第14話〜朝顔

 夜。百合は難しい顔をしている。航のお弁当のおかずを考えていた。真新しいノートを開く。ネットで調べる。パソコンを見てはノートに書き、パソコンを見てはノートに書き。


「んー、こんな感じにできるといいんだけど…。」


 百合はノートにお弁当箱の形を書き、ご飯とおかず、それぞれの配置や配色も書く。なるべく多くのバリエーションを探していた。


「卵焼きは仕方ないとして、あとはなるべく悪くならないようなおかずを…。それから作り置きできるもの、下ごしらえできるもの…。あ、食材をまとめて買って…。」


 百合はお弁当を作るのは初めてだった。家で料理をするのは、ただの暇潰し。自分のためにお弁当を作るなど、考えもしなかった。しかし航を想うと頭の回転も早くなり、おかずも何でも考えることがとても楽しかった。時間が過ぎるのを忘れる。


 そして全ての準備が整った日。後は当日、上手く作れるかどうか。百合は航に連絡をする。夜のラインの時間。ラインではなく、勇気を出して電話をした。航は電話に出る。


「もしもし、今日はどうした?」

「あの、明日持っていきます。」

「ん?なんだ?」

「お弁当です、航さんの。」


 一瞬、間が開く。


「…あんた、ほんとに…。」

「はい。」


 百合の声は澄んでいた。震えてもいない。そんな百合の声を聞き、航が微笑んだことは百合にはわからない。


「じゃあ明日、朝な。」

「はい。」

「無理はするなよ。」

「はい。」


 百合も微笑む。ふたりとも微笑んでいた。それをふたりは知らない。


「あの、航さん?」

「?どうかしたか?」

「おやすみなさい。」

「ああ、おやすみ。早く寝るんだぞ。」

「はい…。また明日…です…。」

「おやすみ…気をつけて来いよ。」

「はい、おやすみなさい…。」


 百合は早く翌朝になるよう、すぐ眠りについた。


 そして翌朝。いつもより早く起きた百合は、まずは少し自分の支度をした後キッチンへ。昨日のノートを見ながら試行錯誤。


「お弁当って、難しい…。卵焼きはここで、アスパラはこっち…。んー…ノートみたいにうまくいかない…。」


 何とかお弁当が完成し、箸と一緒に巾着袋へ入れる。胸を撫で下ろす百合。その百合は思い付く。


「何かプラスα…ないかな。」


 百合は引き出しを開ける。レターセットが目につく。


「ラブレター…は、重い…かな…。そんなに時間もないし…。」


 レターセットの上に重ねて置いてあった小さなメッセージカードがあるのに気付く。


「これだ…。」


  お疲れ様です

       百合


 一言書きだった。そのカードも巾着袋に入れ、それを紙袋に入れてアパートを出る。百合は工場へ向かう。航へ向かう。


 腕時計を見る百合。時間に問題はない。航に会い、お弁当を渡す。胸が弾む百合。しかし不安が生まれた。知らない人が集まる場所、航とすぐ会えるのか、そもそも航は受け取ってくれるのか。不安と緊張。体が固くなり、百合の表情は少し強ばる。


 工場の門の少し手前。従業員らしき人が少しずつ門に入っていく。人目が気になり出した百合は急いで航を探す。航はすぐに見つかった。目が合うふたり。その瞬間、ホッと安心した百合は、その場で立ち尽くしてしまった。航のほうから近寄る。


「おはよ。」


 百合は航をただ見つめる。


「おい、聞こえてるか?」


 動かず何も言わない百合に、航は百合のおでこにやさしくデコピンをした。


「いたっ…。」

「おはよ。」


 そのデコピンで目が覚めたように、百合はやっと大きく息を吸うことができた。


「お、おはようございます…。」

「ほんとに来たな、騙されたかと思ったよ。」

「だ、騙すなんて、そんなこと、しません!」

「わかってるよ、冗談だよ。」


 航は笑う。百合の緊張をほどくための言動だった。そのことにも何も百合は気付かず、ただ航の笑顔に見惚れていた。


「で?」

「え?」

「え?じゃねーよ。弁当だよ。」


 ずっと航は笑顔だった。その笑顔をずっと見ていたい百合。


「あ!こ、これです!」


 百合は航に紙袋を渡す。


「すぐ冷蔵庫に入れてください。食べる前にレンジで少し温めてください。」

「わかったよ、ありがとな。」

「いえ…。」

「それより、ここに来ることのほうが問題じゃねぇか?」

「え?どうしてですか?」

「人目が怖いだろ。」


 百合は思わずうつむいた。沢山の人目、想定外だった。お弁当と航、百合はそれしか考えていなかった。


「無理はさせたくねぇよ。」

「いえ…来させてください…。もしかしたら慣れてくるかもしれないし…それに航さんに…。」


 航に会いたい。それを素直に言えない百合。航はまた百合を和ませようとする。


「そーだな、この弁当にもよるしな。もしまずけりゃ話が変わってくる。」

「あ…。」

「冗談だよ。」


 航はずっと笑っていた。百合はやっと気付いた、航が笑っているのは自分のためだと。そのやさしさが嬉しくなり、その嬉しさが言葉になった。百合は初めて素直になれた。


「航さん?」

「ん?」


 百合は、その時のありったけの想いを込め、できるだけの笑顔で言った。


「行ってらっしゃい。」

「おう、行ってくる。」


 笑顔のふたり。朝顔が咲いた。

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