第3話 邂逅
「さあ、行くぞ。柳貴妃の面を見に」
明鳳は鼻で笑う。その笑みにはこの様な寂れた宮に住む女への嘲りが含まれていた。明鳳は柳貴妃を好いてはいない。強いて言うなら嫌いの部類に入る。この関係が世間からは批判を受けるものだと理解しながらも今は妻となった女性に歩み寄ろうとはした。
けれど、柳貴妃は喪に服すため三年待て、といい一度も己の前に現れない。最初は父王への操立てかとも思えども、喪があけ一年が経っても柳貴妃は己の前に現れる事はなかった。宴に参加するように再三命じても返事すらない。使者を出しても柳貴妃付きの侍女と宦官が追い払い、件の妃の尊顔はおろか、文さえ受け取って貰えなかった。
もう我慢の限界だった。
使者を出しても追い返すのならば夫である明鳳自身が向かうしかない。彼女は先王の遺言により大抵の事は許されている。そのため、宦官、侍女、下男下女は彼女を恐れていた。ならば明鳳が問い詰めるしかない。
「本当に行くんですか?」
無言で門を潜ろうとする明鳳を見て、恐る恐る貴閃が尋ねた。彼は柳貴妃は怪異が人に化けていると思っている節がある。
「そのためにここに来たんだろう」
明鳳は投げ捨てるように言うと、一歩を踏み出し、年代を感じる門を潜った。くたびれた門には門兵が一人もおらず、侘しい面持ちで二人を迎えた。
「何故、門兵がいない?」
妃が住む宮には最低二人は門を守る衛兵がいるはずだ。誰もいない門というのはやけに気味が悪い。
「柳貴妃様が不要だ、と跳ね除けたと聞いております」
「あれは貴妃としての自覚はあるのか。龍の半身と言われているがただの阿呆だろう?」
「その、聡明な方とは聞いておりますが、あまり他人と関わるのが苦手な方のようでして」
「何故、父上はその様な愚図に貴妃の位を渡したのだ」
中庭に面した廊下を歩きながら、明鳳は双眸を細めた。
貴妃は四夫人と呼ばれ、後宮では王后の一つ下の位だ。整った美貌はもちろんのこと、家柄、教養、矜持なども吟味され選ばれる。
まだ齢十四の明鳳には正妃はいない。そのため、賢妃、徳妃、淑妃に並び後宮を統べる人間とも言えた。その様な人間が住む宮に警備がいないなど、立場を理解していないのだろうか。
「ここに住むのは何人だ?」
明鳳は足を止めると中庭へと視線を投げた。中庭の草木は他の宮と比べ簡素だがよく手入れがされている。散策など季節を楽しむには十分そうだ。
噂によれば、柳貴妃は庭師を含む使用人も追い出していると聞いている。ならばこの庭を手入れしたのは誰なのだろうか。
「柳貴妃様ご自身とその侍女一人、あとは宦官一人でございます。その二人は柳貴妃様自ら選ばれたと聞いております」
「たったの三人か」
物好きな人間がいるもんだ、と明鳳はそっぽを向いた。柳貴妃に付き従う人間とは明鳳の中では変わり者と定義されている。きっとその二人も柳貴妃と同様に我が儘な阿呆なのだろう。
再度、歩みを進めようとした時、近くの房室からガラスが擦れる音が
貴閃が止めようとしているのを横目に、明鳳はゆっくりと扉を開け放った。
***
質素な
女の顔が見たくて房室に足を入れた時、大きな
それに女は驚いた表情で振り返る。女の顔が見え、明鳳は内心がっかりした。女は確かに美しい容姿を持っているが双眸は黒だ。柳貴妃なら片方は金眼であるはず。女は恐らく柳貴妃の侍女なのだろう。
侍女は驚いた表情を歪めるとやや乱雑に茶器を器の上に置いた。ガチャンと派手に音を立てる。
「無礼ではありませんか? 柳貴妃様の宮に勝手に入ってくるなど」
侍女は細い柳眉を逆立て、軽蔑する眼差しで明鳳と貴閃を見比べた。まだ年端もいかない少年と宦官だと知ると袖で口元を隠し、ふっと小さく笑う。
「お帰りください。柳貴妃様は貴方に会う事はありません」
明鳳が身に纏う長袍に、髪を纏める冠がその地位を主張しているのに侍女は恐れず眉を釣り上げ続ける。
先に反論したのは貴閃だ。侍女が幽鬼ではないと理解すると、先ほどの恐れはどこにいったと聞きたくなる剣幕で怒りだした。
「侍女風情が亜王様に偉そうな事を言うな! 立場を弁えろ!!」
それに侍女は怯える仕草も微塵も出さず、先程よりも野犬でも見るかの様に双眸を細めた。
「私の主人は柳貴妃様です。貴方ではありませんわ」
「貴様、立場を弁えろといっているのが聞こえないのか!」
今にも取っ組み合いになりそうな二人を止めるべく、明鳳が手を伸ばした時。
「……
じれったくなるほど間延びした声が三人の間を通り抜けた。
耳に馴染む低い声に侍女――豹嘉は頬に朱を走らせる。あからさまにほっとした表情をすると小走りで声の主の元に駆け寄った。
声の主は長い
「僕の侍女がどうかしましたか?」
気怠げな仕草で小首を傾げると艶やかな黒髪がサラサラと音を立てる様に肩から胸へと流れた。
明鳳は驚きに固まった。
視線の先には背が高く、すらりと均整のとれた体躯を純白の襦裙に身を包んだ美人。有名技師が作ったと思われる端正な顔立ち。その中でも時に目を引いたの切れ長の双眸を彩る、右目の金。
――柳貴妃が腕を組み、訝しむ様にこちらを見ていた。
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