寝所しんじょに出現するとは、大胆なトリッパーもいたものだな」

 珍しいと言わんばかりの口調に、亜子は困り果ててしまう。

「あの……ここはどこですか? あたし、家に帰らなくちゃ。ていうか、ここって夢?」

「夢ではないな」

 少年はふわりと亜子の頬をでる。

「うむ。まこと、こちらの人間と変わらぬな。どれ」

 着ていたパジャマの上着をぺろんとめくりあげられ、亜子は思わず「ひえっ!」と悲鳴をあげてった。

 見知らぬ美形の少年に、いきなりセクハラをされる覚えはない。

「ちょ、ちょちょちょっと!」

 物凄く言葉が出ない。人間、驚くと本当に言葉が出てこない。

 亜子が警戒して彼の手を払おうとする前に、少年の手が離れた。

 頬杖をつき、亜子を上目遣いに見てくる。恐ろしい美貌びぼうだ。テレビのアイドルやタレントなんて、目じゃない。

 ハリウッド俳優だって、きっと裸足で逃げ出す!

 そんな風にぐるぐると考えていると、少年が薄く笑った。

「中央都庁で登録をさせねばならんが……余にそれをさせるというのか? こんなところに出現しおって」

 まるで小動物に対するような声音こわねだが、なんだか不穏ふおんな気配を感じた。

「トリッパー、名を名乗るがよい。余が許す」

「え? と、とりっぱー?」

 ストリッパーの親戚じゃないとは思うが……やはりわからない。どうしてだろう。受験勉強をあれほどしたというのに。

「名を申せ」

 す、と彼は人差し指を差し出し、亜子の目元をぬぐった。涙だ。いつの間にか涙が流れていたのだ。

 名前?

 亜子はゆっくりと唇を開く。

「……長野ながの亜子あこ



 亜子は室内に入って来たメイドたちに驚き、身を固まらせる。どうなっているのかさっぱりわからないが、メイドたちは不審者がいる、と認識したようだ。

 その場をおさめたのは……彼だった。

「よいよい。トリッパーが余の部屋に現れるなど、物珍しくて良い」

 などと言いながら、ベッドから降りる。残された亜子はどうすればいいのかわからない。

 メイドの一人が……おそらく年長者で、この場でのまとめ役であろう女性が進み出た。

「恐れながら、トリッパーとはいえ、殿下のお部屋に長居をさせることはできません」

「わかっておる」

 うるさいとばかりに顔をしかめる少年は、すらりとした体躯たいくをしており……。

 ……というか。なんだか聞き捨てならない単語が聞こえた気がする。

(殿下?)

 デンカ、という響きで浮かぶ単語は『殿下』しかない。発音からしても、きっとそうだ。

 それにこのいかにも豪奢ごうしゃな部屋。ベッド。家具。

 ……もしや……自分は夢の中で、とんでもなく偉い身分の人の家に、しかもベッドに潜り込んでいたのではないだろうか?

 いかにも西洋人たちに囲まれている自分は、とんでもなく場違いで、亜子は萎縮してしまう。なんでこんな夢をみているのだろう?

「貴重なトリッパーだ。丁重にあつかえ」

「はっ、かしこまりました」

「後で話がある。支度したくが終わったらこいつを同行させる」

「はい」

 きびきびと動くメイドたちは、彼を着替えさせるために集まっていく。そして逆に亜子は部屋から追い出された。

 追い出された先も小部屋で、不審になりながら連れてきたメイドの一人を見遣った。

「……あの」

 小さく声を出した亜子を見遣り、メイドはどこか蔑視べっしふくんだそれのまま、口を開いた。

「殿下のご用意が整うまで、ここでお待ちください」

「…………」

 よくわからないが、ここで待てということだろう。

 亜子はパジャマ姿のまま、先程会った彼のことを思い出して頬を赤く染めた。綺麗な男性だった。

(なんかよくわかんないけど、いい夢だなぁ)

 いやな夢のあとに、いい夢なんて。

 思い出して、亜子はずん、と肩が重くなるのを感じる。

 ……受験に失敗した夢。……本当に夢?

 雪道を通って、合格発表を見に行ったあの時の寒さや、風の冷たさが?

(…………)

 青ざめる亜子の様子に、メイドが不思議そうにするが声をかけてくる気配はない。

 両開きのドアが開き、メイドたちが出て行く。唖然あぜんとそれを見送っていると、年長者のメイドが亜子をにらんできた。

「殿下がお待ちです。……早く行きなさい」

「えっ!? あ、はい」

 反射的にうなずき、亜子は慌ててドアから先程の部屋に入った。

 長椅子に優雅に腰掛けている深紅の衣服のきらびやかな……少年。……ま、まぶしい。

(さ、さらさらの金髪に、綺麗な青緑色の瞳……。なんだか不思議な色の目だなぁ)

 魅入っていると、少年がくすりと笑う。

「よいよい。余の顔に見惚れるのは当然だからな」

 偉そうな物言いに亜子がぽかんとし、それから自分の姿を見下ろして恥じ入る。どうしよう。パジャマのままだった。

(着替えとか……ないのかな。夢の中なのに、衣装がチェンジするとかないわけ?)

 困った……。

 もじもじしていると、少年は亜子を手招きした。

「今頃、余の部屋に出現したまれなトリッパーのことをレラが報告しに言っておるはずだ。おまえと話せるのも少しだろうな」

 そう言いながらの行動に、亜子は従って近づいてしまう。なんというか、カリスマのかたまりのような少年だ。

 長いあしを組み、優雅に頬杖をついている彼は亜子をじろじろと見遣り、それからフッと笑った。

「何も知らぬトリッパーか……。

 そうだ。おまえに名をつけてやろう。どうせくだらん名前をつけられるであろうからな」

 尊大に言い放ち、彼は状況が理解できていない亜子の名前を何度か反芻し、にっこりと笑った。その笑顔に、不覚にもときめいてしまう。

「アガット。アガット=コナー。どうだ?」

 どうだ、と言われても……。

(いきなり変な名前つけられても……困るんだけど)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る