第7話 父との思い出


「父上はよくここを訪れていた。どんなに忙しくても。お亡くなりになる直前でさえ、一番に名を呼び、最期までお前の名前を呼んだ」


 玉鈴に促され、庭園を眺めながら明鳳は心に溜まった物を吐露とろする様に切り出した。


「父上はここには何をしに来た? 父上に男色趣向があるとは聞いていない。お前とその様な関係にあるとは見えないが……」


 その表情はとても張り詰めている。先ほどの難しい顔はそれを考えていたのだろうか、と玉鈴は思った。


「高舜様はおしゃべりに来ていました。僕のことを友と呼んで、お酒を呑んだり、まつりごとの愚痴を言ったり。そこに身体の関係はありません。ただ純粋に遊びに来ていただけです」


 嘘ではない。

 明鳳の父であった先王は事あるごとに蒼鳴宮を訪れた。最初は幼い少年の将来を捻じ曲げた事による懺悔からの行動だったが、いつしか友としてここを訪れた。



 ――名君であろうと己の感情を殺してきたがここではを出せる。感謝しているよ。



 いつだったか、高舜は眩しいものを見たときの様に両目を細めて玉鈴の本来の名を呼んだ。久しく呼ばれてないその名で呼ばれ、驚きに押し黙った玉鈴を見て、高舜は笑いながら杯を満たす酒を喉に押し込んだ。

 彼はここにを出す為に訪れた。そこにあったのは確かな友情だ。しかし、それを証明するものは何一つ無い。口ではどうとでもいえる。玉鈴の言葉に明鳳が納得するかははなはだ疑問だが、嘘偽りの無い真実を伝えた。

 何やら考え込む明鳳を端目に玉鈴は「一つ、伺いたいことがあります」と落ち着き払った声音で問いかけた。


「許す、申せ」


 貴閃が咎める様な眼差しで玉鈴を睨むが明鳳は心よく頷いた。


「何故、先ほどすぐさま冷静さを取り戻したのでしょうか。名君といえど怒りをすぐに鎮めるのは難しいものです」

「……父上が同じ事を言っていたからだ」


 しばしの熟考の末、微かに聞き取れる声で明鳳は言った。


「王にとって最も大切なものは公正さだ。そこに個人の感情を持ち合わせてはいけない。何が正しいのか広い視野を持て。本質を見る目を養いなさい……と」

「高舜様がその様なことを」

「ああ、お前とあの侍女の言葉で思い出せた」


 明鳳にとって父王はとても優しい存在だった。長年子に恵まれず、五十二歳という高齢で、初めて産まれた跡継ぎである明鳳を殊更に可愛がった。


 そんな優しく、自分に甘い父が一度、意地悪な質問をしてきた事がある。

 確か明鳳が八つの頃だ。池のほとりに建てられた東屋あずまやで父の膝に乗り、景色を眺めていた時、父は真剣な眼差しで明鳳の双眸を覗き込んだ。


『もし長きに渡る友人が殺人の罪を犯したらどうする? その友人が相手から借りていた物を返さず、口論の末、相手を殺したら』


 それにまだ幼い明鳳は信じられない、と声を荒げた。王太子として育てられた明鳳の周りには大人ばかりで、友と呼べる人間はいないが想像で答えた。


『それでも理由があるはずだよ』

『非があるのは友人だ。しかし、友人は自分は無実だ、と訴えて否定する。その時、明鳳ならどうする?』

『友達でしょう? その人が無実だと言うならそうだと思うよ。なら信じなきゃ駄目だよ』


 明鳳の答えに、父は困った様に笑った。


『明鳳は本当に純粋に、真っ直ぐに育ったな』

『駄目なの?』

『王としては、な。……明鳳、王にとって一番に大切なのはなんだと思う?』


 その問いかけの意味が分からず明鳳は『えっと』と口籠る。普段なら「仕事をすることでしょう?」と返すが父が求めていることは違うと思った。

 明鳳が俯くと頭上で父がくすくす笑うのが聞こえた。顔を上げると父は凪いだ瞳に明鳳を写し、瞬きを一つ落とす。


『王とは公正さが大切だ。王は全ての権限を持つ。個人の感情で吐かれた言葉のせいで罪のある人間が許されて、無実の人間が処罰を受ける事は後に国の疲弊を招く事になる』


 父は愛しげに明鳳の髪を撫でた。


『広い視野を持ちなさい。何が正しいのかを見極めなさい。本質を見抜く慧眼けいがんを養いなさい。いずれお前は私の跡を継ぎ、この国の王になるのだから』


 忘れていた言葉。先ほど、玉鈴と侍女に言われた言葉と重なって、ふと思い出した。


「父上にも友はいたのだな」


 どこか嬉しそうに明鳳はぽつりと呟いた。


「光栄な事です」


 玉鈴は嬉しそうに、けれど寂しそうに笑った。

 もう会えない友の顔が浮かび上がり、口角が下がるのを団扇で隠す。感情を悟られない様に玉鈴が庭の案内を続けようとした時、誰かがこちらに近づいてくる音が聞こえた。視線を上げれば仏頂面をした尭がこちらを見ている。


「玉鈴様」


 視線が合うとぎょう抑揚よくようを感じさせない声音で主人の名を呼んだ。親しくない者が見れば無表情にも見える面持ちだが、玉鈴には突然の客人を推し量っているのだと感じた。


「終わりました?」

「はい。豹嘉の方も終わってます」


 その言葉に玉鈴は短く感謝を述べると、側にいる二人を振り返った。


「明鳳様、房室の準備が終わりましたのでこちらに」


 玉鈴は尭を伴って、二人を房室へと案内する為に再度歩き出した。





***




 客人を通すために用意された房室は洗練された雰囲気に包まれていた。華美ではないが品を感じさせる調度品に囲まれ、白磁の花瓶には野に咲く名も無き花が添えられている。

 房室の中には豹嘉の姿はなく、秋雪が椅子の上で緊張からか小さな体をより小さく丸め込んでいたが、玉鈴や明鳳らが扉から中に入るのを見ると慌てて立ち上がり、拱手の礼を取った。それを明鳳は片手で制した。


「良い。俺は無いものと思え」

「で、ですが」


 玉鈴が言えたものではないが秋雪は田舎娘らしい無作法な少女だ。立場が高い明鳳が話すのを許可しないうちから口を開いている。彼女の主人である才昭媛さいしょうえんは数多の高官を輩出してきた才家の出身だと聞いていたが、その侍女である秋雪は満足な教育を受けていない様に思えた。


 侍女の立ち振る舞いは主人の評価に関わる為、特に注意すべき事のはず。才家の人間は皆、天に届くほど気位が高いといわれている。そんな彼らが教育をきちんとしていない侍女を後宮入りに連れて行くだろうか……?

 玉鈴は相好を崩さず、不思議に思い内心首を傾げた。

 秋雪の態度に側に控える貴閃は苛立った様子で眉をぴくぴくと動かしているが口を開く事はない。房室に入る前、明鳳から話し合いが終わるまで喋るな、と命じられたのを素直に守っている。


「亜王様が構わない、と言っているのですからお言葉に甘えましょう」


 玉鈴は秋雪の背後に回り、細い肩に両手を置くと椅子に座らせた。


「亜王様と大長秋様はそちらにお座りください」

「そうする」


 明鳳らが椅子に座ったのを確認し、玉鈴は秋雪の前に設置された椅子へと腰を下ろした。

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